Steven Isserlis

Sunday, 4th April, 2004.
神奈川県立音楽堂
15:00 -- 17:05


不滅の旋律 --- 弦は歌う II

Steven Isserlis (スティーヴン・イッサーリス), vc. (1958 --)
小川典子, pfte.

Saint-Saëns (サン=サーンス): Sonata for Cello and Piano in c-moll, op. 32. (チェロソナタ第一番)
G. Fauré (フォーレ): Sicilienne (シシリエンヌ)
G. Fauré (フォーレ): Elegie (エレジー)
C. Debussy (ドビュッシー): Sonata for Cello and Piano (チェロソナタ)
Rachmaninov (ラフマニノフ): 2 Pieces op. 2 (二つの小品)
Prokofiev (プロコフィエフ): Sonata for Cello and Piano in C-dur, op. 119. (チェロソナタ)


「不滅の旋律 --- 弦は歌う」 というのは, 県立音楽堂開館 50 周年を迎える 2004 年, 前年から開始された 50 周年記念シリーズであり, 聴衆に信頼され, 愛される室内楽ホールとして, "51 年目からの音楽堂" の新しい姿を探る試みなのだそうである。

Isserlis は羊腸線 (ガット弦) を用いるチェロ奏者として有名なのだそうである。 よくあることだが, あまりに何故ガット弦を使うのかと訊かれ過ぎて, その質問は最も嫌いな質問の一つだそうだ。 が, 一応その理由は, 響きが美しいからだそうである。

この ticket はTuesday, 23rd Dec, 2003 の昼どきクラシック Xmas スペシャルに行った際に, 近くなので購入したのだが, 既に 6th Dec, 2003 に発売が開始されていたためか, 前の方の中央は殆ど売りきれていた。 ガット弦ということもあるので, 前の方を購入。 大分右寄りだがまあ仕方がない。


表面的な美しさ, 技巧を誇る演奏と行った次元を遙かに超え, 聴き手の奥底にある魂に直接語りかける, pure な大人の音楽家。

諸石幸生
Kanagaw Arts Press vol. 56, January 2004.

Kanagaw Arts Press vol. 56, January 2004 の Interview -- Creator's Voice 75 から抜粋:

チェロの素晴らしさは人間の声そのものということ。 しかも驚異的なのは人間の声を遙かに超える幅広さを持つ点でしょうか。

音楽は誰にでも分かってもらえる共通語, 心の言葉としての力を持っています。 聴き手に語りかけ, 時に慰め, そして豊かな気持ちを与えることが出来る。 それは言葉以上の伝達力すら秘めていると言っても良いかもしれません。 演奏中の僕は聞き手と共に旅の途中にあり, 共に歩む仲間達に作曲者が作品に託した深い messages を伝えているんだと思います。 勿論それはとても幸福な時間です。

(それから) もっともっと知られるべきなのに, 殆ど取り上げられていない作品も数多いですから, それらを演奏していくことも大切な役割だと感じています。 Library からそうした作品の作曲家の自筆譜や初版譜を良く送ってもらいますが, 本当に興奮させられます。 百年以上も 「眠れる美女」 のままでいた作品がこの世の中には沢山あるのですから。 でもそれと同じように, 現代の作曲家たちの作品を演奏していくことも大切な演奏家の勤めというべきでしょう。 最も最近に私が初演した作品はデイヴィッド・マシューズの協奏曲でしたが, いや実に美しい作品でした。 これから各地で演奏したいと願っています。

(作曲者を包括的に知ること, 全体像の把握こそが本当の理解には不可欠であるという考え方があるのかと問われて) いやそうではありません。 音楽を理解するのに, 作曲者の生涯についての理解が不可欠だとは思いません。 唯, そうした理解がより作曲者に近付くことを助けてくれるのは事実でしょう。 例えば私は Schumann にぞっこん惚れ込んでいますから, Schumann に関することは何でも読み, 又調べました。 そうすることによって Schumann が私の親しい友人のような存在になってきたのは事実です。 聴衆の方々にとっても, 音楽の背景にあるものを知るというのは楽しい経験になると思いますよ。

