五嶋みどりと探る現代音楽の魅力

Sunday, 26th December, 2004.
東京オペラシティ 地下一階 大リハーサルルーム
10:00--19:55.


五嶋みどり & ロバート・マクドナルド デュオリサイタル プレコンサート・イベント

東京オペラシティビル地下一階 「楽屋口」 より入場。

10:00 受付開始 (以下時刻は予定)
10:30 -- 12:00 talk 西村朗 五嶋みどり 「現代音楽とは何か」
13:00 -- 14:30 talk 岡部真一郎 五嶋みどり ロバート・マクドナルド 「プログラム B について」
15:00 -- 19:30 現代作品マスタークラス 五嶋みどり

Francisco Finck (pfte 及川夕美) 尹伊桑 vn sonata no. 1. (15:00 -- 15:50)
荒木江里佳 (pfte 大岡律子) J. Weir 247 本の弦のための音楽 (15:50 -- 16:40)
Ji-In Yang (pfte 及川夕美) G. Kurtág: 三つの断章 (16:50 -- 17:40)
村津瑠紀 (pfte 西脇千花) W. Lutosławski Partita. (17:40 -- 18:30)
徳永慶子 (pfte 大岡律子) J. Weir 247 本の弦のための音楽 (18:40 -- 19:30)

19:30 -- 20:00 質疑応答


Wednesday, 12th January, 2005 に行われるコンサートの購入者特典イベント。

全日程で申し込んだところ, Wednesday, 8th December, 2004 に入場証がやって来た。 抑々リハーサルルームとか楽屋口になんか入るのが初めてで一寸ドキドキ。 どんな話になるのか大変楽しみである。


晴れて良い天気。 しかしとにかく 10:00 頃に初台に行くためにはかなり早く家を出なくてはならない。 毎朝やっている net の巡回もそこそこに出掛ける。 行き慣れないところなのでうっかり新宿を乗り過ごして新大久保まで行ってしまう。 京王新線はがらがらだった。

10:05 頃到着。 葉書を出して, B program 当日の ticket を見せて, この日の program (及び資料) と "BACK STAGE PASS" と書いてあるシールを貰って入場 (葉書の表には 1123 という整理番号が打ってあったが何の関係もなかったらしい)。 既に二十人以上入っており, 中央の前当たりはいっぱいだった。 中央の右端前から五列目を占有。 これが実はとっても lucky であったことが後に分かる。 クローク等がないので, 椅子の下に鞄とコートを置く。

西村 (あきら) 「現代音楽とは何か」 10:30 -- 12:15 (もう 15 分押している!)

西村氏 vn を持って登場。 東京音大の講義では二時間以上かかるものを詰めて話すと宣言。
記録に残る音楽とは何か? 新鮮な魅力のあるもの。 新鮮な魅力とは (1) 感性 (2) 知性 (知性の例: J. S. Bach Musikalisches Opfer BWV 1079. の ccanon enigmaticus (謎のカノン))。

所謂 「現代音楽」 とは?
Tchaikovsky の流れ: Rakhmaninov (1973/4/1--1943/3/28) 迄は続いた。 又ロマン派の流れは R. Strauss (1864/6/11 -- 1949/9/8) 迄は続いた。 かのW. Sawallisch は言った 「少なくともロマン派は R. Strauss 迄は続いた」。

「現代音楽」 は何処からか?
C. Debussy Prélude à l’après-midi d’un faune (牧神の午後への前奏曲). 骨格というものを持たないという点で一つの出発点。 L. van Beethoven, R. Schumann, J. Brahms と言う流れは 「形式」 を持っている。 骨格に orchestration したものが作品。A. Bruckner の交響曲は転調が多く, 転調のために作品を書いているのでは?
ドイツ, オーストラリアは自己崩壊。 G. Mahler は横の流れの崩壊。 音楽の天才 A. Schönberg は縦の崩壊。 深層心理等を表現しようとする表現主義。 それをより深く感じる無調へ。 では知性は? (西村氏, ここで十二音を書こうとして五線がないとぼやく。) 調性があれば半音階 scale の十二音の中に階層がある (主音, 属音, 下属音, ...) 三年間作曲を止めて考える。 無調の追求。 全ての音の出て来る頻度を同じにする。 その為に出て来たのが série (セリー, 音列, 音列主題). これがやがて 1950 年代にその他の parameters (音符の長さ等) にも波及し総音列主義として頂点を極める。 Série は部分的に調性が出来ないように作るのが元だが, 部分的に出来るように作るものもある (構造制重視)。 ところがこのようにして作った作品は, 困ったことにめちゃくちゃに作ったものと大して変わらない。 誰がやっても同じような物しか出来ないという問題を生んだ。

