21 世紀の音楽地図

Saturday, 26th February, 2005.
神奈川県民ホール 小ホール
(13:04 -- 14:01) 15:00 -- 17:30


21 世紀の音楽地図 Music Outlook for Tomorrow
21 世紀を拓く若手作曲家六人の新作と, 20 世紀の巨匠若き日の名作, 世界の 「現在」 を鮮やかに結ぶ

呼び交わす世代

John Cage: She is Asleep, 1943.
Quartet for 12 Tom-Toms
Duet for Prepared Piano and Voice.

原田敬子: 第三の聞こえない耳 IV 独奏 bass fl と室内楽のための, 2004 -- 2005, (Third Ear for Deaf IV, for solo bass flute and chamber ensemble) 世界初演

武満徹: マスク〜二本の fl の為の MASQUE for two flutes, 1959.
Continu / Incidental

Giorgio Taccani: CHANT D'Hiver (for violin, tape and live electronics), 1995. (冬の歌)

可知 (かち) 奈尾子: 解放〜九人の奏者のための Liberation〜For 9 Players (new work world premiere), 2004.

鷹羽 (たかは) 弘晃 (ひろあき): ダ ダダ カサンドラ, 2005 (DaDADA Cassandra) 新作世界初演

Ensemble NOMAD:
佐藤紀雄, 音楽監督, cond. & G.
西沢幸彦, 木ノ脇道元, fl.
菊地秀夫, cl.
野口千代光, vn.
甲斐史子, 須田祥子, va.
菊地知也, vc.
山本修, CB.
宮本典子, 加藤訓子, perc.
稲垣聡, 中川賢一, pfte.
吉川真澄, vo.
松沼康一, electronics.


Kanagawa Arts Press vol. 62. January, 2005 の記事から

○音楽に世代が映る, この不思議
二回 series の concert 「21 世紀の音楽地図」。 国籍の違う若手作曲家を集めた第一回目の concert に対して, 第二回目は日本で実績を挙げてきた三人の作曲家を取り上げる。 今回登場する三人の作曲家を紹介しよう。 先ず, 数々の音楽賞を総なめにする原田敬子。 日本の若手を代表する作曲家だ。 次に名古屋を中心に活躍し, 力強く scale の大きな作品で高い評価を受けている可知奈尾子。 そして最年少の鷹羽弘晃。 卓越した piano, 指揮でも活躍し, 最近立て続けに新作が初演されるなど, めきめきと実力をつけてきた期待の新人。 この三人の作品を聴き比べると, 同じ日本にいながら, 一寸した世代の差や情報の切り取り方で, 見せる世界が違ってくるといったことが分かる興味深い line up だ。 新作三曲が一挙に聴けるだけでも贅沢なもの。 しかしそれだけではない。 それは...。

○ますます heat up! 過去と現代の力作が激突する音楽 battle
現代音楽というだけで眉をひそめる人も多いはず。 「21 世紀の音楽地図」 ではそんな人達もうならせる “仕掛け” を用意。 第一回目では若手作曲家の新作とスティーブ・ライヒ, 一柳慧, ストラヴィンスキー音名作を並べたように, 今回は若手三人の新作に武満徹, ジョン・ケージの革新的な毛作をぶつける。 “今” を生きる作曲家達は 「20 世紀の巨匠」 達に挑戦しなければならないのだ!

この仕掛けにはわけがある。 仕掛人, 監修者の佐藤紀雄の言葉を聞いてみよう。 「現代音楽の演奏会というと, 初演物に偏りがちで, 現代の古典, 近過去の重要作は意外と生で聴けない。 今回の催しは, 過去を振り返り, 歴史の厚みを経験しながら, 未来に進んでいくようにしたいのです」。 そんな問題意識から他に類を見ない scale の大きな concert が実現した。

○音楽の楽しみ方, 教えます
その他, vn と electronics が絡み合うという Itaria のGiorgio Taccani の異色作を加えた全六曲, 二十世紀から二十一世紀, 様々な層の世代の音楽を掛け合わせる大胆な program を支えるのが ensemble NOMAD の演奏だ。 それぞれが個性的な soloists として注目を集める若手のたの演奏家達が集結したこの group は, 幅広い音楽の楽しみ方を教えてくれる。 彼等でなければこの concert は成立しなかった。

○外へ, 外へ。 開かれた 「音楽」 を目指して
しかし, 唯 concert を開くだけでは詰まらない! 開演前には新作を発表する作曲家と ensemble NOMAD の members が出演する speceial talk を開催。 そして終演後のロビーは, wine 片手に観客と artist が交流する場と変わる。 「音楽」 をもっと開かれたものに! 神奈川から生まれていく熱い音楽の息吹を是非感じてください。

