マタイ受難曲 BWV 244b

Saturday, 6th March, 2004.
横浜みなとみらいホール
18:00 -- 21:22


Thomanenchor Leibzig (聖トーマス教会合唱団 )(少年合唱団)
Gewandhausorchester zu Leibzig (ゲヴァントハウス管弦楽団)

Georg Christoph Biller (Thomas Kantor) (ゲオルク・クリストフ・ビラー, トーマス・カントル: 聖トーマス教会音楽監督)

Passion unseres Herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus
(Passion Domini Nostri Jesu Christi secundum Matthaeum,
福音史家マタイによる我等の主イエス・キリストの受難)
BWV 244b (初期稿)


一寸前に神奈川芸術協会の方から案内が来ていた, 私の好きなマタイ受難曲である。 LP を 1 set, CD も 2 sets は持っているはずである。 が, 一度も生では聴いたことがないし, 初期稿だというので一寸聴いてみる気になった。

初期稿というのは初演の 1727 年のもので, 現在 NBA に載っているのは 1736 年の J. S. Bach 自身による改訂自筆総譜に基づいている。 私の持っている音楽之友社版の Bärenreiter miniature score にも Altnickol の筆写譜による Jesum laß ich nicht von mir (29a 私はイエスの御許を離れない) と Komm, süßer Kreuz, so will ich sagen (57 来れ, 甘い十字架よ) が附録として載っている。 チラシの樋口隆一氏の言によれば, 今回の演奏は, Leibzig のマルティン・クレーマー音楽出版社が近年出版した校訂楽譜なのだそうである。 これの世界初録音は 30th March 2002 に明治学院バッハ・アカデミーによってなされているそうだ。

この初期稿 BWV 244b が通常の BWV 244 と違う点は第一部の最後の Chral 29 O Mensch, bewein dein Sünde groß (おお人よ, 汝の大いなる罪に泣け) が異なり, 先ほど書いた Aria 57 Komm, süßer Kreuz, so will ich sagen (来れ, 甘い十字架よ) がリュート伴奏になっている他, 楽器法, 旋律装飾など細かい相違が多々あり 「より室内楽的で内面的」 であり, 通常のものは 「より華やかで, 敢えて言えば劇場的」 であるという。

何れにせよ, 演奏は Thomanenchor Leibzig だし, これは聴いてみるにしくはないということで, 前売券一般発売開始日に購入しに行った。

行ったのは某丸井チケットぴあなのだが, 何故ここにしたかというと, 実は振興会の補助券五千円分というのが使えるからであった (補助券とは言え自分の払った会費から出ており, 使わないと唯単に失効してしまうだけだから勿体ないのであった)。 転勤前は横浜駅の方のチケットピアを利用していたのだが, それと同じ感覚で行ったら失敗であった。

何が失敗だったかというと, 先ず第一にぴあ直営の所だと, 例えば S 席というと, 現在空いている席を全部教えてくれるが, 丸井チケットぴあだと, そういうわけにいかない。 順番に三つくらいしか分からないのである。 ということは, 次回は (それは来年四月以降ということになるが) 電話で operator 予約をしていった方がいいということだ。

そればかりではなく, operator が慣れていないらしくて, 入力を 03/03/06 としたらしい。 それはもう半年も前のことなので, わざわざ言わなくても, この時点 (03/09/11) で三月六日といえばそれは 2004 年に決まっているのであった (まさか 2005 年以降ということはあるまい)。 更にわざわざ, ここで使えるはずだということを調べて行ったのに, その事を理解していなかったらしいことだ。 まぁこれは何回か行くようにすればそのうち覚えてもらえるかもしれない (とはいえ一年に一回じゃ覚えてもらえないかもしれない)。

しかし, この日は暑すぎた。 良くまぁこんな最中に期末テストをやって暴動が起こらないものだと思った。

Thursday, 11th September, 2003.


Saturday, 29th November, 2003 にみなとみらいホールで配られていたチラシの中に, 横浜合唱協会が同じ Georg Christoph Biller の指揮, 同じ BWV 244b, みなとみらいホール大ホール でマタイをやるという。 日時は Sunday, 21st March. 16:00 開場 16:40 開演。 19:50 終演予定だそうである。


未明から早朝にかけて雨。 お陰で新聞配達が遅れる。 卒業式の為に休日出勤なので, 別刷りの方だけ持って出る。 家を出る頃には雨は止んでいた。 道を歩くには充分暖かかったが, 体育館は寒い。 9:00 頃には完璧に晴れていた。 強風。

17:05 ホール前に着く。 みなとみらい線が出来た為か JR 駅側の人口は以前に比べてずっと少ない。 17:10 クローク開く。

予定では第一部 80 分, 15 分の休憩, 第二部 95 分で 21:15 終演。

17:20 ホワイエ迄開場。 プログラム (\700) を買うが, 大半は歌詞対訳である。

17:35 頃開場。 中央に positive. すぐ上手側に cembalo. Cembalo は調律中 (17:53 迄)。 演奏が小編成なので P 席にも客を入れている。

18:05 合唱隊入場。 18:07 tuning. Tuning の為にコンマスが立ち上がると拍手をした人がいるので笑いが起こる。 楽器は modern のようである (cembalo はどっちだか不明)。 Soprano in reipeno は 7 人 (少年) で後で第二合唱に加わる。 Judas (aria を除く), Petrus, Pontefex は第二合唱から, Testis, Ancilla は第一合唱から。

