Marc-André Hamelin (マルク = アンドレ・アムラン) 「史上最大のピアノ協奏曲」

Sunday, 22nd April, 2001.
東京オペラシティコンサートホール
14:00 -- 15:50

演目:

  1. Overture for "Don Giovanni" by W. A. Mozart, arranged by Feruccio Busoni.
  2. 解説とお話: 長木 (ちょうき) 誠司 (せいじ) (1958 --) 音楽学者, Busoni 研究家。
  3. Ferruccio Busoni (1866/4/1エンポーリ -- 1924/7/27 in Berlin): Concerto in C major for pianoforte, orchestra and male chorus, Op. 39. (フェルッチョ・ブゾーニ: ピアノとオーケストラ, 男声合唱の為の協奏曲ハ長調, 作品 39)

指揮: 沼尻竜典
東京フィルハーモニー交響楽団 (コンマス: 青木高志 + 1st vn 11人, 2nd vn 12 人,  vla 8人, cello 8人, cb 8 人, fl 4 人 (二人ピッコロ持ち替え), ob 3 人 (一人イングリッシュホルン持ち替え), cl 3 人, fg 3人, cor 4人, tramp 3人, tromb 3人, tuba 1人, timp 1人, percussion 4人 (軍楽隊の太鼓, グラン・カッサ, 小太鼓,  トライアングル, シンバル, グロッケンシュピール,  タムタム))
藤原歌劇団合唱部 (tenor 15人, baritone & bass 13 人, 合唱指揮 矢澤定明)


この日は風が強い日であった。 オペラシティコンサートホール武満メモリアルに外から昇っていく階段の所に, 何故か digital 表示の一桁の数が表示してあったが, あれはなんだろう ?

ホールに入ると, 1 階席は何故か 3 列目から始まっていたので, 席を間違える人が数名出ていた。 今回の私の席は 1 階 6 列 18 番。 やや右寄りで, Hamelin の手元が見えないのが 一寸残念。 満席のようでも何故か一番前の真ん中が 1 席空いていたりする。

vn 属の並び順が左から 1st vn, 2nd vn, cello, vla と少し変わった並びだった。 Don Giovanni の時は piano が舞台の右端に置かれていたが, piano 協奏曲の時は当然中央に持ってこられたが, はっきり言ってこの編成にこの舞台は小さすぎるようである。 かなり窮屈に見えた。

ホールの正面にはオルガンのパイプが林立しているが, コンソール (演奏席) が見えない。 ここのコンソールは移動式でリモコンなのだろうか ? (例えば NHK ホールのパイプオルガンのコンソールは, 固定式に見えるが, 実は可動式で, コンソールだけ舞台上に移動して演奏することが出来る)

指揮者のネクタイが妙だったのを覚えている (笑)。

Hamelin の演奏は, 卓抜とした technique, 力強いが軽やか, 繊細だが大胆という, 或る意味 (後述) でまさしく Busoni 演奏に適った演奏だったといえよう。

男声合唱が CD より遙かに力強く感じられた。 (org の前に一列に並んでいた。 28 人) 彼等は (多分) 第 4 楽章の始まる前に登場したと思われる。 --- 曲全部を暗記しているわけではないので, 切れ目が良く分かっていない (^_^;;

拍手は 5 分ほど続いていたような気がする。 指揮者も, オケの member も皆興奮しきっていた (特に指揮者とコンマス)。

終演後, サインを求めて並んで待っている人がいた。 私も program (\1000) を買っていたのでしてもらおうと思えばしてもらえたのだろうが, 並ぶのは嫌いなのでやめた (笑)。

ところでこのコンサートは約 1 時間 50 分ほど続いたわけだが, まったく休憩無しで行われた。 終演後トイレが混んでいたことは言うまでもなかろう。 尤も piano concerto が約 75 分もあるのだから, どこで切るっていうのもなかなか難しいものがある。

ところでこのコンサートではアンケートがあったが, コンサートのアンケートというのはどれもこれも似たり寄ったりで 「このコンサートを何で知りましたか」 「今日の演奏はいかがでしたか」 「今後どのような演目をお望みになりますか」 「よろしければ御住所等をお知らせくだされば, 今後の予定などをお送りさせていただきます」 というのであった。 こういうのは, どの位効果があるのだろうか ?