神奈川県民ホール開館 30 周年記念
「21 世紀の音楽地図」 〜 呼び交わす世代


前回 Sat. 11th Dec, 2004 の続き。

曇後晴。 風が強く寒い。 ホールに着いてから, 今日は雪が降るらしいと言っている人がいた。 私は気づかなかったが, 実は降ったりやんだりしていたらしい。 大ホールの方ではアグネス・チャンのユニセフ講演会なるものをやっていたらしい。

スペシャルトーク: 13:04 --14:01

客は二十人位いるのかな? 舞台下手から順に佐藤紀雄, 原田, 可知, 鷹羽が着席。 前回の反省に基づいて今回は実演なし。

先ず作品について。
原田: 耳を澄ますと聞こえてこなかったはずのものが聞こえてくる。 実際にはないはずの耳 (作曲家としての耳) で聴いた音。 聴いた人, 演奏者のコメントを聞きたい (佐藤: レセプションでどうぞ)。 タイトルのイメージを限定したくない。 (タイトルを) 読んで直ぐ分かるものを避けた。
可知: 人の様々な面 --- 客観的, 主観的な面; 作曲家としての面, そうでない面; 閉ざされている, 或いは開かれている。 曲一つ, 全体で一くくりの form. 開かれている時間経過の変化。 タイトルと内容。 自分の内なるものの解放 (?)
鷹羽: 激情的な (劇場的な?) 激しい曲。 吉川真澄 (sop. の image)?

作曲家の先輩に対して, 過去の作品についてどう思っているか。
鷹羽: 財産。 そこから学んで来た。 新しい曲を書くというのはあるが, 新しい音楽を作る, という意識はない。
可知: 新しい音楽とは? 音楽を楽しみたい。 使命感は二十代の時はあった (?)。
原田: 何か新しい idea を出していきたい。 Concept だったり, 今まで意識化されていないものを意識化する。 演奏という視点から見ても, 過去はないがしろに出来ない (?)。
鷹羽: 音があれば音楽。 どう編集するか。 (佐藤: ピタゴラス主義者?) スタイルを最初に選んで最近は書いている。

未来に向けて。
可知: 東京で又コンサート。 木村かおり, ピアノソロ, 3/1 東京文化会館 19:00 (現代の音楽展2005 第1夜 第9回朝日現代音楽賞受賞記念 木村かおりリサイタル "Acrostics" (松平頼暁) "Expectation2〜for Piano〜" (可知奈尾子) 「パサージュ」 (佐藤昌弘) 「ピアノのために―円環と交差」 (三善晃) 「ニワムシクイ」 (オリヴィエ・メシアン)). オーケストラ曲を書こうと (夏過ぎになるか?)。
原田: 日本での演奏 level が上がって来た。 技術面でも心の面でも。 深いところの解釈。 佐藤: (解釈というのは) 「答」 があって, そこに向かっていく image が一般的だが, 主体的に作り上げるもので, 唯一の正解があるわけではない。 Simple な曲だが演奏が difficult とか, 逆に complicated な曲だが, 演奏すればそのまま曲になったりとか。

音楽と社会について。
可知: 社会の動向は気にしている。
鷹羽: 時代を考えてはいるが, 前面に出るか, 背景に隠れるかは曲によって違う。
原田: 多くの人にとっては 「音楽」 は娯楽。 「社会」 とは何処まで? 質のいいものを出して, responses があって社会との関わりが出来る。

14:32 開場。 舞台下手から pfte, 三連の Tom-Toms が 4 sets (丁度 sop, alt, tenor, bass の様に). 小学生の男の子がいる。 静かに聞けるのかな? (と思ったらちゃんと最後まで静かでした。 うるさいのは別の大人だった)
私の左側ががらがら。

15:00 チャイム。 六, 七割位の入りでしょうか?

