Xenakis Ensemble II (クセナキス・アンサンブル 第二夜)

Sunday, 19th October, 2003.
神奈川県立音楽堂
14:30 -- 17:15


第十回神奈川国際芸術フェスティバル参加
神奈川県立音楽堂開館五十周年記念

Douwe Eisenga(ダウワ・エイジンハ):
Piano concerto (ピアノ協奏曲)
Piano: Gerard Bouwhuis (ヘラルド・バウハウス)
the world premiere (世界初演)

鳥養 (とりかい) (うしお):
Live Transmission (ライブ・トランスミッション)

Willem Breuker (ウィレム・ブロイカー):
Pilot Light for harpsicord and chamber orchestra (パイロット・ライト〜チェンバロとアンサンブルの為の)
Harpsicord: Elisabeth Chojnacka (エリザベート・ホイナツカ, ポーランド, ワルシャワ)

Luca Francesconi (ルカ・フランチェスコーニ):
Riti Neurali Violin Concerto (ヴァイオリン協奏曲 「リティ」)
Violin: 辻美舟, concert mistress.

Iannis Xenakis (ヤニス・クセナキス):
À l’île de Gorée for harpsicord and 12 musicians (ゴレ島に〜チェンバロ (増幅) と 12 人の奏者のための)
Harpsicord: Elisabeth Chojnacka (エリザベート・ホイナツカ)

Xenakis Ensemble (クセナキス・アンサンブル)
Diego Masson (ディエゴ・マッソン)


時間帯を見てお気付きの方も多数いらっしゃるでしょうが, matinée なので 「第二」 ではないですね (^_^; 面倒なのでそのままにしておきます。

とても良く晴れているが, 寒い日。 神奈川県立音楽堂は, ロビーもなければクロークもないので, こういう日はあまり早めに行ってはいけない。 又, 上着の置き場にも困るので, 着る物は考えないと苦労する。 そして紅葉坂というきつめの坂を登らないといけないので, 夏に行くのは考えものだ。 そういうわけで, このホールは季節 (ともしかしたら人) を選ぶのである。

四日前 (?) の天気予報では午後雨と出ていて不安だったのだが良かった。 上記のようなことを書いておきながら, 心配性の私は 14:00 頃 hall に着く。 早すぎ。 日曜だとさすがに駐車場も混んでいる。 平日だと混んでいないので少し潰してエントランスだのクロークだのを作ってもらえると嬉しいのだが, こんな様子だと駐車場を地下式にするとか根本的に変えないと駄目みたいなので無理だ。で もそれとは関係なく駐車場の改装 (?) はするみたいである。 その旨看板が立っていた。

外から見たところ, ここにも県民ホールと同様喫煙用の吸煙 table が奥のトイレ前にしつらえてある。 余りに早く着きすぎていて暇なので, 駅で貰った Tokyo Headline を読むがすぐ読み終わってしまう。 楽屋の入り口近くに, 一昨日の 2nd violinist (cellist ?) らしい人を含む外人の集団を発見。 近付いてみるとドイツ語っぽい言葉で早口に話している。 別に入り待ちをしたわけじゃないし, 確証が持てないので遠くから見ている。 が, 大体 14:24 頃楽屋口から入っていった。 やっぱりそうだったのだ。 14:27 に指揮者とコンマスが taxi に同乗して到着。

Hall に入ってみると piano がド真ん前でさすがに近すぎる感じ。 Stage 上あちこちにマイクが置いてある。 あとで分かったが NHK-FM で放送されるそうだ (後述)。 調律師がチェンバロを調律していた。 14:41 harpist が harp の調律を始める。 と, チェンバロの方は終了。 譜面台の setting の人は, 一昨日と同一の人がいた。

一昨日よりも大きな hall だが, 入りは十分といった感じ。 現代音楽にしては珍しい感じがする。

1. Piano concerto 15:00 から (約 15 分)

楽器配置
    打楽器
木管 (4) 金管 (4) 打楽器
harp 1st & 2nd vn va vc CB
    指揮者
     pfte

Program note にある作曲者自身の言葉:

十分間のこの作品は, オランダ現代音楽財団の委嘱による。 Piano と ensemble の為の, 大いに楽しい, はじけるような作品を書こうというのが, 私の最初で唯一の意図であった。 非常に simple な音楽的着想が何度も繰り返される形式を取った二作目となる。 繰り返しの度に十二音の列から徐々に音を増やしていき, melody と rhythm に変化を与えた。
 この作品を書きながら, この手法には多くの可能性があることを発見した。 今後この可能性を探求していきたい。