後で Hamelin が Mark Elder 指揮の the City of Birmingham Symphony Orchestra と演奏した hyperion の同じ曲の CD と聴き比べてみたが, CD の方がオケの演奏がソフトで, この日の演奏は日本初演で張り切っていたのか力強さがみなぎっていたように思われた。


1. Don Giovanni 序曲

General Pause のあとでちょっとした attack miss があった。

「あらゆる演奏は transcription (編曲, 編作) である と Busoni は述べているが, この Don Giovanni 序曲に見られるように, 彼の transcription はヴィルトゥオーゾ達の所謂 「パラフレーズ」 とは一線を画するものであった。 彼にとっての transcription は, 絶えざる想像のプロセスが保証される, 有力な創作手段であった。

この曲の原題を正確に訳すと 「W. A. Mozart 演奏会の上演の為の "Don Giovanni" への序曲, Ferruccio Busoni によってオペラ総譜に基づいて増補, 1787/1908」 である。 楽譜は 1911 年に New York の G. シャーマー社から出版されているが, 初演日時は定かではない。

総譜にはドイツ語と英語で 「この編曲について」 という解説がついているが, 両言語でのニュアンスが幾分か異なっている。

序曲のアレグロ, 最も楽しく動き回る頂点の終りで, 石となった等身大の騎士長の姿が現れる。 ここでオペラのスコアに従い, 初めてトロンボーンが入る。 激しい表情と共に音楽は最初の 10 小節を繰り返す。 それを導く半終止は第 1 幕が始まる前の音楽を模倣したものである。 最後の激しい 「アレグロ」 はオペラ全体を終える場面 「これが悪人の最後だ」 に対応するものである。 ここで私は声のアンサンブルの代用として, (オペラのスコアには用いられていない) トロンボーンを用いた。 F. B.  1908 年 4 月 7 日, ローマ

この序曲は 276 小節までは, original の Don Giovanni 序曲と全く同じであるが, 277 小節は D-dur の主和音で終わり, 続く部分からが Busoni の本格的な 「増補」 である。 冒頭の 10 小節が繰り返され, 第 1 幕直前の音楽を真似た移行部が 4 小節入り, 続いてプレスト (上記の説明ではアレグロだが, スコアではプレスト) でオペラの最後の部分の 「編曲」 が 93 小節付け加えられている。

実は Busoni は Mozart の他のオペラでも, type の異なるオケの為の 「編曲」 を残している。

2. 解説

Mozart の Don Giovanni 序曲において, opera の中の最後の六重唱が演奏される。 これは一時期 moral の点から opera に於いて削られて演奏されていた時期があったが, Busoni はこれは Mozart の作品として重要な意味があるのだということを主張するために, 自ら序曲の中に織り込んだのだということ。

Busoni はイタリア, ドイツの混血で, ドイツで生活していた。 まさしくその反対であったのが F. ニーチェであった。 Busoni のモーツァルト論は, ニーチェのそれによっていること。 1906 年に発刊された Busoni 著の 「新音楽美学草稿」 (邦訳は 1921 (?) に出ているそうである) にはニーチェの 「善悪の彼岸」 からの (かなり長い) 引用がなされていること。 当時のキリスト教に根差した価値観から脱却しようという主張が述べられていること。 次に演奏されるピアノ協奏曲の, 一見 (一聴 ?) してオケとソロの矛盾対立しているような楽曲は, そうした多様な価値観を表そうとしていること。 まさにそのような時代を迎えた現代日本において, この曲の初演を, 目の当たりに出来る我々は幸福であること, が述べられた。

