鶏と卵

Wednesday, 12th July, 2000.

良く知られた「どっちが先か」という論争についてである。

曰く「鶏が卵を産むんだから鶏が先」, 或いは「卵から鶏が生まれるのだから卵が先」で, どっちもそれなりに言い分があって決着しないということである。

「〜の卵」というときにその「〜の」という部分の意味は何なのだろう ? そこが key point であるように筆者には思われる。前者の論点は「〜の」というのは産んだものの卵ということ (〜の産んだ卵) であり, 後者の論点は「〜の」という部分はそれから生まれてくるであろうものによって決まる (〜の生まれてくる卵) という主張である。

通常両者は一致する。何故なら DNA によって, ある親からは通常同一の種の生物が生まれてくるからだ。

しかし卵と鶏とどっちが先かと言うときは,「史上最初の鶏」を問題にしているのだから, これは当てはまらない。鶏でない鶏の祖先が産んだ卵から鶏が生まれてきた状態を想定していて, この卵は何の卵かということを問題にしていると思われる。

進化というのはどうして起きて来るのかというと, 最近の生物学の説では, とにかく一定の割合で遺伝子 DNA に突然変異が起きる。その結果生じた形質が, その生物にとって都合がよい (或いは最近は人間にとって都合がよい) とその形質を持った個体の遺伝子が広まり, そうでなければ淘汰されていってその遺伝子は子孫に伝わらない, というのだそうだ。(中立説とか言うらしい)

だから最初の鶏もたまたま鶏でない直接の祖先から突然変異で生まれてきたと考えねばなるまい。従って, 段々変化してきて鶏になった, というような曖昧な状況は想定しないでおく。

さてそうしたとき, 当然その最初の卵は鶏の祖先の卵と呼ぶべきなのか, 鶏の卵というべきなのか, どちらなのかということであろう。

比喩的な意味 (医者の卵, 音楽家の卵 &c) を除けば, 普通, そこから何が生まれてくるということを想定しないで, 何が産んだ卵かということで名前がついていると思うのだがどうだろう。今の鶏の卵だって, そこからは本当は進化した別の生き物が生まれてくるかもしれないが, それ以前に「鶏の卵」として食べてしまっている。無精卵はそこから決して生物が生まれてくることはないが, それでも産んだ親の名前を冠して「〜の卵」と呼ばれている。精子や卵にしても, そこから何が生まれてくるかではなくて, その親の名前を冠して「〜の精子」「〜の卵」と呼ばれている (そうじゃない ?)。

というわけで, 最初の鶏は鶏ではない直接の祖先の卵から生まれてきたのであり, その最初の鶏の産んだ卵が最初の「鶏の卵」である。従って鶏が先。というのが私の結論だが, 皆さんどう思う ?

...ということを帰りの道すがら考えたのであった。


Saturday, 4th November, 2006.

ところで種無し西瓜の種というものが存在する。

という話を聞くと, 多くの人は当惑する。 「種無しなのに, 何で種があるのか?」 と思うわけである。 つまり, 多くの人は, 「種無し西瓜の種」 というものは, 種のない西瓜から取れたものだと思っているのであろう。

しかし実際は, 種無し西瓜の種というのは 「種無し西瓜が育つ種」 のことであって, 普通の西瓜をコルヒチン処理して四倍体にし, 普通の西瓜と交配して作った三倍体の種のことを言う。 つまり普通の西瓜を処理して作った種である。

こういう説明を聞くと, 多くの人は, 何だ騙された, というような感想を抱く。 種無し西瓜を作るための種だなんて, というわけである。

だが, これを上の話と一緒にして考えると, 「鶏の卵」 を 「鶏が産んだ卵」 と思わないのが不思議である。 最初の鶏は絶対に間違いなく鶏でない直接の先祖から生まれたのだから, それは鶏が産んだ卵でないことは明らかなのだ。 だからどうしても普通の感覚だと, 卵よりも鶏が先なのだと思うのである。


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