Die Entführung aus dem Serail

Sunday, 21st November.
日生劇場
14:00 -- 16:45


「日生劇場オペラ教室」 一般公開

Wolfgang Amadeus Mozart
Die Entführung aus dem Serail (後宮よりの逃走)

台本: C. F. Bretzner (ブレッツナー) (J. G. Stephanie (シュテファニー) 脚色)

Bassa Serim (太守セリム) 勝部演之 (演劇集団円)
Konstanze (コンスタンツェ) 中嶋彰子, soprano
Blonde (ブロンデ) 見角悠代, soprano
Belmonte (ベルモンテ) 小林大作, tenor
Pedrillo (ペドリロ) 高野二郎, tenor
Osmin (オスミン) 若林勉, bass

指揮 広上淳一
演出 高島勲

読売日本交響楽団

合唱 二期会合唱団


昨年 Lulu を見に行った為か, 日生劇場から案内がやって来た。 「優先予約」 ということで, 何と S 席が \1000 引きになる, というのでさもしい根性で, ticket 取りをした。一寸気になるのは, 歌は原語だが, 台詞は日本語だということである。

ところで 「後宮」 Serail とは何かというと, 普通の言い方をするとアラビアのスルタンの持つ 「ハレム」 である。 ハレムといって分からなければ, 江戸時代の大奥みたいなものと言ったら良いだろうか。 要するに愛人を大勢囲っておく宮殿, ということである。

Entführung は 「誘拐」 とか 「かどわかし」 とか言う意味なので, 「後宮からの誘拐」 とかいう訳が当てられることもある。 「ハレムからの脱走」 では何故いけないのか良く分からない。

11 日に予約を取って, 翌日 12 日に請求が来た。 14 日 (月) 夕方に銀行から振り込む (手数料 \105)。 そして 16 日 (水) には ticket が着いた。 ものすごく早い。 席は 1D12. 一寸左だが良い席だと思う。 唯びっくりしたのは, 普通郵便で送られて来たこと。 もし誰かが横取りしたらどうするのだろう?

Wednesday, 16th June, 2004.


単純且つ制限された作品として纏めようとした私達の努力は, Mozart の出現によって水泡に帰してしまった。 「後宮よりの逃走」 が全てを薙ぎ倒し, 私達が細心の注意を払って作った作品は, 劇場において二度と人の口に登らなくなったのである。

ゲーテ
イタリア紀行
1787/11

13:15 頃ホールに着く。 ホール前に 「初日」 との看板があり, 「一日しかやらないじゃないか」 と思うが, 実はこの公演は, 上に書いてあるように 「日生劇場オペラ教室」 の一般公開であるので, 一般公開が今日だけなのであって, 今後は中高生に学校単位で鑑賞してもらうのであるから 「初日」 というのは嘘でも間違いでもないのであった。

既にホールそのものには入れないのだが入場を認めており, program  (\800) を買う。 隣で中嶋彰子の CD を販売しており, その曲が流れている。

今回の公演では Nr. 11 で中断して休憩を入れた二幕物のような構成になっているとの張り紙あり。

完全に開場したので中にはいると, 舞台中央に噴水。 そのすぐ上手に東屋の模型。 欧州風の作り。 TV カメラが上手に二台 (1F と 2F), 中央に二台 (同様), 下手に一台入っている。 後で見ると中京テレビだそうだ。 放映するのか?

観客の年齢層はかなり高いようであるが, 子供もいる。 老人の中に見覚えのある人あり。 もしかして私もどこかで見たことあると誰かに思われているか?

I 14:10 -- 15:15

Tuning のあと暗転。 Pedrillo と女性一人が出を間違えて慌てていた。 指揮者が出て来てから, この二人が下手でスポットライトを浴びて Pedrillo がロマンス (? ノクターン?) を歌う。 すぐに暗転して退場。 トルコ (か中近東あたり) の市井 (?) での録音か, 或いはムスクでの録音か不明だがコーランらしいものが流れる。 礼拝の状況の黙劇。 序曲が始まってターバンを巻く様子。 物語が始まる前の状況説明なのか Konstanze, Belmonte が登場して黙劇が続く。

召使たち (? 合唱) がかぶっているのが植木鉢入れのような針金状のもので一寸面白い。

Soprano の二人とも最初の方で少し音が狂う (初日だから?)。 Belmonte は一寸喉声? Osmin は低音が出てない所あり。

中嶋彰子の技巧は素晴らしい。

Konstanze の左目の下に何か貼ってある。 涙の演出?

歌でないところの台詞は全て日本語。

Nr. 8 の Blonde のアリアはウーマンリブの歌のようだ。 (が Blonde 役の見角悠代は可愛い)

《20 分休憩》

II 15:35 -- 16:37

Osmin がオケピから特大の酒瓶を引っ張り揚げ, 「指揮者ちゃん, 悪いが 58 小節目からもう一度お願い」 と言う。

Osmin やっぱり最低音近くが出てない。 そういえば soprano 二人も最低音は出ていないところがあった。

最後バックに大海原が映るのは非常に素晴らしい。 ここを超えて恋人たちは遙か Spain 迄帰るのであろう。 「ある日の須佐之男命」 だか 「老いたる須佐之男命」 だったかそういう小説の末尾に 「俺よりももっと幸せになれ」 と自分の娘とその恋人を送り出したシーンがあったが, それを思いだした。

最後の部分は Bretzner の原作とは全く違っており, Mozart と Stephanie で綿密に打ち合わせて, 「許し」 の物語に変えてしまっているそうである。

内容的には独り身には辛い感じである。 しかし流石 Mozart, これなら中高生も楽しく見ることが出来るだろう。

Serim は結局全く歌わないのであった。

帰りに映画館の横を通ったが, 今日は 「ハウルの動く城」 の公開初日だったようだ。


Serail とはイタリア語 serraglio, そして更にトルコ語 saray (宮殿) に由来するもので, ハーレムとは別物だったのが, 欧州に入って混同されるようになったものだそうである。

Serim はオスマン朝トルコにいる実在の名前だが, トルコ語の 「セリム」 は 「危険や欠陥を免れた男」 という意味の 「サリーム」 に由来し, Bassa は 「パシャ」 という官職に由来する。

Osmin は 「オスマン (ウスマーン)」 がフランス語に入り, そのままドイツ語読みにしたものだそうだ。 (以上杉田英明による)

最後に三宅幸夫の言葉でもってこの記録を終えよう。

Serim はとても淋しい人間である。 それが証拠に Belmonte も Konstanze も, 又 Pedrillo も Blonde も, 更には配下の Osmin も感情 (音楽) をひたむきに表明するのに, Serim は理性 (言葉) に釘付けになったまま。 歌わないのではなく, 寧ろ歌えない様にさえ見えるのだ。 確かに彼は Konstanze に求愛し, 斥けられると脅しの言葉を投げかけるが, それも彼女のアリア 「ありとあらゆる責め苦の技を」 を引き出すためのきっかけに過ぎない。 彼一人が音楽から, つまり人間関係から取り残されている。 Serim は寛容の徳を発揮して 「称えられる」 事はあっても 「愛される」 事のない淋しい人間であり, 解放される二組の couples の幸福は, まさに Serim の不幸の上に成り立っているのである。


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