一方, USA の J. Cage は音楽の才能がなかった (と西村氏は言う)。 適応不全。 Schönberg の弟子。 「楽音」 の否定。 鈴木大雪の 「芸術と芸術でないものを区別するのは nonsense だ」 というような言葉を聞いたという。 作曲家が楽譜を書くところで偶然性を入れる。 或いは, 演奏家が楽譜を見て演奏するところで偶然性を入れる。 はたまた演奏家が音を出すところで偶然性を入れる: eg. 「想像の風景」 (?) radios を使って, ある周波数に合わせろ, ある radio をこれこれの timing で, これこれの時間だけ音を出せ, の様な指示が書いてある。 初演の時は放送終了後だったので効果が薄かったらしい (white noise だけになったという)。 K. Schtockhausen が日本の万博でこれ (と同様の試み) をやったときには radio からよど号の事件が流れたので大変な騒ぎになったらしい (Schtockhausen 自身は日本語が分からないので, 現代音楽への強烈な拒絶だと思ったらしい)。 話を元に戻して, 音を聴衆が捕らえるときの偶然性: 聴衆を speaker の周りを歩かせる (立ち止まってはいけない) 等。
有名な “4' 33"” (1952 年) 題名は初演時の合計時間から付けられた。 初演時は pfte で演奏されたが, 楽器やその組合せについては一切言及されていない。 三楽章。 不思議なことに楽譜は売れている (「黙れ!」 というようなこと Tacet と初演時にこうであったという注が書いてあるという)。 CD もある。 無録音かと思うと, 大音量にしてみると遠くで鳥の鳴いている声が入っているという。
しかしこの方法も行き詰まる (沈黙の後にどのような 「取り去り」 が可能であろうか)。 これが 1950 年代前半。

1953 年が作曲の時代の終り。 後の人は, 歴史を後戻りし始める。 但し先人の踏んだ跡を注意深く避けて。

J. Cage の prepared piano (バッカナーレ, 1940). 打楽器を使いたかったがお金がかかるので考案したという。 日本ではあまり prepared piano は使われない。 正しい prepared piano のやり方というものはある (無茶苦茶にやると pfte が壊れる)。

I. Xenakis 確率音楽。 著書に 「建築と音楽」 (?)。 エオンヌ (?) の CD をかける。
(著書に関する補足:
Formalized Music, 1992, Pendragon Press.
Musique, architecture, reviced ed., 1983 (English Music architecture, 1988, 日本語版, 高橋悠二訳, 「音楽と建築」, 絶版, 1975, 全音楽譜出版社) 

Tone cluster. 1960 年代半ば。 K. Penderecki Tren pamięci ofiarom Hiroszimy (広島の犠牲のための哀歌).

G. Ligeti の micropolyphony (密集しているだけではなく, 各々が細かい texture を持っているもの).

アメリカの実験主義。 Minimal の代表 S. Reich (吉松隆曰く: あれはアメリカだから生まれたんだ。 何故なら彼等は宿題を忘れると 「私は宿題を忘れました」 と百回書かされるからだ。 とか) CD から Violin Phase. 綺麗な済んだ音になっている (所謂 「現代音楽」 との違い)。

A Shnitke (多元様式). 「かつて存在したものは今も存在し続けている」。 様式が多様化。  バロックでも古典でも何でもあり。

西村朗。 弦楽四重奏曲第二番第二楽章 (ポケトス?)  持ってきた vn で Bartók pizzicato 等の実演。

L Berio の Sequenza. 社会主義リアリズム。 (この辺メモがいい加減で何書いてあるか自分でも不明)

五嶋みどり登場 (11:45). 西村氏への質問。
○作曲家の生徒に教えるやり方。 曲を書いて貰ってそれを見る。 批判を乗り越えたものが作曲家になる。 作曲が好きな人が作曲家になれる。 何か言われても作曲する。 先生の元にこない蹴れでも作曲する。 そういう人。 努力目標を与える。 締切に追われる姿を見せる。
○作曲はいつ終わるのか。 「人間は完璧なものは作れない」 という慰め。 作曲も simple なものほど難しい。 Arvo Pärt の後期 (これが唐突にここにメモされている理由を忘れてしまった)。 作曲とは高い火の見櫓にその時登るようなもので, 後からもう一度その同じ櫓に登れといわれてもとても出来るものではないという話。
○演奏家に望むこと。 詰まらない曲だと思うような演奏をしないで欲しい。 生きている作曲家には譜面に書かれている意味に対する疑問はぶつけて欲しい (何で遅くなっているのか, 何でこのテンポなのかとか)。
○テンポ表示について。 MM (メトロノーム) を書いてもいいが allegro とか moderato とか書いて欲しいと言われた。
○角が取れるのは良くない。
○日本の作曲家の分類 (資料の表についての質問)。 尹伊桑について Haupttone と言う人がいる (言われ始めているらしい)。 じゃあ武満の作品は? というと別に呼ばれてはいない。 評論家グリフィスの本にはアジア人はこの二人しか出て来ないし, しかも一行ずつしか書いてない。 まだまだこれからなのではないか。 近藤譲とか。