音楽は私にとっては言葉そのものなんです。 (中略) 音楽は第二の言語というのか, いや寧ろ第一の言語になっているのです, 私の中で。 ですから concert では私は演奏していると言うよりも, 私の言葉を話していると言う方が正しいのかもしれません。

(演奏家としての policy を訊かれて) そんなものはありません。 唯愛する音楽を演奏するだけです。 もし愛せなくなった時は, 私が演奏家ではなくなる時です。

ガット弦は本当に大好きです。 一昔前まで, それも第二次大戦までは皆ガット弦を使っていました。 イザイもティボーもクライスラーもカザルスも, みんなです。 ところが大戦後, 鋼鉄の弦が主流になってしまいました。 価格的に安価で, しかも信頼性があり, 輝かしい音色も容易に出せます。 今や fashion の様になってしまいました。 でも私は使いません。 私の本当の声ではないと感じるからです。 私にはガットでなくてはならないのです。 若い時に人々はそんな私を見て, ガット弦なんか使っていると成功しない, アピールしないから止めた方がいい, キャリアの妨げになると忠告してくれました。 でも私はキャリアのために演奏しているのではないし, 作品がそれを求めている以上, 私はガット弦を使い続けます。 大きな音や輝かしい sound が出せず, 見劣りするとしてもね。 勿論例えばカバレフスキーのチェロ協奏曲第二番のようにスティール弦を想定して書かれている作品を演奏する場合にはガット弦は使いませんが。


曇だが大気が雨を孕んでいる。 今日は A の音 440 Hz に因んでピアノ調律の日ということだ。 前にも書いたように, 県立音楽堂は聴衆に余り優しくない hall なので, 折り畳みの傘を持って行ったのだが, 長い方が良かったかと思う。

14:20 頃到着。 雨が懸念された所為か, 既にロビーまでは開場している。ぶらあぼを貰っておく。 15:30 頃開場。 右二つの席が空いている。 15:00 開演前の announce があるが新人なのか慣れていない感じである。 15:05 右二つの席の男が二人来る。 大部雨が降っているのか, 濡れた傘とそれを入れるためのビニール袋を持っている。

15:09 -- 15:28
Saint-Saëns (サン=サーンス): Sonata for Cello and Piano in c-moll, op. 32. (チェロソナタ第一番)

Saint-Saëns (1935 -- 1924) が, 弦楽器と pfte の為に作曲した初めての sonata で, 1872 年に作られている。 当時 Saint-Saëns は 37 歳。 前年にはロマン・ビシュヌーと国民音楽協会を設立, France 芸術の未来を高らかに歌い上げた時期に当たるが, そんな意気盛んな時に書かれた作品だけあって異例とも言えるひたむきな感情表現が盛り込まれている。 中でも情熱をたたえた終楽章の充実振りが名高い。 London を中心に活躍した France の名 cellist, ジュール・ラッセール (1838 -- 1906) に捧げられており, 15th March, 1873, Paris 出被献呈者と作曲者の pfte により初演。
1st Mvt. Allegro in C-dur, 3/4 sonata 形式
2nd Mvt Andante tranquillo sostenuto in Es-dur, 4/4, 三部形式
3rd Mvt Allegro moderato, in c-moll, 2/4 ロンド風sonata形式

1st Mvt. ガット弦はややくすんだ音色。 ピチカートが柔らかく美しい。
15:18 -- 2nd Mvt. ガット弦の音の綺麗さが良くでている。
15:24 -- 3rd Mvt. 一寸迫力不足を感じる。 これは金属弦の方が良いのかもしれない。

15:30 -- 15:35
G. Fauré (フォーレ): Sicilienne (シシリエンヌ) op. 78.

1893年に書かれた Fauré (1845 -- 1924) の romantic な作品。 Pfte によるアルペッジョに導かれて cello が滑らかな, 愛の歌のような旋律を奏でていく。 この小品が気に入っていた Fauré は 1898 年に書き上げる劇付随音楽 「ペリアスとメリザンド」 Pelleas Et Melisande, Op. 78 の中にもこの旋律を採用, 更に広く親しまれるようになっている。 ピアッティ門下のイギリスの名 cellist で Covent garden 王立歌劇場の首席奏者として活躍, soloist としても一世を風靡していたウイリアム・ヘンリー・スクワイア (1871 -- 1963) に捧げられている。

やや遅めであるが, もう少し遅くてもいい。 素敵である。 ガット弦の良さが出ている。 以前文化祭で fl の伴奏をしたのを思い出したが, やはり vc の原曲の方が美しい。 伴奏も fl 版よりも簡単そう。

15:35 -- 15:42
G. Fauré (フォーレ): Elegie (エレジー) op. 24.

