Eine florentinische Tragödie & Gianni Schicchi

Sunday, 31st July, 2005.
新国立劇場
14:00 -- 16:29


Alexandaer Zemlinsky (アレクサンダー・ツェムリンスキー, 1871 -- 1942)
Eine florentinische Tragödie (フィレンツェの悲劇)
Libretto in German by Max Meyerteid.
Text by Oscar Wilde (A Florentine Tragedy)

Simone: 小森輝彦
Bianca: 林正子
Guido: 羽山晃生

Giacomo Puccini (ジャコモ・プッチーニ, 1858 -- 1924)
Gianni Schicchi (ジャンニ・スキッキ)
Libretto in Italian by Gioacchino Forzano, suggested by a passage in Dante.
Part of a "triptych" which includes "Suor Angelica" and "Il Tabarro".

Gianni Schicchi: 蓮井求道
Rinuccio: 水船桂太郎
Lauretta: 臼木あい
Zita: 与田朝子
Gherardo: 塚田裕之
Nella: 品田昭子
Gherardino (子供): 下飛田光
Betto: 筒井修平
Simone: 大塚博章
Marco: 馬場眞二
Ciesca: 池田香織
Spinelloccio: 鹿野由之
Amantio di Nicolao: 村林徹也
Pinellino: 山口邦明
Guccio: 宮本聡之
Buoso Donati (死体): 篠木幸寿

Christian Arming (クリスティアン・アルミンク) conductor
新日本フィルハーモニー交響楽団。

場所: 富豪 Buoso Donati の館。
[1] では地下室
[2] では同じ建物内のサロン。


Lauretta の臼木あいさん目当てでチケット取り。 二期会は, なのか,  e+ は, なのか分からないが, やはりもう少しの席。 まあ値段もそれなりであるが。 どうもこの辺の値段設定は良く分からない。


臼木あいさんのこの page に拠れば, どうやら Lauretta は (日本の) 女子高生姿で出演するそうですよ。

同じくこの page に拠れば

東京二期会オペラ劇場 2005 年 7 月公演 『フィレンツェの悲劇』 『ジャンニ・スキッキ』 (会場: 新国立劇場オペラ劇場) 演出には 『フィレンツェの悲劇』 において倒錯的性表現が含まれます。 ご理解の上ご鑑賞ください。

ということですよ。 いったいどんなことするんだろう? と思っていたら, 良く見たらこれ, Oscar Wilde の原作なんですね。 De Profundis (深き淵より) が, その疑いで投獄されたことでも有名な Oscar Wilde だから, 倒錯的性表現が含まれていても不思議はないですよ。


演出の Karoline Gruber からの message:

オペラは人生に意味を与える。

東京二期会はこれまで, ギュンター・クレーマー 「薔薇の騎士」, ヴィリー・デッカー 「イェヌーファ」 等の素晴らしい舞台を成功させてきました。 今回, 私は日本で初めて opera 演出をしますが, 東京には歌舞伎や能の伝統芸能があり, 私は昨年来日した際に見た文楽にも今回の演出 (「フィレンツェの悲劇」 と 「ジャンニ・スキッキ」 を通して演出する) ヒント等を得ました。 東京ではどれ位の人が opera に興味を持ち, opera に意味を見出しているのか。 私はその事に興味があり, 東京で new production を演出する際に, opera のもっと現代的な意味を与えたいと考えました。 Opera はもっと現代的で, 面白く, 非常に多くの我々が抱える現在の問題を扱うことが出来るのです。

SM や女装について

「フィレンツェの悲劇」 は, Oscar Wilde の生きていた時代にはこの設定でも倒錯的なものとして感じることが出来たかもしれませんが, そのままの設定では現代人には real なものとして理解出来ないものになると感じました。 台本通りのマッチョマン (Simone) と不倫の愛人, 従順な妻, と言う設定では現代に演出するには理解し難く, one pattern でつまらないものになってしまう危惧が大きいのです。 Bianca の様な台本だけでは, 性格のない様に見える女性は現代社会には存在しません。 もっとその人間の多面性を浮き彫りにする演出をしたいと思いました。
 最後の驚く展開 (夫が妻の愛人を殺し, 冷めていた筈の妻と夫の関係が再燃する) というのが余りにとってつけたようで納得がゆきません。 現代人にも納得のゆく準備を結末までの展開の中にしておくにはどうしたら良いかを考えました。

SM を一方的に性の手段としてだけ見ないで下さい。 それは現代人に最も理解しやすい方法で, 音楽の激しさに演出を近付けてゆく為のものであり, SM はその場の力関係をより分かりやすく見せる為の力関係の手段として行うもので, その場の権力を誰が持っているのかという力比べや, 性の上下を明らかにする為のものなのです。

元々この 「フィレンツェの悲劇」 には, アリゴ・ボーイトも興味を示し, Giacomo Puccini も libretto を読んで作曲しようとしていました。 でも不自然な最後の展開の為断ったという経緯があります。
 Zemlinsky の楽譜では, 台本での登場人物の単調さを補うために音楽は逆に over につけていると思う。 私達はその音楽を壊さないで, 音楽と動きが立体的になるように, 音楽の深みが人物描写と合わさるような人間味を演出でも出せればと思っています。

「フィレンツェの悲劇」 と 「ジャンニ・スキッキ」

同じフィレンツェを舞台にほぼ同時期, 一年の間に書かれた二つの作品ということで, 元々繋げる共通点が沢山あったのですが, 今回は, あたかも一幕, 二幕のように共通点を持たせて演出しました。 地下室とサロンという裏と表として繋げています。 是非楽しんでいただければ幸いです。

この部分だけすべての人に配られた。


晴。 大変暑い。 オペラシティの方の人間が多い。

新国立の前でなにやら event をやっている。

客の出足は遅い。 Program は千円。

[1] 14:00 -- 14:55.

最初に, 新聞広告風の字幕が screen に映し出されて, 幕が上がる。 この部分が原作にあるかどうか, Oscar Wilde 全集があるので調べてみれば分かるが, あんまり意味がないだろう。

舞台は SM 部屋, 真っ赤な壁に白のペンキで色々落書がしてあるという感じ。 鞭など様々な道具。

Bianca はかなり肌を露出しているように見えるが, 実はかなりタイツ。

Video camera と projector を使用している。

官能的な音階。 特に末尾あたり。 結構現代的な感じを受ける。

チェレスタが効果的に用いられている。

Petting scene 等, Bianca が上に乗って, 下の男が体を撫で回すような scene が多用されていて, かなりエロイ。

椅子に座らせてラップでぐるぐる巻き, 鞭で叩くなど SM scene も満載。 Simone の女装等もあり。

《30 分休憩》

[2] 15:25 -- 16:29

死体は, [1] からの続きのように見えて, 実は別人 (最初につなぎの scene が挿入されている)。

死体が動いたりする。

Lauretta は女子高生風ブレザー。 最後に鞭で彼氏 Rinucchio を叩いたりする。 その Rinucchio はパンク小僧。

前半に対してコミカルだったので, 面白さが際立つ。

これは B 組の方だったのだが, 噂によると, A 組のものより ([1] も [2] も) 良かったらしい。

今回の演出では, 二つの作品があたかも同じ作品の第一幕と第二幕という形で上演されたが, この試みはどうなのだろう? やはり別物としてしか見ることが出来なかった。 曲にも違いがありすぎた。


2005 年のコンサート鑑賞記録の目次
HOME