ベクター vector

Sunday, 30th April, 2000.

遺伝子ベクターともいう。ヒトや動物などの遺伝情報を大腸菌 (或いは一般に他の細胞) の中で発現させるには, 適当な制限酵素で切り出した遺伝子を, やはり制限酵素で切れ目を入れた小環状 DNA に挿入した上で菌体内に運搬することが必要である。この運搬の役割を果たす小さな環状 DNA, プラスミドやファージをベクターという。菌体内に入りやすく, 菌体内で増殖しやすく, 更に感染したことを示す適当なマーカーを持つものが選ばれる。

岩波理化学辞典, 第五版による。

数学用語で言うところの vector は何故か (多分ドイツ語経由で入ってきた所為だろう) ベクトルと呼ばれている。細かい話をすると長くなるので止めるが, 要するに矢印の「方向と長さを持つ」という性質を抽象化して, それらに足し算の構造を上手く入れたものがベクトル (ヴェクター) である。

辞書を紐解くと, 数学用語の vector は 1843 年に数学者 William Rowen Hamilton (ハミルトン)(1805--1865) がラテン語 vectum から作ったとある。この vectum は「運ぶ」という意味であり, ギリシャ語の όχος が語源。 更に遡ると vehĕre に行き着くらしい。サンスクリットのヴァーハナは北インドで子供を守る女神の乗り物を意味するということである。

Hamilton が何故この言葉を選んだのかは謎だが, ものを運ぶということを途中経過を考えずに, 出発地点と到着地点, 及びそれらの間の直線距離だけを問題にすれば, それは確かに vector になっている。

同じ語源の言葉に vehicle がある。

動物行動学の竹内久美子の本を読むとドーキンスの「利己的遺伝子 selfish gene」の話とともに, 我々はその利己的遺伝子の乗り物 (vehicle) に過ぎないのだ, ということが繰り返し出てくる。巡り巡って遺伝子には vehĕre が付き物なのだなぁと思った次第である。


参考文献:
佐武一郎, 線型代数学, 裳華房, 数学選書 1
岩波理化学辞典, 第五版
カレッジクラウン英和辞典, 三省堂
An Elementary Latin Dictionary, Oxford Univ. Press.
植野義明, 東京工芸大学講師 (当時), 数学教育の目的について, 19th August, 1997, 神奈川県立教育センターに於ける講義より。

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