五嶋みどりリサイタル B

Wednesday, 12th January, 2005.
東京オペラシティコンサートホール
19:00--20:48.


五嶋みどり & Robert McDonald Duo Recital.

Judith Weir (ジュディス・ウィア, 1954--): Music for 247 Strings (247 本の弦のための音楽), 1981.
尹伊桑 (イサン・ユン, 1917/9/17 -- 1994/9): Violin sonata No. 1 (ヴァイオリン・ソナタ第 1 番), 1991.
Alexander Goehr (アレキサンダー・ゲール, 1932/8/10 --): Suite for Violin and Piano (ヴァイオリンとピアノのための組曲), 2000. I Prelude, II Rain Song “The days of summer are gone” with variations, III Three-part invention
Geörgy Kurtág (ジェルジ・クルターク, 1926/2/19--): Tre Pezzi per violino e pianoforte (ヴァイオリンとピアノのための三つの断章) op. 14e, 1996. I Öd und traurig (退屈で憂鬱な), II Vivo (生き生きと) III Aus der Ferne: Sehr leise, ausserst langsam (遠くから: 極めて小さく, 非常に遅く)
Witold Lutosławski (ヴィトルト・ルトスワフスキ, 1913--1994/2): Partita (パルティータ), 1984. I Allegro giusto, adlib section, II Largo, adlib section, III Presto (with adlib section before coda).

五嶋みどり (vn) & ロバート・マクドナルド (p)


Sunday, 9th January の B プログラム。


B programme ticket 購入者特典:

(1) 五嶋みどりと探る現代音楽の魅力。 Sunday, 26th December, 2004 東京オペラシティ大リハーサルルーム。 申込締切 Tuesday, 30th November, 2004 (必着)。 (定員 150 名を超えた場合抽籤。)

(2) 五嶋みどり監修 「解説ディスク」 プレゼント。 申込締切 Wednesday, 15th December, 2004 (必着)。

問合せ: 五嶋みどり公開マスタークラス事務局 03-3262-8582.
東京オペラシティ文化財団 03-5353-0770.

ぶらあぼ (11), 2004.


解説ディスク到着。 \240  分の切手を送れと書いてあったから, そうしたら送料に \140 分使って, 残った分をそのまま送って寄越した。 最初から \140 送らせるようには出来なかったのか。

なんとなく CD だと思い込んでいたが, 実は DVD であった。 「写真とテキスト」 と書いてある部分を除くと全部で 42' 17"。

内容は, 五嶋みどりメッセージ, 作曲家インタビュー: ジュディス・ウィア, ジェルジ・クルターク, アレキサンダー・ゲール。
「作品について」 と称して, 全作品, 作曲家プロフィール, 作品解説 (写真とテキスト), 演奏 (アレキサンダー・ゲールのもののみ全曲で後は部分) というものだった。

中のテキストに 「ベッケト」 という誤植があった。

Saturday, 27th November, 2004.


晴。 五時を過ぎると大変寒い。 新宿駅で出口を間違えそうになり少し迷う。 若干の time loss. 16:40 頃にホールにチラシを運んでいるのを見る。 18:00 頃ホール前に行って一寸びっくりしたのは e+ のセット券引換所がまだあったということ。 ということは日曜日に来なかった (来れなかった) 人がいるということだろう。 現に交換している人がいた。 A program は直ぐに売りきれ, B program は比較的余裕があったことを考えると, 勿体ないことだと思う。 待っているときに男子高校生と女子高校生を発見。 女子高校生の方は vn を背負っていた。 後から女子中学生 (?) らしいのも二人。 一人は制服だがもう一人は私服なので違うかもしれない。
16:23 開場。 中にはいってみると, 放送日は未定だが NHK-BS2 の収録があるとのこと。 一階のロビーの窓の所に譜面台を置いて, そこに作曲者略歴のパネル, 楽譜などの展示を行っていた。 TV カメラは, 1F 中央最後尾と, 左右 14 列目あたり, それから 2F の R1-24 あたりに violinist の表情を捉える為らしいものがあり, 照明が 3F RL1-53 付近の所にしつらえてある。 マイクは中央 (vn 用) とやや上手に (pfte 用) と 2 sets 用意してある。

18:55 アナウンス。
ざっと見たところ, 客の入りは A プロよりは悪い。 が, 多分九割は入っていると思う。 P 席は最初七人 (26 席中), 後から一人入って来て八人になっていた。
19:07 客電落ちる。 今回の衣裳は大分シック。 色は深緑かな? TV 用?