《一時間 昼食休憩》

岡部真一郎 五嶋みどり ロバート・マクドナルド 「プログラム B について」 (13:15 -- 14:50 更に五分遅れた。 当初, pianist については言及されていなかったが当日と同じ pair で実演)

現代の音楽は 「分からない」 ということがある。 小説などにはあまりない (私は全く世界観が違うので理解出来ないという作品に出会ったことがあるが)

J. Weir (in London) Scotland の出身。 「vn と pfte の為の十の小品」 ではなくて 「247 弦の為の」 と書いてある。 Humorous な感じ。 2nd と 6th を実演 (息を吸って timing 合わせをしている)。
五嶋: 統一性と contrast とを考える。 曲の繋がり, 同時代の音楽 (このメモ意味不明)。

G. Kurtág (1979 この人の曲が一番古い). 一つ一つの音に込められた背景が深い。 教えている時以外は寡黙な人。 心理学者 Stein に影響を受けた。 美学的に A. Webern の影響を受けている。 「断章」 から 3rd を。 弱音器を付けるよう指示がある。

W. Lutosławski Violine の曲は (一曲を除いて?) 主に晩年に書いた。 1984 年の Partita. Pinchas Zukerman の為に書いた。 Anne-Sophie Mutter 用にオケ伴奏に編曲した。 元々 vn と pfte の為の二重協奏曲を頼んだのだが (時間がなくて) 結局こういう形になった。
管理された偶然性。
Ad libitum を実演。 vn が先に弾くというのは決まっている (というのは pfte の方の譜面の冒頭には約二秒休符が書いてある)。 二回演奏。

A. Goehr. バロックの影響。 invention (3rd Mvt). 父親のワルターは Schönberg の弟子。 「それはどういう意味か, その背景には何があるのか, それにはこういう意味もあるんじゃないだろうか」 ということを日常的に話をするらしい。 Finding the Key という書物を著わした。

尹伊桑. 重い音楽。 「パンソリ」 (?) ピリ (楽器, oboe 系) 1st Mvt 一分くらいの所から。 韓国の伝統音楽の影響がある? Hexatonic ... (一寸聞き取れなかった). C Cis E F Gis A (長い音がこれに当たるとか。 楽譜を見ないと分からない).


《25 分休憩》 申し込み時にここで分断されていたので, ここで入れ替えあり。 人数は減った感じ。 私の前の列の中央付近に staff が講師席を二つ設ける。
ここで楽譜の即売会あり。 一冊五千円から六千円位。

公開マスタークラス 五嶋みどり (15:15 -- 19:43 結局 13 分遅れたことに)

最初 「現代作品マスタークラス」 (プログラムでは 「公開マスタークラス」) は 19:00 迄の予定だったが, いつの間にか当日になったら時間が延びていた。

最初, 前述のように講師席は中央だったが, 直ぐに出入りが出来ないということで客に詰めさせて, 私の前の席に五嶋みどりさんが! 良く見ると腕が細い。

最初は先ず各々が全曲演奏。 その最中五嶋みどりは, 席に座って楽譜をめくりながら聴いている。 楽譜を見るときは眼鏡を掛けている。 特にメモなどは取らず, 譜面ばかりでなく運弓を見ているのか左手を見ているのか不明だが生徒の方を見たりしている。 演奏が終わってから対話しながらレッスン。

Francisco Finck (pfte 及川夕美) 尹伊桑 vn sonata no. 1. (15:15 -- 16:14)

ジュリアード。 先ず感じたのは伴奏の pfte の音が全然違うなということ。 タッチとか。

レッスン内容 (英語で, 聴衆向けに staff が通訳。 以下マイクを使わないで話している上, 私の集中力が段々衰えて来ているので正確ではない。 英語は難しくないが声が小さくて聴き取りづらい。): Energy 配分を考えて。 表現したいところとそうでないところのムラがある。 曲の構造を考えて。 f, ff 等というところを 「音量」 ではなく 「表情」 と捉えて弾く。 Tragetic に, 拍を数えるのではなくて音楽の流れを考えるように。 34 小節目から同じ音型の出て来るところの繋がりについて。 65 小節目からは vn と pfte とが協調的に。

荒木江里佳 (pfte 大岡律子) J. Weir 247 本の弦のための音楽 (16:15 -- 17:00)