Pfte solo が 「通りゃんせ」 の melody から引き始める。 同一の melody, rhythm を微妙に変化させながら繰り返していく。 フュージョンとか映画音楽といった感じ。 或る意味パッサカリアとか。 DNA の複製を繰り返していって微妙に伝達ミスが起こっているといった image. 「大いに楽しい, はじけるような」 という意図は見事に成功している。 非常に楽しい作品。 「前衛」 というよりは modern な作品。 一寸一柳慧の "Time Sequence" for piano を彷彿とさせる (因みにこの Time Sequence は私のお気に入り)。
 曲の終了時に作曲者が舞台上に呼び出されて挨拶をしていた。

因みにこの曲は 2ch の Xenakis sled では 「ナイマンの亜流」 と批判されていた。

下記の放送を聞いたところ, 実は驚くべきことに, 最初の 「通りゃんせ」 の melody は何と score にない ! (世界初演なのに!) 又解説者が言うには title "piano concerto" は考えた方がいいとのこと。

2. Live Transmission 15:25 -- 15:35

楽器配置
          マリンバ
Pfte fl ob cl tromb
   vn va vc CB

これも作曲者自身の言葉があるのでそのまま載せる:

『ライブ・トランスミッション』 は音楽と visual art (二次元の drawing) の共同 project の為に作曲し, 1998 年, Berlin のハンブルガー・バーンホフ・ミュージアムで初演された。
 Concept は作品の演奏中に画家が音楽を描くのであるが, それと同等に或いはそれ以上に重要な要素として, 画家が演奏者の身体 --- 腕, 手, 指など --- の動きの image を描くということがある。
 舞台上で, 音楽の演奏と drawing が "live" で同時に始まる。 演奏が終了すると drawing も終わり, 作品の完成となる。 「身体性」 は私の作曲に於ける重要な theme の一つであり続けているので, 私はこの project に大いに興味を持った。 前述の concept を達成する為に (或いは達成させない為に?) 私は演奏家から明白且つ分かり易い gestures を引き出すような, そして画家には pulses や beats という持続的な信号を与えるような作品にした。 つまり, 単純 (?) に大きな strokes と小さな strokes, 速い fingering とゆっくりな fingering 等のように区別することにより, 短時間に何らかの意味に於て画家を触発するべく, 演奏家の動きを捉えやすくしようと考えた。
 演奏終了後, visual として再現された作品を見るのはとても興味深い。 そして, 聴衆が自ら live transmission を image し, drawing したならば, 更に楽しいものになるであろう。
 1989 年夏, ギリシャの現代音楽 festival に参加した後, 帰りの飛行機が偶然 Xenakis 氏と一緒だった。 そして生涯忘れることの出来ない comment を大尊敬する彼から聞いた。 それは 「私はあなたの作品が好きだ。 このまま頑張ってやりなさい。」 というもので, その comment を聞いた私は天にも昇る思いだった。 その後, 私は事ある毎にその comment を思い浮かべては, challenge 精神を失わないようにと, 自分自身を鼓舞してきた。
 二十世紀音楽にとってかけがえのない存在, 偉大なる現代音楽の challenger, Xenakis 氏の没を改めて思う...。

弦のひっかくような音が中心の部分, Pfte の弾むような音を中心とする部分があって, G.P. のあと激しいピツィカートの部分等と流れていく。
私は画家が描いている様子の描写音楽と思いながら聴いていた。

3. Pilot Light 15: 40 -- 16:07

fl & ピッコロ ob cl bassoon horn trump tromb tuba ドラムセット中心の打楽器
      1st & 2nd vn va vc CB
         指揮者
        sp マイク付きチェンバロ

Program note に拠ると:

Willem Breuker は常に音楽に大きな情熱を持っている。 若い頃には音楽 libraries で records を聴き, あらゆる radio programs から見つけうる限りの非常に刺激的な音楽を探した。 彼は正式な音楽を理論でも亦実戦でも完全に理解した。 Breuker は演奏したり即興したり聴いたり実験したりすることで Breuker 自身になったのだ。 彼は, 音楽の根本に衝撃を与えた 60 年代の世代である。
 Pilot Light は, 1993 年, ゼーランド・ニューェ・ムジーク財団の委嘱により作曲された。 Diego Masson 指揮, Elisabeth Chojnacka と Xenakis Ensemble の演奏で 1993 年 3 月 30 日にブリュッセルで初演された。 この作品は Iannis Xenakis に捧げられた。

Chojnacka は楽譜を (確か) 十の部分に分けており (pink 色の台紙 (画用紙?) に貼っていた), 弾き終わると右側 (つまり観客側) の床に投げ捨てていた。 以下の番号はその楽譜の番号。
最初の方では in tempo で弾くのが難しそうで, 右足で tempo をとりながら弾いていた (これは 「ゴレ島」 でも行われていた)。 No. 4: ラグタイムとかジャズといった風情 (但し私はラグタイムとかジャズとかの分類が分からないので間違っている恐れあり)。 No. 5 & 10 でカデンツ。 No. 7 は葬送行進曲といった感じ。No. 10 の最後の方は ensemble を合わせるのが難しそうだった。 この曲も一曲目同様とても楽しく聴ける。 一番前の所為で, 電気増幅したチェンバロの音ではなしに直接音で聞える (いいのか悪いのか分からない)。