Judith Weir 19:08 -- 19:16

Program に書かれた五嶋みどりの解説から (以下どうも生硬なところがあると思ったら, 英語からの翻訳らしい。 「編・訳: 花だ由美子」 とある)

一般に二つの楽器のための sonata は, 言葉の上では, 両方の parts が重要性に於て平等であると言われていますが, 実際には必然的に一つの楽器が上位の立場に立っている場合が屡々見られます。 しかし Music for 247 Strings は, 二つの楽器が殆ど全ての面に於て全く平等に重要性を帯びているが特徴です。 247 という数字は pfte と vn の弦の数を足した標準的な数です (pfte には可聴域より低い key を持ったものがあるので更に弦が多い場合があるから)。

十分余りのこの作品は十の短い曲から構成され, 続けて演奏されます。 生き生きとした輝きや, あざけるような突然の沈黙, 無邪気, grotesque な真似しあいといった humor が全体にちりばめられている曲です。 予期しない展開が次々と起り, 聴衆の背中がムズムズしてきそうです。 演奏が始まると, rhythm が簡潔で, 音楽的に (子供の遊び) Simon Says の強制的な game に似ていることが直ぐにお分かりになるでしょう (Simon says と言ったときだけその言葉に従う, そういったのに従わなかったり, 言わなかったのに勝手にその通りにしたら負け)。 二つの楽器の共生の関係が続き, 補足的な partnership がより明白になっていきます。 聴衆はどちらの楽器が lead しているのか推測するのを止めて, 二つの楽器の共同作業を単純に楽しむようになります。

その他に興味深い要素では, 四曲目に見られるような三本の音域の lines の範囲, つまり vn の line が三本の lines の真ん中にあるという特徴と dynamics の非常識的な使用法で, 静かなこの作品に comical な独自性を生み出しています。 又第七曲目では拍子記号が屡々変化します。 第八曲目には感情を高揚させるような glissando と四分音があります。 最後の曲, 第十番は, これぞ完結の感覚があります。 最初の緩やかな rhythm が消え, 充実した低い音で終わります。

やはり pfte が強く聞える。 段々 balance 良くなる。 何度も聴いて大分聞き慣れた所為か結構楽しい。

ここで入場者あり。

尹伊桑 19:18 -- 19:40

伊藤みどりの解説から:

尹伊桑の “vn と pfte の為の sonata” が始まると, 聴衆は即座に緊迫感と何かに対する反発心を感じるでしょう。 二つの楽器は持続的に激しさをましながら, dramatic に影響し合います。 最初の climax では, 主役の vn が高い悲鳴のような音を奏で, 敵対者の pfte は権威をかざします。 そして, vn は気力を失い, pfte が暴力的な興奮した雰囲気を押し付けているかのようです。

(中略) 音楽学者や評論家の中には, 尹の音楽と韓国 (又は中国/韓国) の伝統的宮廷音楽と楽器とを結びつける意見も多いのは確かです。 特に vn sonata では, この作品に頻出する trill の期限と思われる, ob の様なピリという韓国の伝統音楽についてや, 書道の一筆を思わせるような vn の運弓について言及がなされています。 尹の音楽には, 滞るような音符は一つも泣く, 絶え間なく変化する表現と energy が full に充満しています。

晩年に書かれた vn sonata は, 1990 年に作曲された 「弦楽四重奏第五番」 の中でも使われた自叙伝的手法とも言える標題音楽の様式を構造的には受け継いでいます。 最初の climax の後に, 短いながらも鳥の歌のような甘く美しいところが出て来ます。 どちらかというと叙情的であるこの部分が暫く続く一方で, 音楽の進行上の主役である vn が, お祭り気分の背景の中で, 解放を求める気持ちの起伏が, 音符の articulation の勢いに表され, 人生の荒波に身を投げ出しているかのようなところがあります。 三つに分かれる部分の最後の部分で, 正義を巡る定義の複雑さと自身の力不足を悟り, 静寂の中に内面の平和を徐々に見出していきます。 これは決して happy ending ではありません。 寧ろ ‘生きてきた’ 事を通じて体得した静穏と悲劇と言えます。 この sonata は二つの深いため息をつき, 消え入るように終わります。

