21 世紀の音楽地図

Saturday, 11th December, 2004.
神奈川県民ホール 小ホール
(13:00--13:58) 15:00 -- 17:08 


21 世紀の音楽地図 Music Outlook for Tomorrow
21 世紀を拓く若手作曲家六人の新作と, 20 世紀の巨匠若き日の名作, 世界の 「現在」 を鮮やかに結ぶ

世界は交流する

一柳慧: 弦楽四重奏曲 String Quartet, 1964.

Igor Stravinsky: 3 Poesies de la lyrique japonaise (山部赤人, 源當純, 紀貫之の短歌による), 1912--3.

朴銀荷 (Park Eun-Ha): Dead Man's Rope (new work world premiere).

Peter Gahn: Ink, colours and gold on paper for ensemble. (world premiere).

Steve Reich: Come Out, 1966, ダンスカンパニー・ローザスの映像作品 FACE より上映。

藤倉 (だい): 乗り捨てられた時間 abandoned Time (新作世界初演)

Ensemble NOMAD:
佐藤紀雄, 音楽監督, cond. & G.
鷹羽 (たかは) 弘晃
西沢幸彦, 木ノ脇道元, fl.
菊地秀夫, cl.
松本賢, cl (guest)
野口千代光, vn.
甲斐史子, vn & va,
須田祥子, va. (guest)
菊地知也, vc.
山本修, CB.
宮本典子, perc.
中川賢一, pfte.
吉川真澄, vo. (guest)


本来, Sat. 4th Sept が前売り開始だったので, そこで買おうと思っていたのに, 眠かったのと, 雨だったのとうっかりしていたので買いそびれていた。 実は昨日も前の職場の人と飲み会を催し, 睡眠不足で一寸辛かったのだが, 午後から出掛けた。

行ってみたら, やはり現代音楽ということでそれほど売れ行きは良くなかった。 そういうわけで, かなり自由に席を選ぶことが出来た。

Ticket は一回券は \3500 だが, ホールまで行くと, 二回目のとセットで \6000 で買えるのであった。 そういうわけで珍しく出掛けていったのである。

Ticket によると, 13:00 から作曲家による special talk があるということで, これも楽しみ。 初日は一柳慧だろうか。 なんせこのコンサートの企画監修担当だからね。 他にも来るかもしれない。

帰りは時間に余裕があったので赤レンガ倉庫にも行ってみた。 が, 大して面白くないな。

Saturday, 11th September, 2004.


今朝送ってきた Kanagawa Arts Press vol. 61 に拠ると, Ensemble NOMAD は新作委嘱をしない集団なのだそうである。

ノマドは, 「21 世紀の音楽地図」 で新作に取り組む。 神奈川県民ホール開館 30 周年を記念して六人の 「三十代」 気鋭の作曲達が書く新作だ。 しかしノマドがやる以上, 一筋縄でゆくはずがない。 新作は 「三十年前」 に 「三十代」 だった巨匠達の若き日の名作と対比される。 もし 「新しい」 はずの "今" が 「三十年前」 よりツマンナカッたら!? 「二十一世紀」 が 「ミッドセンチュリー」 より保守的だったら!? 「二十世紀カルチャーの創始者達」 を向こうに, "今" を生きる創作者達は, 末項から戦いを挑むのだ!

真面目に面白いことをやろうよ!! と, 新作を発表する作家たちが熱く語るのが, スペシャルトーク "作曲家, 自作を語る"。 リハーサルの中のノマドの舞台に作曲家が登場。 ノマドの佐藤紀雄氏と掛け合い, 時には演奏も交えて, "今" の創作を語る。 果してどうなるか?
 入場は 「二十一世紀の音楽地図」 チケットを持っている人なら自由。 終演後はロビーでの聴衆との交流会も予定。 コミュニケーション求む! の方, 是非どうぞ!

道理で自作を語るのに二時間も採っていると思ったら, リハーサルも公開してしまうということであったのか。 これはやはり少し早めに行かないといけないようだ。 終演後に何を語るかも一寸楽しみである。

ところで NOMAD = 漂流者, さすらい人, と書いてあるのだが, これは正しい訳なのだろうか? 哲学用語でノマドというと単子とか書いてあるのだが。

イタリア語の辞典を見ると nòmade が 「遊牧民, 流浪の民, 放浪者, さすらい人」 と書いてある。 どうやらこれらしいね。

Tuesday, 23rd November, 2004.


