無限, 無限大 infinity, ∞

Tuesday, 1st August, 2000.
Tuesday, 27th November, 2001.

鈴木あみの CD  "infinity eighteen" vol. 1 (9th Feb. 2000), vol. 2 (26th April 2000), 19 (ジューク) の CD 「水・陸・そら, 無限大」 (5th July 2000) VICL-35159, 「無限大」 (26th July 2000) VICL-60605. Do As Infinity という group (最近は unit というらしいが) も出たし, 「インフィニティ」 という映画も作られた。 ∞INFINITY〜LOVE&LIFE〜 という V6 の CCCD が 6th August 2003 に出た。

∞ という記号は Wallis によるという。カメラの焦点距離などにも自然にこの記号が用いられている。 タロットカードの「魔術師」には ∞ の記号が描かれている。 が多分 Wallis の方が後だろうから, タロットカードの記号が無限大を意味している (若しくは 「いた」) という保証はない。

歴史的にはどうか知らないが, 我々がこの記号を数学のものとして正式に習うのは次のような場合だと思われる。例えば 1/n (n 分の一) という数は n が ( 1, 2, 3, ... と) 大きくなっていくと段々小さくなっていく。その究極には 0 になるだろう。そのことを limn→∞(1/n) = 0 と表す, &c. 高校の教科書を見てみると「n が限りなく大きくなるとき」という部分を記号化したのが「n → ∞」という記号なのだということが分かる。

ここにはアリストテレスやユークリッドが採った 「無限から目をそむける」 という立場が見て取られる。 「無限」というものは状態であって存在するものではない, というのが彼らの立場である。現代の数学の高校教師は「n に ∞ を代入する」という言い方を極端に嫌う。 これも無限から目をそむけているのだとしか私には思えない。 しかし彼らはきっと「代入」して計算しているに違いない。 少なくとも私は代入している。 教員が皆代入しているとしたら, 生徒にだけそれを禁じるのはどうかと思う。

近現代の数学では無限というものを既に与えられてあるものとしてとらえることが多い (勿論直観主義者や構成主義者達は必ずしもそうではないが)。そのこと, 即ち無限を実在としてとらえること, が多くの矛盾や逆理を生んで数学を又一つ発展させたともいえるのであるが。

超準解析 (Non-Standard Analysis, 略して NSA) と呼ばれる数学の一分野がある。ここでは ∞ は次の様にとらえられている。
∃∞∀n∈N (n < ∞)
即ち「いかなる自然数 n よりも大きい ∞ というものが存在する」(公理である)。 そしてその逆数を無限小 infinitesimal と呼ぶ (超準解析ではそれは 0 ではない ! どんな標準実数よりも小さい正の数である)。(これは無限大を中心にして述べた述べ方であって, 逆に無限小中心の述べ方も出来る)

無限大を奇妙な概念と捉える人は (何故か) 多いが, 無限小という考え方は広く物理学で採られている。物理の (従って工学の) 微分方程式と呼ばれるものは「面積要素 dS」「体積要素 dV」「線素 dl」などというとらえ方をすると非常に良く分かる。

超準解析の概念は解析学の出来たときから, 即ち Gottfried Wilhelm Leibniz (ライプニッツ) にまで (1670 頃) さかのぼれる。現代流の「標準」解析に於ける (悪名高き !) ε-δ 論法は Weierstrass (1872) による。現代に超準解析を復活させ (そしてそう名付けたのは) Abraham Robinson, 1960 年のことである。

超準解析の参考文献としては, (素人が読むと種々の誤解を生むことを覚悟で) 田中一之編・監訳 The Mathematical Intelligencer 誌より「数学の基礎をめぐる論争」21世紀の数学と数学基礎論のあるべき姿を考える, シュプリンガー・フェアラーク東京, をあげておく。まじめに超準解析を勉強したい人はそこに書いてある参考文献を読むと良い。


参考文献:
エリ・マオール, 三村護・入江晴栄訳, 無限の彼方へ---無限の文化史---, 現代数学社
小野勝次, 「無限」の話---現代数学の根底をのぞく---, 講談社ブルーバックス B221.
アレフ

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