購入した CD (BVHAAST 9903) を見ると, Waakvlam-Pilot Light (1993) と書いてある。 何語なんだかさっぱり分からないが, 原題は Waakvlam というのかもしれない。

ところで Chojnacka はかなり昔 (10 年以上?) NHK-FM でやはり電気増幅したチェンバロを弾いていたのを聴いたのが初めである。 随分懐かしく思い出した。

《20 分休憩》
このときと, 終演時に NHK-FM で放送される旨 announce される。
Xenakis Ensemble の CD を二枚 (それしかなかった) を買う。 Breuker の CD もあったが買うのは止めた。商工高校で一緒だった美術の須永祥雍先生にお会いして会話。 Live Transmission はどうだったかと訊いたところ, 解説を読んで先入観があっていけなかったと言っていた。 煙草の煙は吸引しきれずにロビーに充満していたので, あまりよくない。

4. Riti Neurali 16:30 -- 16:48

楽器配置
  cl bassoon horn
1st & 2nc vn vc va CB
solo vn

Soloist の辻美舟は Xenakis Ensemble の concert master である。 Program note に拠ると:

“Riti Neurali” (神経の儀式) の中には, 神経回路に似た構造に従って想像の上で再構築した記憶がある。 それは全てのものを連続するものとして認識し管理するという観点からではなく, あらゆるものが一つの層から別の層へ弾んでいく並行的な観点に拠るものである。 脳と心の関係のように, 物理的なものから象徴的なものへの移行, 電気的波動から視覚的な像への移行は最大の mystery である。 これこそが音楽が為せるところのものではないだろうか。
 人間はその起源からずっとこの驚くべきシナプスの働きを称えてきた。 レヴィ=ストロースはそれを音楽という人類学的に変形された自我として 「神話〜文化と自然の掛け橋のような」 の中で特徴づけている。 この mysterious な境界域は, いうまでもなく音楽の特権地帯である。

最初の文の主語がないが, これはこの文を書いた Xenakis Ensemble の members の誰かである。

2nd vn の日本人女性は program に名前が出ていない。
速い passage の応酬。 極めて 「前衛的」。カデンツもある。 終わり頃少し長い音を伴った passage が現れる。 多層的, 混迷, mysterious といったところ。
この曲が終わったところで, 左隣の席の人物がマルタ・アルヘリッチのコンサート (鎌倉芸術館 18:00) の方へ行くと (その友達に) 言って出ていってしまう (その席にはその友人という人が移ってくる)。 実はこの曲が始まる一寸前に, 私の右隣の席の人も移動してしまったので, なんとなく取り残された感じ。
辻美舟は花束を幾つか (三束 ?) 貰っていた。 横浜出身だから? 他の人は誰もそういうことがなかった。

5. À l’île de Gorée 16:55 -- 17:15

楽器配置
fl & ピッコロ ob cl bassoon horn trump tromb
      1st & 2nd vn va vc CB
         指揮者
        sp マイク付きチェンバロ

Program note に拠ると:

セネガルのダカールの沖合いにある Gorée 島はかつて国際的な奴隷 market であった。 この作品は, 故郷から無理矢理悲惨な奴隷の生活に送り込まれ, 連れてこられた 「文明」 国で主導的な地位を勝ち取った黒人たちに敬意を表するものである。 この作品は又, 激しい人種差別の最後の砦となった南アフリカのアパルトヘイトで英雄となった黒人, 或いは犠牲となった黒人を敬うものである。
 ゼーランド・ニューェ・ムジーク財団の委嘱により, アド・ヴァン・ヴィア, Elisabeth Chojnacka, Xenakis Ensemble の為に書かれた。

Chojnacka はここでも楽譜を投げ捨てている。 さっきと同様に番号付け。
No. 5: チェンバロのシンコペーションが面白い。
No. 6: ここで ensemble が盛り上がる。
No. 7: trump 良く歌う。
No. 8: 不協和音多し。 極めて「前衛的」。 機械的な感じ。 ゆっくりになって (ここで拍手 flying あり) チェンバロの solo で終了。

終演後は桜木町駅近辺で須永先生と芸術談義など。 「音楽通り」 というのがどこの通りだかやっと分かる。


今回の模様は Sundays, 2nd & 9th November, 2003 (2003/11/2 & 9) の 18:00 -- 18:55 の NHK-FM 「現代の音楽」 で放送されるということである。

2nd Nov. には Piano concerto, Live Transmission, À l’île de Gorée の三曲が放送された。
9th Nov. には残りの Pilot Light Riti Neurali が放送された。


第一夜
2003 年のコンサート鑑賞記録の目次
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