晴れ。 比較的暖かい。

ホールのロビーにクリスマスツリー。

12:45 プレトーク開場。 プレトークでは自由席。

席は閑散としている。 多くて二十名くらい (?)。 非常灯に cover がしてある。 演出の都合上という。 Reich の映画の為だけだったようだ。

司会は佐藤紀雄。

(1) 朴銀荷: 韓国在住。 2 fl, perc, pfte, CB で, CB (コントラベース) に焦点が当たっている。 Pfte ではなくて cemb ということも考えた。 激しくて, 汚い音が好き。 激しい vibrato つまり molto vibrato.
ここで木ノ脇氏 fl で実演。 Mozart の fl とハープの為の協奏曲から古典派の vibrate の例も。 アルトフルート西沢氏。 尺はCHEW風。 CB 山本氏の実演。 練習番号 16 の accerelando の合奏。 練習中に accerelando という語 (効果) を加えた。

(2) Peter Gahn: 独逸, 在日七年以上。 高い音の group (2 vn) 似ているが少しずつ違う (E と G の所) 曲の背景として。 pf B の所。 息の長い melody. Cl も同じ。 Perc. fl. vc の group. (B の所)。 ピッチ, リズムは違うが, 作曲者としては音楽の質, 動きは同じだと思っている。 Pfte と perc. は高い音の部分を担っていることもある。 録音の為ではなく, 生演奏のために作曲した。 カクテル・パーティー効果も狙っている。 演奏も他の parts を聞きながらというのが難しい。

(3) 藤倉 (London 在住) 日本は一年振りくらい。 G のフィンガータップの実演。 アンサンブルの方だけの実演 (鷹羽氏が指揮)。 アンサンブルも皆アンプが入る。

朴: タイトルを先ず決めて作曲する。 Gahn 一年半位前から演奏の為に書けた。 リハーサルも沢山あった。 演奏を聴きながら修正が出来た。 藤倉: ロックギターを使った為にアンサンブルの書き方が変わった。 鷹羽はまだ作品が出来ていない。

プレトーク 13:58 に終了。

14:20 に大ホールの方が開場。 キエフ・バレエ 「くるみ割り人形」。 バレエの客は明らかに 「現代音楽」 の聴衆とは 「人種」 が違う。

14:30 小ホールの方も開場。 中に入ってみると, 本当にこの人たちが 「現代音楽」 を聞くのかなあという顔ぶれ。 だが意外にも途中で帰った人は殆どいなかった (一人か?)。

一柳慧: 弦楽四重奏曲。 2 vns, va, vc. (15:05--15)

曲は 1964 年に開館した長岡現代美術館の opening を記念して作曲され, ニューディレクション弦楽四重奏団によって初演された。
 曲は graphic score ではないが, 天地の関係が自由な不確定性を包含した五線譜で書かれている。 この四重奏曲の特徴は, 発音が 二つの点で通常の奏法と異なる仕方で行われる点にある。 一つは, 演奏を通常の指と弓の位置 (右手と左手, 左手が駒に近い方で音程を取り, 弓が指板の方で弾かれる) を逆転させた形で行う点であり, もう一つは, それによって楽譜に書かれている結果としての音に到達するまでの音を探る process も演奏の一部に取り込んでいる点である。 従って運弓は指盤上の Molt Sul tasto になるため, 音は process を含めて聴き取れるか取れないか位の小さな音で演奏されることになる。

一柳慧

非常に幽けき音。 プレトークを聞いていた所為か疲れてしまってうつらうつらしてしまう。 下手から奥に向かって vn, vc, vn ここで舞台手間に折れて va.

Igor Stravinsky: 3 Poesies de la lyrique japonaise: soprano, 2 fl, 2 cl, 2vn, va, vc, pfte. (15:21--26)

1. 山部赤人 万葉集 1426: わがせこに 見せんと思ひし桜花 それとも見えず 雪の降れれば

2 源當純 古今集 12: 谷風に とくる氷に ひまごとに 打ち出づるなみや はるのはつ花

3 紀貫之 古今集 59: 桜花 さきにけらしな あしひきの 山のかひより みゆる白雲

歌詞はフランス語。 下手から 2 fl 2cl, 2vn, va, vc で手前やや下手に soprano.
この曲は大変楽しめた。 かなり描写的。 特に二曲目は風の描写が顕著。
フランス語の所為か, 一寸フォーレを彷彿とさせた。

ここで一柳慧登場。 朴 (在日九年) と talk. プレトークと重複部分多し。 戦争の犠牲になった子供達の為に。 本人カソリック。

朴銀荷 (Park Eun-Ha): Dead Man's Rope: 2 fl, CB, perc, pfte. (15:38 (?) -- 15:50).

現在, 世界中では様々な戦争がいまだに行われている。 戦争の名分はともあれ一番哀れなことは, 何の力も持っていない子供達の死だろう。 私は, あどけない子供達の哀れな魂を慰める方法としてこの曲を書き始めた。 この曲は 2004 年の夏に書いた "This War" for solo flute の続きである。 "This War" の場合, 約九分ほどの短い曲である。 今回の "Dead Man's Rope" では, より拡大された編成で曲を完成した。

あなたは純粋な羊のマスクを被っているが, 実はその中には狼の口を持っている。 あなた自身はいつも同情心に満ちていると話すが, 実はあなたの心臓は冷たく冷めている。 我々は戦争に反対したがそれは起ったのである。
神の御心は何であろうか。
You've got the mouth of a wolf inside mask of an innocent lamb.
You say your heart is all compression but there's just a flat line on your cardiogram.
There's a war on our dissent. And what Jesus might have meant?