Cage: She is Asleep. 15:05 -- 15:17

Quartet: フーガ調になったりする。 静か。
Duet: Sop は下手, ピアノの直ぐ奥でマイクを持って歌う。 難しそう。 Prepared piano が面白い音を立てている。

ここで一柳慧登場。 原田とトーク。 一柳は原田の音楽を 「硬質」 だと言う。

原田: 第三の聞こえない耳 IV (貰ったプログラムの一頁目にはこの表記であるが, 内側の作曲者自身の program note によると 「聴こえない」 である。 どちらが正しいか不明であるが, 多分 「聴」 の方ではないかと思われる) 15:28 -- 15:45

優れた演奏家や指揮者との出会いに恵まれなければ, 続けて来られなかっただろう私の捜索活動において, 確信したことがある。 それは “人間の身体の持つ驚くべき可能性”。 これはやがて直ぐに作曲上の ideas と結びつくようになり, 私は人間がその身体を駆使して演奏するための音楽を意識的に選んで作曲するようになった。
 かつては, 自分独自の響きを, 音のたった一粒の単位から発明すること (それを, 独自の alphabet と呼んでいた), つまり “音の状態” を如何に創れるかということに執着した時期があった。 そこで発明された響きは, 確かに新鮮で魅力的だったが... 決定的に何か欠けていた。 それは, その響きを実現する “演奏者の内的状態” (身体と, それを control する脳) への意識の欠如, それに気付かせてくれたのは, 他でもない, 優れた演奏家達だった。
 音が, 新規さや表面的な手触りの良さを超えて, 真に “響き” となって空間へ, そして聴き手へと届く力を持つ, それが私にとっての音楽。 そのきっかけを, 作品の中に埋め込み, 具現者である演奏家を先ず刺激したい。 「演奏家自身の内的状態の変化なしでは, 新しい ideas による音 (楽) が, 新しく響き, 聴き手へと届くことはない」 という実に基本的な考えに基づいて, 作曲の方法に結びつけている。
 具体的には, 慣習的演奏方法からの逸脱。 基礎的な能力の最大限の応用だ。 指揮者に依存する演奏や, texture を理解せず (或いは相手を聴かず) に演奏することを不定期的に不可能にしている。 詳しい例としては, 一部管理された即興や, 演奏の度に変わる相手の音高を聴きながら, その四分の一高い音を演奏するなど。 しかしこれは演奏家への警告の目的ではない。 慣習的な演奏方法ではないものを取り入れることで, そこで生まれるこれまでには無い level の (或いは種類の) 集中, 緊張, 緩和... 等により, 音楽の時間を新しく創造し, 演奏家自身の聴き方や音楽時間の drive の方法を変えていくこと, それによって音楽の全体 (響きや tension 他, 音楽を構成する様々な要素) が有機的に共振することが目的だ。

“第三の聴こえない耳” はこれで大きくは四作目となる。 常に fl や recorder の持つ特徴的な性格を, 想像を膨らませて創造へと発展させて来た series だ。 七年もの blanc がある NOMAD との機会だが, 共に活動を重ねてきた仲間もいて心強い。 限られた rehearsal 時間で, 演奏家との切磋琢磨が出来るだろうか... 作曲家の仕事はまだ終わらない。

Pfte                   Perc.
solo Picc & bass fl, picc & fl, cl & bass cl, CB.

最初: Pfte の弦を指で直接はじく。 銅鑼を弱く連打。
15:35-- 緩んでいる中にも緊張が走る。
15:37-- Perc の鋭い音で一点。 solo が picc になり, 直ぐ又 bass に。 緊張が高まっていき, 静かに引き伸ばされた音が自然に消えて終了。 (意識の流れ?)

武満徹: マスク --15:55

武満 29 際の年, 1959 年 8 月に 20 世紀音楽研究所の第三階軽井沢現代音楽祭で, 林リリ子と小出信也によって初演された。 「二本の flutes は互いに見計らい, 呼吸をはかりながら流動的な線の模様を編んで行く」 と作曲家自身が述べているということである。

二曲とも静かで旋律的であった。 2nd fl は金? Continu より Incidental の方がやや動きがあるか? そうでもないか?

《休憩 20 分》 睡眠不足なのか, 花粉症の薬の所為か分からないがやたら眠いので休憩時間は席で寝る。

16:12 チャイム

Gerogio Taccani: Chat D'Hiver, 1995. 16:15 -- 16:25

電子音は左右前後と駆け回り, solo vn も疾駆し, 或いは又ためらいがちに歩みを止める。
電子音の冴えた, 或いは冷たい響きが 「冬」 なのか?
vn の弓の毛が切れたのが見えた。
終りはなんとなくとりとめのない感じ。

可知奈尾子: 解放 16:28 -- 16:38

(最初に作者不明, 新井満役の 「千の風になって」 の引用)

今回お聴きいただく作品は, 昨年直面した最愛なる父の死, そしてその悲しみを乗り越えて行く葛藤の中で生まれました。 “魂の解放”... 正に私の心象そのものd酢。
---今に生き, いかされているものの魂 そして, 今は亡き人の魂---
閉ざされた空間を越え, 時空を越えて解き放たれ, 自由な感性で共に羽ばたいて行きたい...。
そんな思いを込めて筆を進めました。
 色彩感のある音響, その音響から生まれる異次元的な空間や時間経過, これらの仮想現実 (virtual reality) 的な体験を通して, 作品の concept を感じ取って頂ければ幸いです。