Pfte の和音が素敵。 Pfte の唸りが気になる。 席の位置が悪いらしい。 それ以外は豊かな響きがありとても良い。

《20 分休憩》 19:42 -- 20:02

CD 売り場のお姉さんが走っているのを 2F から目撃。 Pfte は調律している。 1F ロビーで記録写真 (?) を撮っている男あり。
この休憩時間中に客かなり増加 (95% 位?)。

20:02 客電落ちる。

Alexander Goehr (ドイツ生まれ, イギリス在住) 20:02 -- 20:17

五嶋みどりの解説から (譜例が載っているが省略):

この作品は Harvard 音楽教会から委託された作品で 25th April, 2000 に初演されました。

この作品は三つの楽章から構成されており, 全体的に Hebrew 風の性質を帯びており, Goehr が若い頃一時期シオニズム group の一員であったときの影響が考えられます。 2nd Mvt は, 特に, ユダヤ音楽や Hebrew 音楽の特徴である増三全音が強調され, 心に響く不協和音, 声楽 style の装飾音符が出て来ます。 この作品は, 幾つかの印象的な旋律や motif の移調と転回が繰り返し見られますが, 無調です。

1st Mvt の prelude は, vn の recitativo で始まり, この楽章の主要な楽想が全て紹介されます。 速度の変化によって分離された複数の分節があり, それぞれの分節は, opening の recitativo の一部が使われ, 何か違うものや新しいものを産み出しています。 Goehr は特別そのように呼んではいませんが, 実際は, 分節毎の一連の valiations のような楽章と言えます。 恐らく最初にこの曲を聴いたときに, 印象に残るのは曲の最初に出てくる五連符でしょう。 例えば, この motif は何度もこの楽章に出て来て, pfte と vn の双方によって奏でられますが, それぞれ少しずつ違っています。 この楽章の最後もこの motif が現れて終わります。

第二楽章は, title が 「雨の歌 “夏の日々が過ぎて” valiation と共に」 となっており, 出所の確かでない中世 (九世紀から十一世紀) の Hebrew の acrostic な詩に基づいています。 Acrostic な詩では, 各行頭の文字が作家の名前などの重要な何かを綴っていて, 中世のユダヤ文化では一般的な詩の形でした。 この 「雨の歌」 は, 特に, 収穫を祝う喜びの歌です。 Theme は, offbeat の, いつも小節の第一拍目に来るとも強拍に来るとも限らない accent の付いた拍によって特徴付けられていて, どちらかと言うと, 修辞的で段々と装飾が増していきます。 Theme の最終分節は, 特に nostalgic で, vn が harmonics を奏でることでその感情がより高まります。 それぞれの variation は明確な rhythm pattern で特徴づけられています。 二番目の variation は, 特に拍子が混交しており, offbeat の accent (syncopation の変形) があり, 演奏者にとっては技量が試されるところです。 この種の複雑さは, tempo を高める rhythm の非同期化が行われる新しい音楽の分野では典型的です。

3rd Mvt の 3 part invention は, 前の楽章を引き継いだ第五 variation の様です。 他の楽章に比べて遙かに短く, 対位法的に書かれており, 伝統的な音楽要素を, 個性的に現代風に操る Goehr の熟練の作曲技法を示した楽章です。 この楽章は, 特に Bach の style が顕著で, 時代を超えても作曲家にとって絶対不可欠のものの一つであると考えられている対位法を熟知し, 上手くかかれています。 Title からも察しがつくとおり, 三つの parts に分かれており, その間に二つの episodes が挟まれています。 対位法でかかれた作品に典型的な, 全体的に清々しい雰囲気がして, 激しい部分は曲の最後に現れ, pfte は一つの音を奏で, 唐突ではありませんが, 滑稽な印象を与えます。

Vn solo に深みがある。 ハーモニクスも綺麗。

ここで入場者と退場者とあり。

Geörgy Kurtág (ルーマニア生まれ, フランス在住) 20:19 -- 20:27

五嶋みどりの解説から:

この作品は 1979 年に作曲された三つの歌曲を元に vn と pfte の為に書き直されたもので, 時間, 空間, 音の新しい感覚を呼び起こさせます。 この作品についての分析も重要ですが, 「三つの楽章」 は, 単純に聴衆を特別な世界へと運び, 聴衆としての満ち足りた経験を提供します。

Kurtág の作品に共通している特徴とも言えますが, 「三つの断章」 は大変凝縮された作品で, 空虚な瞬間はありません。 全く装飾が施されていない点も注目に値します。 Kurtág 自身が 「一つの音で自分の描きたい曲の全容の殆どを表現することが出来る」 と語ったことがあるように, この曲では, 細心の注意と並外れた集中力で, 音符を最小限に選んで使っていることが伺えます。 それ程個々の選ばれた音符には無数の表現と意味があり, 彼の思い描く人間像が現れています。 Kurtág は, 誇張することなく, 内面の創造的 motivation に背くことなく, simple で思慮深く, direct な音楽を書きます。

そういう意味では 「三つの断章」 は Anton Webern 作曲の 「四つの小品 op. 7」 と比較すると興味深いです。 Kurtág の作品は Webern の作品よりも試験的な要素が少ないように感じられますが, 両方とも, それぞれの音符の中に無限の世界が広がっているのは確かです。 Webern が gesture や音楽の中に messages をぎっしりと詰め込もうとしているのに対して Kurtág は, 邪魔になるような要因を取り除いて communicate しようとしているようです。

「三つの断章」 は, 全編に亙り, vn が mute をしたまま演奏されます。 vn の開放弦をふんだんに使用し, pfte のもたらす音色によって保管された, 抑えられた音は, mysterious で, 奇跡的な響きを醸し出します。 三つの断章はどれも短く, 雰囲気はそれぞれ特徴的で, 第一章の夢のような雰囲気から第二章の Scherzo へ, そして聖歌のような第三章へと続きます。 しかし, それらが一体となって, “現実” の異なる本質に対する深い印象を聴衆の中に刻み込みます。

静けさの中に深みがある (静かな曲なので客の出す noises が気になる)。 思ったよりも vn の音ははっきり聞こえる。 陶酔してしまう感じ。 2nd Mvt は激しい。 3rd Mvt は再び静謐で深みのある感じ。

Witold Lutosławski 19:29 -- 20:44

五嶋みどりの解説から:

この作品は vn と pfte の為に書かれた傑作で, 深い感動を与えるこの作品には, 大曲に相応しく, 想像できる限りの全てが含まれています。 この作品は生気に溢れ, 非常に力強く, 演奏者も聴衆もその power に圧倒されます。

この作品は, Minnesota 州の Saint Paul 室内楽 orchestra が当時音楽監督であった violinist の ピンカス・ズッカーマンと pianist のマーク・ナイクルグの為に Lutosławski に委嘱し, 1984 年に作曲され, 作曲家自身が 「代表作の一つである」 と comment しています。 January 1985 Saint Paul でズッカーマンとナイクルグの duo によって初演され, この作品は, 現代曲の genre では, 頻繁に演奏される作品となりました。 1988 年にアンネ・ゾフィー・ムターの request で orchestra 版が作られてからは, 急速に人の知るところとなりました。

(中略) Partita は, 三つの主要な部分が, 偶然性の手法で書かれた半即興的な二つの adlib sections によって結合されています。 それぞれの楽章と adlib sections は休みなく演奏されます。 作品全体を通して, 情熱がみなぎり, drama が感じられ, 調性とは関係のない半音の動きや, 音符の繰り返し, cross rhythm といった要素が多く見られます。 しかしながら, その結果, 重い響きになったり, 無調の code や rhythm の混乱に陥ったりするわけではなく, 確信と感性に満ちた出会いと分かれが, 驚くほど独立した pfte と vn の二つの lines に存在しています。

1st Mvt の allegro guisto は, 押さえ難い勢いを持って始まり, pfte と vn は主として緊迫した音を奏でます。 印象的な歌のように感じられる瞬間や強く好奇心をかき立てられる神秘的な瞬間が点在するのは, vibrato なしの双方や glissando, 四分音が, この楽章では考慮の末に使われていることの成果でしょう。