最も Fauré らしい作品と言うべきか, この Elegie には典雅で, romantic, しかも親しみやすい歌謡性にも優れた魅力があり, cello の為の小品としては破格とも言える人気を誇っている。 Elegie (悲歌) という曲名も作品の性格を的確に表した言葉であろう。
 1880 年, Fauré 35 歳の時の作品で, この頃の Fauré は度々ドイツを訪れては Wagner の Musicdramen を経験していた。 ハ短調, molto adagio による重々しい旋律によって開始されるが, 中間部は軽やかで, 対照的な味わいがある。

こちらもガット弦の良さが存分に出ている。
Isserlis は開放弦になると良く左手を完全に vc から離している。

15:43 -- 15:53
C. Debussy (ドビュッシー): Sonata for Cello and Piano (チェロソナタ)

晩年の Debussy (1862 -- 1918) は直腸癌に悩まされ, その痛みに耐えるという過酷な状況下での創作活動を余儀なくされていた。しかもドイツとの戦争は作曲者を精神的な不安感に陥れ, フランスの美学的伝統を後世に伝えるべき作品の創作を真剣に考えさせ始めた。 1915 年, Debussy は 「様々な楽器のための六つの sonata」 を書こうと決意したが, それらは sonata とはいいながら France 独自の美学を反映させることを目的としたものであり, 敬愛する Jean-Philippe Rameau に代表される古典的組曲に繋がる室内楽の名作の森の誕生を予感させた。  しかし Debussy が完成させたのは “Cello Sonata, ” “Sonata for fl, va and harp,” “vn sonata” の三曲に留まり, その夢が実現されることはなかった。 最初に書かれた vc sonata は 1915 年の夏, イギリス海峡を臨む港湾都市ディエップ近くのプールヴィルで書かれている。 戦争の悲劇は Debussy を苦しめたが, 木々の緑と友人達, そして美しい海の眺望が慰めとなり, 作曲は順調に進み, 八月には完成された模様である。 チェロ・ソナタではあるが, 歌う楽器としての vc という以上に monologue 的な扱いがされており, 全体から与えられる印象も rhapsodic で, 孤独の叫びを聴くかのような切実さを秘めている。
1st Mvt. Prologue lang (ゆっくりと) 4/4.
2nd Mvt. Seranade modellment anime (程良く活気を帯びて) 4/4
3rd Mvt. Finale anime (活発に) 2/4.

1st Mvt. ピアノの序奏が素敵。 断片がつなぎ合わされて出来たような印象。
15:47 -- 2nd Mvt. ピチカートとフラジョレットが出て来る。 曲調がくるくると変わって散漫な感じ。
15:50 -- 3rd Mvt. 現代曲っぽい感じ。

伴奏の小川典子さんの pfte は一寸音が強すぎるかなと思うところもあったが大体において良かった。

《休憩 20 分》
vc が十台以上ロビーに置いてあった。 音大生さんが沢山来ていたのか。
休憩が終わり, 「現代曲」 に移るので人数が減るかと思いきや意外に減らなかった。 調弦をする。 金属弦に替えたらしく音が大きい。

16:18 -- 16:26
Rachmaninov (ラフマニノフ): 2 Pieces op. 2 (二つの小品)

1901 年, チェロ・ソナタ (in g-moll, op. 19) を書き上げ, vc の為の偉大なるrepertoire を提供した Rachmaninov (1873 -- 1943) だが, ここで演奏される 「二つの小品」 は Rachmaninov の若き日, 1892 年に作曲されたものである。 ロシアの名 cellist で, Tchaikovsky との親交も篤く, 作曲者から 「カプリッチョ風小品」 の献呈もされているアナトーリ・ブランドゥコフ (1859 -- 1930) との共演を目的に書かれた小品で, 同年 30th January Moscow で Rachmaninov の pfte で初演されている。 尚このブランドゥコフ家と Isserlis 家はかつて親交があり, 祖父の名 pianist, Julius Isserlis はブランドゥコフ家と度々共演した歴史がある。 Rachmaninov 19 歳の時の作品である。
Prelude op. 2-1.
Rachmaninov ならではの melancholic な歌心の萌芽を秘めた作品。
Oriental Dance op. 2-2.
東洋風の舞曲。 遠くから聞こえてくる鐘の音を思わせる響きに誘われて紡ぎ出される憂いと幻想の調べ。

