夕鶴

Wednesday, 23rd November.
日生劇場
14:00 -- 16:23


「日生劇場オペラ教室」 一般公開

團伊玖磨, 作曲,
木下順二, 作.
夕鶴

つう 臼木あい
与ひょう 小林祐太郎
運ず 吉川健一
惣ど 藤澤眞理

現田茂夫, 指揮
鈴木敬介, 演出
読売日本交響楽団


結婚してから初の音楽会。
こんなに早く結婚するとは思っていなかったので, デートの為に買ったのだが, 単なる夫婦のお出かけの日になってしまった。

I 14:05--15:30

幕が開くと, 雪景色の舞台。
赤い照明が当たっていて, 中空に白い布が山を模して浮かんでいる。 ああ, 鞍点が出来ているなあなどと思う。 雪も舞っている。
つう が既に与ひょうの家に来ている。
与ひょうが鶴を助ける場面から始まるかと思いきや, 子供達が つう を呼びに来る場面からだった。
子供達が言っている遊びの名前を聞いてもその名前が分からないものがある。 原作本を読んで, 注でも見ないと駄目だろうか。 この点プログラムには何も書いていなかった。
字幕があって, 日本語なんだから字幕なんて不必要じゃないかと思ったらさにあらず 「はた (機)」 とか, 聞いても分からないものがある。 分かっていても何故か字幕を見てしまう。 いいんだか悪いんだか分からない。
つうのかつらは没になったものとは違い, 真ん中で束ねて垂らしているものであった。
つう の動きはいかにも鶴っぽい。
つうと与ひょうの家舞台下手 (向かって右側)。 僕らの席は上手 (向かって左側) で前から二列目だったので, 一寸見難い。
つうが裸足だったりする所為か, 暖房がかなり入っている。
ホルンが一幕一箇所, 二幕でも一箇所変な音を出していた。
運ず か 惣ど のどちらだったか忘れたが, 金の亡者じゃない方が歌詞を一箇所間違えた気がする。
機織の音は, harp と小太鼓 (?) とティンパニー (?) らしい。 つうの不安感を出す為に通常の古典的音階でない音の動きが多いので, つうの臼木さんはかなり歌いにくそう。
第一幕終わりの所の観客の拍手早過ぎる。 せめてオケの音が鳴り止んでからにして欲しい。

《休憩 20 分》

休憩時間には掃除機の音がしていて, 雪として降らせた紙を片付けていたらしい。

II 15:50--16:17

 メイクもやつれた感じ。 服にも血がにじんでいる。 この服は途中で鶴に早替りするのだ。 木の棒を二本飛ばしていた。
最後鶴に向かって与ひょうが右手を上げる, つうの織った布が一枚落ちる。 惣ど (? 金の亡者の方) がそれを拾おうと手を伸ばしているところで幕。 「鶴の恩返し」 (鶴女房) って, 与ひょうがその布を つう の形見だからと言って決して売ろうとしないんじゃなかったっけか?

自然原理の代表たるつうと, 人間社会の原理たる運ず と 惣どの間に挟まれた与ひょうが, あまりに素朴であるが故に起きた不幸の物語というのが 「夕鶴」 であるような気がする。 良く考えれば, 最初に つう の織った布を売ってしまったのが間違いの始まりであるが, 結局, 田舎にいたとしても (与ひょうに限らず) 人間社会の原理から逃れることが出来ないというのが人間の不幸ということなのであろうか。

アリアというものが特にあるわけではないので, 美しい歌というのはないが, つう の鶴のような仕草が美しい。
一幕と二幕の切れ目がこんな所でいいの? と思ったのと, 時間配分があまり良くない。

そういえば妻が opera は二度目のはずなのに, カーテンコールを知らなかったのには一寸驚いた。

右隣のオヤジが飴の袋をがさがさいわせたり, 妙な手の動きをしたりさせてうるさかった。


後から仕入れた情報なのだが, 千葉商科大学大学院教授 CFP の伊藤宏一氏によると

木下が題材にした 「鶴の恩返し」 の話は, 実は金山を擁する佐渡の民話であり, 金に人々が取り込まれ, その引き換えとして, 鶴に象徴される日本の美と自然を失っていくという含蓄が 「夕鶴」 から見て取れる。

お金の記号化
点鐘
日教組教育新聞 No. 2531.

のだという。

Saturday, 20th May, 2006.


劇作家の木下順二が 2006/10/30 に亡くなっていたことが, 2006/11/29 分かった。 92 歳。


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