3. ピアノ協奏曲

Busoni が1902 年に作曲を始め 1904 年に自らの手で初演したこのピアノ協奏曲は 「Busoni の第一期の総決算であり, その空前絶後の pianism への記念碑である」 (Ronald Stevenson, 1958)。 この曲の出版楽譜 (Breitkopf & Härtel, Wiesbaden により 1906 年に出版された総譜) の title page には, この作品の構造を表す為に Busoni 自身が描いた sketch に基づいて, Heinrich Vogler が作成した図版がついている。 Busoni は屡々図を描いて自分の作品を象徴的に示すことがあったそうである。 この絵に現れる三つの建物とは, 左から Greco-Roman, Egyptian, Babylonian 様式の建造物である。 Busoni 自身はこの図版について, 妻への 1902 年 7 月 21 & 22 日の手紙で, こう書いている (原文ドイツ語):

同封した図は荒削りで下手くそなものだけど, 笑わせる為のものじゃない。 この図に一寸夢中になっていてね。これは建物と風景と symbol で表した, 僕のピアノ協奏曲の idea にするつもりのものなんだ。 三つの建物はそれぞれ第 1, 3, 5 楽章。 その間に来るのが二つの 「生きもの」 の 楽章, つまり Scherzo と Tarantelle がある。 Scherzo は魔法の花と魔法の鳥で表された造化の戯れとして --- Talantelle は Vesuvius 火山と糸杉の木で表されている。 --- 「入り口」 の上には太陽が昇っていて, 最後の建物の扉には印章がついている。 右端の翼の生えた生きものは, Oelenschläger (エーレンシュレーゲル, 原文に合わせドイツ語読み) の合唱でうたわれる自然界の神秘だ ......

この協奏曲について初めて言及されるのは 1902 年 2 月 10 日付で London から妻に宛てて書かれた手紙である。 当時 19 世紀前半のデンマークの作家 Adam Oelenschläger (エーレンスレーア) の劇詩 「アラジン」 のオペラ化を構想中だった彼は, その手紙の中でこのオペラの他に, その年の夏にピアノ協奏曲を含む 6 つの作品を作曲する予定であると書いた。 同年 7 月下旬に上記の sketch 付の手紙が送られる。 1903 年前半に妻に送られた手紙にはピアノ協奏曲の作曲状況が刻々と書かれ, Busoni は演奏会を cancel してまでも作曲に打ち込む。 1903 年 8 月 18 日にオーケストレーション前の楽譜を完成。 仕上げられたのは 1904 年 8 月 3 日。

初演は 1904 年 11 月 10 日, ベルリン・ベートーヴェンザール, Busoni 独奏, カール・ムック指揮, ベルリン・フィルハーモニー, ヴィルヘルム皇帝記念教会合唱団 (合唱指揮アレックス・キースリヒ)。

総譜は 1906 年にブライトコップフ & ヘルテル社から出版され, Busoni のピアノ演奏に於ける高弟エゴン・ペトリがオーケストラ部分を編曲した 2 だいのピアノの為の楽譜が 1909 年に同じ出版社から出版されている。 1908 年には Busoni 自身の手による合唱部分を除いた version (第四楽章のカデンツァ末尾から第五楽章の coda に飛んで終わる) も作成されたが, 現在この version は顧みられていない。

Hamelin 自身は, この協奏曲についてこう述べている。

Busoni の協奏曲はピアノ協奏曲という形式で書かれた作品の中で最も異例 (unusual) であることは確かです。 ...... 初めてこの協奏曲を聴く人は, ピアノ協奏曲とはこういうものである, という先入観を捨てて, 新鮮な気持ちでこの協奏曲に耳を傾けてください。 この作品はその精神において, 協奏曲というよりは 「交響的」 (原文 italic) です。 そしてこの点からこの作品に接するのであれば, 的確な印象を持つ機会に恵まれます。