(最後に謝辞)

Pfte   Perc   Marimba
Guitar, fl, Sop sax, vn, vc CB

何となく主題らしきものがあるが比較的前衛的な前半。
Pfte が妙に古典的な旋律を演奏し始めると, 全体的に古典的な色彩を帯びる。
不思議な暖かさに満ちている。

ここで逃げるように観客が 5, 6 人去って行く。

一柳, 可知, 鷹羽のトーク。
可知は名古屋から来てホテルに缶詰めになっていた。 基本的には三つの音しか使っていない。 解説の詩は単なる引用。 Guitar のみ PA を使っている (昨日 balance の為に入れた)。 (PA は) 殆ど分からない。 内容重視。 中身から新しいものが出れば良い。 最初七人の曲だったらしい。
鷹羽: 演奏に 40 分位かかる。 新しい創造はするが, 前の音楽の上に立つ, 立たざるを得ない。

鷹羽弘晃: ダ ダダ カサンドラ, 2005. 16:48--18:27

「カサンドラ」 とはギリシャ神話のトロイアの王女。
彼女はアポロン神に 「真実を予言することは出来るが誰もそれを信じない」 という呪いをかけられてしまった。
 アイスキュロスは彼女の苦悩の叫び声を 「アガメムノーン」 の中で, onomatopoeia (擬声語及び擬態語) で描いている。
 カサンドラ, 真実を現代に放出してくれ。
 アンサンブル・ノマドに捧ぐ。

   銅鑼  Perc
fl vn    vc cl Guitar.

暗転して始まる。 最初 Perc, vn, vc のみ。 fl が上手から, 次いで cl が下手から演奏しながら登場。 トークで言ったほどには古典的ではない。 不協和音の unison. Guitar 客席の後ろから弾きながら登場。 下手から fl, vn の後ろを通り, 中央から前を通って上手へ。 Guitar solo は古典的かも。 (Guitarist の) Splechstimme.
16:57: banda で sop. 下手から sop. 登場。 "Da da" "ma" "pai" というような音による歌唱 (鷹羽氏に拠ると da, と pai が基本的だそうだ)。 音階が飛び, 意味のない歌詞で難しそう。
Sop が "da da da" と顔を向けた方向の楽器が演奏する。
17:00 vn が前 (sop の上手側) に出てくる。 17:04 sop 銅鑼の後ろへ。 vn は元へ戻る。 今度はギターが主体 (琵琶のような演奏)。
17:05 銅鑼を摩擦。 fl 前へ。 17:08 fl に (sop が) 吹き戻しを付けるが鞠効果がみられない。 vc 前へ (弓に鈴)。 宗教的効果? 演劇的要素。 演奏が弓を振るなどの効果音に。
17:10 sop. conical ビーカーに入れた鈴を振り踊る (vc の鈴をはずして入れる, 元から沢山入ってはいる)。 この際鈴が一つ落ちる (これは意図されたものだそうだ。 本当はもっと落ちる予定だったとか)。
17:12 vc 戻る。 Sop. solo. Tutti.
17:14 sop. 前へ。 ドラムと共に演奏。 楽譜が落ちそうになり (これは意図されたものだそうだ。 只本当はもっと落ちる予定だったとか) 押さえたところで (sop が) 哄笑。
17:18 cl 前へ。 先程落ちた鈴を足で蹴って音を立てる (もう少し大きくする予定だったとか)。
17:20 cl と sop がお辞儀 (鳴き交わし?)。 各々時計回りに回転。 一周して又お辞儀。
17:22 cl 戻る。 tutti. accer. いったん止まって又 (繰り返し?) Sop. 倒れる。 銅鑼強打。 演奏者達各々立って反対側に歩いて, guitar も弾きながら客席に退場。 銅鑼連打 (固いばち)。 GP. 連打。 銅鑼強打。 Perc. 客席を向いたまま暗転。

カサンドラとの関連もう一つ分からず。

懇親会。 ホールの人と, 佐藤さんの挨拶あり。
前回作品を発表した Peter Gahn 氏の顔も見えた。

なんだか歳を取った所為か, 前衛的なものより古典的なものの方が聴き易くて良いと思うようになって来た。VISIONARY MUSICを聴いたあとは暫く現代音楽はお休みするか。


2005 年のコンサート鑑賞記録の目次
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