歌唱陣, 合唱隊は各々分厚い楽譜を手にしている。

Erster Teil (番号は NBA)

1. Kommt ihr Töchter, helft mir klagen. 早くも感動する。
20. Ich will bei meinem Jesu wachen. Solo (tenor) が走っていた。
23. Gerne will ich mich bequemen. Solo (bass) も走っていた。 思うに Bach は歌手を人間扱いしていない (歌詞付の楽器の演奏のように歌わなくてはならない) ので, 息継ぎが苦しく思わず走ってしまうのかもしれない。
27a. So ist mein Jesus nun gefangen. びっくりするくらいゆっくり。 27b との対比を大きく, 悲しみに力点を置いている模様。
29a. Jesus laß ich nicht von mir (私はイエスの御許を離れない). 前述のように普通のマタイと第一部の終わりが違うのでなんとなくはぐらかされた感じで終わる。 やはりある程度慣れというものは必要なようである。

<休憩 15 分> あと 5 分は休憩が欲しい。

Zweiter Teil. (--21:14)

19:30 tuning.

出だしから 1st vn が弱いなと感じる (以下同じ)。
39. Erbarme dich. Solo vn が弱く感じる。 最初の装飾音がない。
42. Gebt mir meinen Jesum wieder. 2nd vn の top の solo が素晴らしい。
30. Barabam! が非常にゆっくり。

Lute 演奏者の名前があるが, 姿を見ることは出来なかった。 (Cembalo よりも強い音で聞こえた。)
53b の Gegrüßet seist du, Juden König! (ユダヤの王, 万歳!) を初めとして, 生で聴くとその皮肉に満ちたような音調の効果が大きい。
ドイツ人の母国語による歌, 信仰に根付いたものはやはり他のものとは違う。
どこだか忘れたが, Judas と Petrus の台詞を Evangelista が直接話法で引用して歌っているところがあった。 この辺が普通のマタイと違うのか?
49. Aus Liebe will mein Heiland sterben でも fl trav. の最初の装飾音がなかった。 他にも細かくて気付かなかったものがあると思われる。

終演後, 拍手が早すぎると憤慨していた人がいたが, flying とかかぶせ気味じゃなかったんだから, あれは許さなきゃいけない範囲だと思う。 とにかく, 恩寵が theme の曲の後で, あの様に不寛容な発言はどうかと思われる。
内容を覚えている所為もあるだろうが, Erdgeist を読んでいるので, 大分ドイツ語にも慣れて, 結構ドイツ語を聴き取ることが出来て来ている。 もっと頑張ろう。
歌詞を覚えていると, どうも一緒に歌いたくなるのだけは何とかしないといけない。

三時間の長丁場にもなるとさすがに肩が凝っていけない。 が, こればっかりはどうしようもない。

明日は小ホールの方に来る。 今日の睡眠不足のために寝てしまわないように気をつけなくてはいけない。


Saturday, 27th March, 2004 の朝日新聞夕刊に関連記事が出たので載せておく。

十字架にかけられることを 「神の御心」 と受け止め, 死んでいったイエス。 この有名な聖書の物語を忠実に 「再現」 した米映画 「パッション」 の試写を見た。 イエスを銀貨 30 枚で売り渡したユダが, 後悔の果てに腐ったロバの死骸のそばで首をつるシーンで, 数日前に東京 (サントリーホール) で聴いた演奏会をふと思い出した。
 800 年の歴史を誇る独・ライプチヒの聖トーマス教会合唱団と, 世界最古のオーケストラ, ゲバントハウス管弦楽団が東京などで演奏したバッハの 「マタイ受難曲」 だ。 聖トーマスは, バッハ自身が 27 年間音楽監督を務めた名門少年合唱団。 今回は現在の音楽監督ゲオルク・クリストフ・ビラーが率いた。
 映画でのユダの死が救いようもなく悲惨なのに対し, 「マタイ」 でのユダのアリア 「私のイエスを返せ」 は薄気味悪いほど快活なト長調で歌われる。 この日の軽やかなテンポは 「銀貨を投げ捨てた瞬間, ユダとイエスとの関係が築き直された」 とするビラーの解釈に説得力を与えていた。 バッハはユダの絶望ではなく, 究極の 「許し」 を描きたかったのではなかったか。
 又映画では, 殺人犯のバラバとイエスの何れを解放するか, という総督の問いかけに, 群衆は 「バラバ, バラバ」 と叫び続ける。 しかし 「マタイ」 では, 合唱が強烈な不協和音で, 「バラバ!」 と一言歌うのみ。 公演でも, 澄みきった少年たちの声が何のためらいもなく一人の人間を断罪した瞬間, 一寸背筋が寒くなった。
 合唱は時に敬虔な信徒になり, 時にイエスを責め立てる群衆にもなる。 強いものに巻かれる人間の弱さが一つに束ねられ, 強大な暴力になる。 群衆の一人一人は, その恐ろしさに気付かない。 これはそのまま現代社会の構図ではないか。 現代の技術を駆使した映像表現が, 270 年以上も前に書かれた音楽の懐の深さに改めて目を開かせてくれた気がした。

吉田純子
観覧者
二つの受難劇
音楽の懐の深さ 再認識
朝日新聞, evening, Saturday, 27th March, 2004.


2004 年のコンサート鑑賞記録の目次
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