私は今日初めてこの作品に接する聴き手を羨ましく思います。 そのかわり, この素晴らしい協奏曲に対して, かつて私自身が初めて聴いたときのように反応するのであれば, この作品に繰り返し立ち返りたいと思うでしょう。 この協奏曲は偉大な力の作品, 繰り返し聴くに値する作品です。 そして私の考えでは, ピアノ協奏曲の repertoire に於いて今まで置かれている立場よりも, ずっと重要な地位を与えられるべき作品なのです。

この協奏曲が初演された演奏会 (10th November 1904 のベルリン, ベートーヴェンザール) の歳に作成されたパンフレットには Busoni によってこう書かれているそうである。

Die Bezeichnung ,,Concerto'' ist hier in ursprunglichem Sinne Gebraucht und bedeutet: ein Zusammenwirken verschiedener Klangmittel.

Das worliegende ,,Concerto'' unterscheidet sich von der Stammgattung zunächst durch die äussere Form, die zum ersten Male auf fünf Sätze erweitert wird. Das zweite Merkmal des Werkes ist der Hinzutritt des Gesanges, eines Männerchors: ein drittes Kennzeichen liegt in dem stellenweisen Anklingen an die Melodie und die Rhythmen Italiens.

Die Worte, welche der ersten Ausgabe von Oehlenschlägers dramatishem Gedichte ,,Aladdin'' entnommen sind, lauten folgendermassen:

(「協奏曲」 という名称は, ここではその本来の意義で用いられ, 意味されている。つまり, 様々な音響手段の共同作用である。

この 「協奏曲」 は先ず第一に, 初めて五つの楽章に拡大されたというその外形によって, その根幹のジャンルから区別される。 この作品の第二の特徴は歌唱, つまり男声合唱が付け加えられていることである。 第三の特質は様々な箇所でイタリアの旋律やリズムが現れることである。

歌詞はエーレンシュレーゲルの劇詩 「アラジン」 の初版からとられたものであり, 次のようになっている (詩に関しては第五楽章の所に載せてある))

この曲の 「日本初演」 について厳密に言えば, この演奏会は, この協奏曲の 「全曲」 日本初演である。 第 4 楽章の一部が April 1994 渋谷公会堂で行われた TV 番組 「題名のない音楽会」 の公開録画の演奏会で, 神野明独奏, 福田一雄指揮, 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団によって初演されている。

「史上最大」 のピアノ協奏曲ということに関しては 「現在の演奏会で repertoire として演奏されるピアノ協奏曲の中で, 最も演奏時間の長い作品」 である。 標準的な演奏時間は 75 分前後。 イギリスの作曲家で Busoni に傾倒したカイホスロー・ソラブジなどは, この協奏曲を凌ぐ規模のピアノ協奏曲を作曲しているが, オケもピアノも複雑難解を極め, 今も演奏機会のない 「楽譜から体験されるのみの音楽」 となっている。 従って事実上 「史上最大のピアノ協奏曲」 なのである。

1 Mvt. Prologo e Introito (序奏と入祭唱) Allegro, dolce e solenne. (アレグロ, 優しく且つ厳かに) in C-dur.

この協奏曲はごく穏やかな prologue で始まります。 主な主題は二つあります。 転調を繰り返す息の長い第一主題とより静かな主題です。 後者は後に第五楽章で (男声合唱によって) 再現されます。 (by Hamelin)

2 Mvt.Pezzo Giocoso (おどけた楽曲) Vivacemente, ma senza fretta (生き生きと, しかし急がずに) in A-dur 6/8. ナポリの舟歌 "Fenesta ca lucive" (あそこの窓から入る光) が引用されている。

Title 「おどけた楽章」 には, いくらか皮肉が感じられます。 数多くの scherzi (スケルツォ) と同じように, おどけた要素は全くなく, その様式はかなりグロテスクで不気味です。 (by Hamelin)

3 Mvt. Pezzo serioso (厳粛な楽曲)

本来の着想は, ピアノのための Ballade (バラード) であったとされています。 この楽章はこの作品の感情的な核心であり, 上品で穏やかな雰囲気の中で極めてゆっくりした主題が現れます。 しかしながら, 三部からなる大きな sections の中央では, その静けさはまったく獰猛な力 (utterly brutal power) の嵐で遮られます。 (by Hamelin)

3-1: Intoroductio (序奏) Andante sostenuto, pensoso (アンダンテ・ソステヌート, 物思いにふけって) in Des-dur, E-dur.bezeichnung.