1: ロマンティックな出だし。 意外に古典的。 弓を見ていたら, 親指, 中指, 小指の三本で持っている感じ。
2: 16:21 -- 16:26 三拍子ではないが舞曲であることは直ぐ分かる。 「東洋風」 であるという感じはしなかった。

16:27 -- 16:50
Prokofiev (プロコフィエフ): Sonata for Cello and Piano in C-dur, op. 119. (チェロソナタ)

第二次大戦中はソ連に於ける言論統制が甘かったと言われるが, 戦後, 国家体制が確立・整備されるに従い共産党による芸術管理の施策は徹底したものとなった。 1948 年に巻き起こった作曲家批判は熾烈を極め, Prokofiev (1891 -- 1953), ショスタコーヴィチらの作品は形式主義的過ちを起こしていると糾弾された。 Prokofiev は大戦中の英雄的 pilot を篤かった歌劇 「真実の人間の物語」 を書いて名誉回復を図ったが (December, 1948, キーロフ歌劇場で初演), これも非難されたし, 数年来煩っていた健康状態も思わしくなく, 結果的に Moscow 西のニコリーラ・ゴーラの自宅に引きこもるようになってしまった。
 そんな苦難の時代に Prokofiev を慰め, 勇気づけたのが若き名 cellist, ロストロポーヴィチの素晴らしさに心打たれたのは December, 1947, 不当に無視されて来た cello 協奏曲第一番をロストロポーヴィチが演奏したことに始まるが, 作曲者の信頼を勝ち得たロストロポーヴィチの Prokofiev 賛美の熱も高まるばかりであった。 ロストロポーヴィチは音楽家としての理想像を Prokofiev に見ていたし, この偉大なる祖国の作曲家がやることなら何でも真似し始めたほどで, 香水の趣味やネクタイ着用の習慣も Prokofiev を真似たからと言われているほどである。
 こうした友情を支えに作られた晩年の名作が, Prokofiev 唯一のチェロ・ソナタ in C-dur であり, 草稿の第一頁にはゴーリキーの言葉 「諸君, ここには誇らしい響きがある」 と記されている。 作品は 6th December, 1949 ロストロポーヴィチと Richter により作曲家同盟総会で非公開の形で試演され, 翌 1950 年公開初演されている。 尚 Isserlis は 「親しみやすい旋律に溢れ, しかも明るく, ト長調ソナタの見本といったこのチェロ・ソナタは, その分かり易さ故に多くの音楽学者から軽蔑されて来たが, 旋律は本当に美しく, 書法も人の心に強く訴えかける」 と力説している。
1st Mvt. Andante grave in C-dur, 3/4 自由な sonata 形式
2nd Mvt. Moderato: Moderato primo in F-dur, 4/4 三部形式の scherzo
3rd Mvt. Alegro ma non troppo in C-dur, 2/2 sonata 形式

1st Mvt. 何だかとっても古典的。 はぐらかされた感じ。 指板の所を弓で弾く当たりはやはりプロコ。
16:38 - 2nd Mvt. Prokofiev らしい和音進行で面白い。
16:43 - 3rd Mvt. pfte 疲れてきたのか一寸へたって来た。 古典的風に見えて実は結構プロコらしい。 最後盛り上がってくると素晴らしい。

いっそのこともっと現代の曲をぶつけた方が面白かったと思う。

《アンコール》

16:52 -- 16:58 L. van Beethoven: Andante and variations (arr. by S. Isserlis)
17:00 -- 17:03 Robert Schumann Intermezzo (間奏曲) (arr. by S. Isserlis)
(両方とも Isserlis のみ暗譜で)

カーテンコールで vc もお辞儀。 笑いを誘う。 17:05 終了


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