Allegro giusto と Largo を繋ぐ adlib section はこの作品の後半に回想される他の二つの adlib sections と同様に, 偶然性による passages の典型的なもので, Lutosławski 自身が演奏者に対して, 「vn も pfte もいかなる方法でも coordinate されるべきではない」 と明確に指示しています。 ですから, 演奏者はそれぞれの part を即興の cadenza を弾くかのように演奏します。 曲想は徐々に高揚して, Largo を迎えます。

この作品の感情的な中核を担うのは, この largo の section です。 力強い生命力を感じさせながら, 音楽の内に秘めた energy は増していきます。 Largo の後には別の adlib section が続き, 不規則な rhythm が容器で energetic な最終楽章への道筋を整えます。 短い中間部分は, Szymanowsky の vn 音楽を思い出させ, 演奏可能な一番高い音域で弾かれる, 限界に近い cantabile と vn の harmonics が印象的です。 最後の adlib section の直後にこの楽章の coda が続き, 壮観な ending へと進んでいきます。

前の曲との間は短い。 曲が始まる前に 2F の L1-13 付近から program とチラシとを落した人があり。 ハラハラと落ちて一寸良い感じだったが, 紙じゃなかったら大変なことに。 丁度ステージと客席の間あたりに落ちた。
2nd Mvt がとても素敵。

女の子二人が花束。
現代音楽関係のコンサートでは普通アンコールをしないが, 今回もなし。


朝日新聞, 夕刊, Monday, 24th January, 2005, 「音楽 五嶋みどり バイオリンリサイタル」 という記事:

一ヴァイオリニストの枠を超えて, 広く社会に開かれた活動を展開する五嶋みどりだが, 今回の公演は, 彼女の全人格的な活動の本の一齣という限定付きで考えても, 高邁な理想とたくましい意欲, それらを実現する高度な資質が全ての活動を内側から支えていることを実感させるのに充分だった (12 日, 東京オペラシティコンサートホール)。

五曲の現代作品を並べた演奏会に多くの聴衆が詰めかけること自体, 五嶋の活動の性格と意義を端的に物語っている。 曲は順に Weir, 尹伊桑, A. Goehr, Kurtág, Lutosławski のもの。 奏法や響きは近代までの範疇にある曲ばかりだが, 作風は色とりどりで, 楽器にも聴衆にも無理を強いることなく, この旋律楽器の多角的な側面を堪能できる配列だ。 Weir と Goehr は英語圏で活動する五嶋ならではの選択だろう。

Weir の 「247 本の為の音楽」 と尹の vn と pfte の為の sonata 第一番で, 既にグァルネリが醸し出す深く暖かい音色と五嶋の流麗な phrasing が顕著だった。 それは, 古典作品でこれまで感じてきた五嶋の厳しい音楽作りから予想されるものとは一寸違う。 厳しさは, 作品そのものからにじみ出てくるものに任せ, 演奏は寧ろそれを親しみやすいものに矯め直す作業のようだ。 共に意外なまでに角の取れた演奏で, その結果 wit や激情よりも, 構造的な要素が前に出る。

Goehr の 「組曲」 の擬ユダヤ風の旋律も, もっと粘っこく弾く人はいるだろうが, 寧ろあっさり味。 興味深かったのがウェーベルン風の沈黙の世界とも言える Kurtág 「三つの断章」 だった。 安定して持続される弱音のほのかな温もりが, 作品の冷気を中和する。 解釈としては異例だが, ここまで五嶋の approach は終始一貫している。 逆に, 作品相互の強い対照性は物足りないきらいがあるが。

重音を取り混ぜて敏捷に跳ね回る楽想と叙情的な走句の折り合わされた Lutosławski の Partita では, 馴染み深い五嶋の顔に出逢った気がした。 でも, 五嶋の意図は, 寧ろいつもと違った自分を聴いてもらい, 聴き手一人一人に新たな事故を見つめる眼を持ってもらうことだろう。 それは叶えられたのではないだろうか。 Pfte はRobert McDonald.

長木誠司


2005 年のコンサート鑑賞記録の目次
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