3-2: Prima Pars (第一部) Andante, quasi adagio

3-3: Altera Pars (第二部) Sommessamente (押さえて) in C-dur, Des-dur.

3-3: Ultima Pars (最後の部分) a tempo

4 Mvt All'Italiana [Tarantella] (イタリア風に --- タランテラ) Vivace; In un tempo (速く, 一拍で) ナポリ民謡 「毒のあるバラード (バラーダ・セルペンティーノ)」 が引用されている。 又 Busoni が E Si と呼んだイタリア歩兵隊の行進曲も引用されている。 歌詞は

E si e si e si
Che la porteremo

が繰り返されるが, Ronald Stevenson は何故かこれをスコットランド方言で訳していて

Och aye och aye och aye
Wi 'yon fedder i' your bonnet
Quick merch to the bloody colonel
Tae Hell wi' Houghamagandie
An' pledge ye're sodgers leal

(おや, ほい, おや, ほい, おや, ほい, おや, ほい,
羽のついたこのベレー
急いで鬼の連隊長の元さ戻るべな
御芽子の罪 (姦淫の罪) で地獄行き
んだば, 誠の兵士と誓うべな) (高久暁訳)

カデンツァは初版楽譜のものと, 拡大版が書かれている。 大体において拡大版の方が演奏される。

12 分ほどの大規模な 「タランテラ」 で, イタリアの民族的な要素が幾つか用いられています。 いつかどこかで 「噴火」 が起こる, という感じ (the sense of impending eruption) がいつも現れていますが, 結局 Busoni は楽章全体のおよそ 3/4 位の所にオケの一大クライマックスを置き, その後で現れるピアノの激しいカデンツァは, そのクライマックスを更に上回る興奮へと聴き手を導きます。 (by Hamelin)

5 Mvt Cantico (賛歌) Largamente (広大に)

オケが際立った, しかしどこかわだかまりの残るカデンツ (終止形) を演奏すると, すぐに音楽は沈黙して男声合唱を伴う 「賛歌」 (第五楽章) へと進みます。 もともと Busoni はこの協奏曲を第四楽章で終わるように意図しましたが, 後にこのような作品には異なる種類の締めくくり (different kind of closure) が必要であると感じるようになりました。 更に, それはある詩人の言葉で最も良く表現されると思います。 この楽章のピアノ・パートは, 合唱パートの感情の重みを充分に輝かせるために, その重要性は大きく減じられています (significantly diminished in importance, in order to let the full emotional weight of the choral part shine through)。 この作品を勝利に満ちた爆発で終えるために, ピアノは後で solo part の様に現れます。 (by Hamelin)

Adam Oelenschläger (アダム・エーレンシュレーゲル --- デンマーク語読みするとエーレンスレーア) デンマークの詩人 (1779 -- 1850) の Aladin (アラジン) からの次の詩が歌われる (原文はデンマーク語であるが, Busoni が用いた text は下記のドイツ語訳)。

Die Felsensäulen fangen an tief und leise zu ertönen

Hebt zu der ewigen Kraft Eure Herzen
Fühlet Euch Allah nah', Schaut seine Tat !
Wechseln im Erdenlicht Freuden und Schmerzen
Ruhig hier stehen die Pfeiler der Welt.
Wausend und Tausend und abermals tausende Jahre
So ruhig wie jetzt in der Kraft,
Blitzen gediegen mit Glanz und mit Festigkeit
Die Unverwüstlichkeit stellen sie dar !