東京芸術大。 楽章間のポーズ (間のとり方)。 乾いたユーモア。 キャラクターをはっきりと伝えるように。 Humour を感じて。 スラーの切り方 (スラーでないところをはっきりと)。 音階の上下に伴って自然に cresc. decresc. してしまうがしないように。 正しい記譜通りに弾くと却って間違っているように聞えるが記譜通りに弾くように。 書いてあることを 「やる」 のではなくて 「感じ」 て。 p subito の感じ方。

《10 分休憩》
段々お尻が痛くなってくる。 抑々リハーサルルームの椅子は多分一日中座りっぱなしということを想定していないと思われる。
この休み時間中 Finck 氏 (しか見なかったが多分荒木さんも) NHK から interview を受けている。

Ji-In Yang (pfte 及川夕美) G. Kurtág: 三つの断章 (17:10 -- 17:49)

(この人は女性。 レッスンは英語で) ジュリアード。 自分の音を良く聴く。 聴衆の意識を引き付けるように。 pfte と同調しているのか対立しているのかを意識するように。 (段々私が疲れてきてメモがいい加減且つ少なくなっている)

この曲はかなり音の小さい曲 (常に弱音器使用) なので, 当日ちゃんと聴き取れるかどうか不安である。

村津瑠紀 (たまき) (pfte 西脇千花) W. Lutosławski Partita. (17:51 -- 18:52)

東京芸術大。 Dyanmic に。 Lutosławski はK. Szymanowski の影響を受けている。 Poland 独特の音を追求した (と言われても私は勉強不足で今一つ分からない)。 休符があってもフレーズが切れない場合がある, そこを気をつけて。 音を聞くだけではなくて, 音と音の間も聴く。

《10 分休憩》
Yang, 村津に NHK の interview.
ここでかなり人がいなくなる (葉書で案内されたときの予定時間だからだと思われる)。
私はお尻が痛いのでずっと立って一寸マッサージなどしていた。

徳永慶子 (pfte 大岡律子) J. Weir 247 本の弦のための音楽 (19:02 -- 19:43, 予定の 13 分遅れ)

ジュリアード。 違う humor (優しさを感じるもの) があると良い。 MM は目安だけれど, 増減には注意しないといけない。 Basic な形は押さえないと。 (もうこの辺自分がメモをとっていられないくらい疲れている。)

19:43 -- 19:55 質疑応答 (ここは単なるメモしか残っていなくて, 読んでも自分でも全然意味を成してない感じがする)

歌うこと。 (このメモ全く意味不明)
古典曲も現代曲も譜面を見るときは同じ。
心理学を勉強した事について。 それを使って音楽をやる, というのではないが, 自然でているのではないか (total な performance として)。
どうすれば現代音楽が聴かれるような状態になるか (出版社の人の質問)。 演奏の機会を持つ。 作曲家と communicate をとる。
Repertoires (曲と出会う). 色々なつて。 音楽家同士の connection. 出版社からの紹介。 (情報を発信する人に情報の集まる法則?)

終わってから子連れの女性が NHK の staff に感想を求められていた。

楽譜の読み方が実に細かい。 Phrasing, 強弱, 曲想など。 一層音楽をおろそかに聴いてはいけないと思う。 又生徒さんとの vn の音の違いにも驚かされる。

聴いている側はかなり疲れていたが, 五嶋みどりさんの方は至って元気のようであった。 流石と言う他はない。

問題点は, 楽譜を projector を使って投影しているのだが, 節電 mode になっているのか, 元々そういう設計になっているのか良く分からないが, 一定時間が経つと電源が落ちてしまって再起動を頻繁にしなければならなくて, 演奏中に譜面を追っているのに, 突然画面が真っ暗ということがあったことである。 これは非常に残念なことであった。 めくっている途中で譜面が見えなくなってしまうのは残念だが仕方がない。 本当は scan したりして PowerPoint みたいなので投影するようにするともう少し楽なのか? (でも PowerPoint だと page を戻るのが面倒かも知れん)

ここで演奏されたものを含む五人の作曲家の実際の楽譜が手にとって見られるようになっていたのは大変良かった。

尚, 本日の様子は Sunday, 6th February, 2005 の NHK 教育 TV の芸術劇場で放映される予定となっているそうだ。

あんまり関係ないが, 家に帰ってくる途中で買ったばかりの Dyanabook を持っている人 Qosmio.を持っている人を見かけた。 どうやらこの日は東芝製の PC が良く売れた日らしかった。


Sunday, 6th February, 2005 の NHK 教育 TV の芸術劇場の放映は二十分くらい。 この日のものはあまりなく, コンサートのシーンの方が多かった。 Main は単独の interview で, マスターコースの方も殆ど扱われず, 全ての生徒さんの interview も撮ったはずなのに, 一人分しか流れなかった。 期待外れ。


2004 年のコンサート鑑賞記録の目次
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