Herzen erglüheten, Herzen erkalteten,
Spielend umwechselten Leben und Tod.
Aber in ruhigen Harren sie dehnten sich,
Herrlich, kräftiglich, früh so wie spät
Hebt zu der ewigen Kraft Eure Herzen
Fühlet euch Allah nah', Schaut seine Tat !
Vollends belebet ist Jetzo die tote Welt
Preisend die Göttlichkeit schweigt das Gedicht !

(岩柱からひっそりと静かに音楽が響き始める

汝等の心を永遠なる力へと高めよ,
全能の神アラーを間近に感じ, その御技に目を向けよ !
歓喜も苦悩も現世の光の中で移ろい行き,
ここに安らかに宇宙の支柱はそびえる。
何千年も, 何千年も, 更に何千年もの間,
今も力に満ち満ちて安らかにあり,
見事に確固として堅実に光を放ち,
不滅を宿らせて。

心は燃え上がり, そして冷えきった。
生と死は戯れのように入れ替わったが,
安らかな希望のうちに引き延べられた,
壮大に, 力強く, 過去にも未来にも。
汝等の心を永遠なる力へと高めよ,
全能の神アラーを間近に感じ, その御技に目を向けよ !
死せる宇宙は今こそあまねく蘇る。
造物主の神性を讃えて我が詩は終る !) (高久暁訳)

前述のこの協奏曲が初演された演奏会でのパンフレットでは次のような改行で書かれていたそうである。 原文のみ掲げる。 (良く見ると punctuation も違っている)

Hebt zu der ewigen
Kraft Eure Herzen;
Fühlet Euch Allah nah' !
Schaut seine That !

Wechseln im Erdenlicht
Freuden und Schmerzen;
Ruhig hier stehen die
Pfeiler der Welt.

Tausend und Tausend und
abermals tausende
Jahre so ruhig wie
Jetzt in der Kraft,

Blitzen gediegen mit
Glanz und mit Festigkeit,
Die Unverwüstlichkeit
Stellen sie dar.

Herzen erglüheten,
Herzen erkalteten,
Spielend umwechselten
Leben und Tod.

Aber in ruhigen
Harren sie dehnten sich,
Herrlich, kräftiglich,
Früh so wie spät.

Hebt zu der ewigen
Kraft Eure Herzen,
Fühlet euch Allah nah' !
Schaut seine That !
--------------
Vollends belebet ist
Jetzt die tote Welt
Preisend die Göttlichkeit,
Schweigt das Gedicht !

この詩は Adam Oelenschläger (アダム・エーレンスレーア) の劇詩 「アラジン, 又は魔法のランプ」 (著者自身によるドイツ語訳初版, 1808 年アムステルダムで出版) の最終場面の詩 「アラーへの賛歌」 であるが, 1820 年に出版された第 2 版以降ではこの詩は削られている。 Busoni は前述のように, この詩をオペラ化しようとしたが, 未完のリブレットを執筆しただけで終わり, 結局その詩に音楽が付けられたのは, この部分だけであった。


Marc-André Hamelin (マルク = アンドレ・アムラン)

1961 年カナダ, ケベック州のモントリオールに生まれる。 Busoni の弟子であり優れた教育者のエミール・ブランシュの練習法, 即ちまったく異なるリズムを右手と左手で同時に弾き分ける方法 --- で正確無比なテクニックを身につけた。 Vincent d'Indy School of Music (ヴァンサン・ダンディ音楽院) で学び, Temple University in Philadelphia (フィラデルフィアのテンプル大学) で学士号及び修士号を取得。 Yvonne Hubert, Harvey Wedeen, Russell Sherman に師事。

1985 年 Carnegie Hall International American Music Cometition 第一位。 "Super -virtuoso" (by Harold Schonberg, New York Times), 「Glenn Gould の後継者に足るただ一人の pianist」 (by キャロル・バーグロン Le Devoir --- Montreal の新聞)

彼の演奏する Busoni のピアノ協奏曲は hyperion の CD (CDA67143) で聴くことが出来る。


2001 年のコンサート鑑賞記録の目次
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