「死者のロープ」 は曲に具体的な image を付与するタイトルではなく, 私自身の独白のようなものである。 韓国では昔から伝わる慣習で, 子供が万一歳になったとき, 親戚を呼んで大きな誕生日 party を開く。 そこで, 誕生日を祝う子供の為の特別な食べ物が並んだ大きな table に, 鉛筆, 糸, お金を準備し, 子供が何を選ぶか, 皆で見るというものがある。 鉛筆は将来高い学問を修めるという願いを込めて, 又糸は無病長寿を, そしてお金は金持ちになるように, という意味を持っている。 従って, 戦争の被害で他人により無差別に死を迎えた子供たちの生命, 即ち糸 (rope) は多分, 途中で切られているであろう。 このような発想から rope という言葉を入れた。

朴銀荷

下手奥に pfte, 手前に 2 fl, 上手奥に perc. 手前に CB. 終了一分前に 2nd fl が立ち上がり, 上記の台詞 (あなたは純粋な羊の...) を言う。
聴衆の中で, やっぱり韓国風だという人がいたが, 私は韓国の曲というと 「アリラン」 と 「冬のソナタ」 のテーマ位しか知らないので, 比較できない。

《二十分休憩》

一柳慧と talk (16:12--18). 舞踊, video art 等も手がけている。 これもプレトークと重複部分多い。

Peter Gahn: Ink, colours and gold on paper: fl, cl, 2 vn, vc, perc, pfte. (16:19--33)

この曲は, 私の他の多くの曲と同じく, 美術作品からの影響を受けています。
ポール・ゴーギャンの絵の素晴らしく深い色の様々な平面から, 同じような平面を持つ音楽を聴きたくなりました。 又日本の絵, 例えば, 洛中洛外図, 源氏物語絵巻, 宗達の作品などの, 深い色の平面は私に強い印象を与えました。 西洋の catalogue にはこれらの作品の説明として, "ink, colours and gold on paer" と書かれていて, この曲のタイトルとしました。
 背景の金箔の上に描かれながら, 前景の金の雲 (源氏雲 (原文: 源治雲)) に隠されて, 振動する様に見えるこの平面には, 強い energy がある一方, 鑑賞者に限定的な考えや気持ちを押し付けることはないと感じています。 背景の金箔はその上の色に特別な光を当てます。 一つの色である金の平面的な背景はどこかへ導く perspective もなく, 長く見ていると, その背景は非物質化して感じられる様になります。 この効果は平らな壁, 襖に囲まれている和室の中でも経験出来ます。 このような部屋に屏風絵が立っていると, 空間の中に空間が出来, 非常に特別な感覚が生まれます。
 私の曲では, 強く深い色の平面を作る為に, 二つの層を重ねています。
この二つの層である二つの groups: cl, pfte の group と fl, vc, perc. の group は, 同じ音楽をそれぞれの group の可能性によって実現します。
鑑賞者はどの group に焦点を当てて聴くか, 自分で選ぶことが出来ます。 又は, 背景と前景の金の様な vn の音楽に耳の焦点を絞り, その後ろにある, 耳で聴くことが出来ない空間に想像を巡らすことも出来るでしょう。

Peter Gahn

舞台中央奥に 2 vn. 間はやや離れている。 下手は第一群。 奥に pfte, 手前に cl. 上手は第二群。 奥に perc. やや中央寄りに fl, 上手に vc. 第一群と第二群の間は大分離れている。
Pfte には melody があるので, そこが美しい。 途中長い GP. 最後の方で第二群がやたら盛り上がってくる。

Steve Reich: Come Out 16:36--48.

Reich 三十歳の作品。 ある少年の言葉 「僕はねえ, あざをパックリ開いて, その中から血を取り出して, 連中に見せてやるんだ (Come out, show you)」  を録音した tape を二つ同時に再生させ, 徐々にずれていく様をそのまま手を加えることなく作品としたもの。 Video はベルギーのダンス・グループ。 (佐藤紀雄の note から) (某所の情報に拠れば, 台詞は “I had to open the bruise up and let some of the bruise blood come out to show them” だそうだ)

最初の台詞は数回しか反復されない。 殆どは "Come out, show you" ばかり。 この台詞が少しずつずれて繰り返される。 Dance は椅子に座った女性二人が, 手 (と頭) の踊りを繰り返す。 一定の pattern があるようでないようで, 二人の動作が合っているようであり, ずれているようであり, ずれているようで又合っていたりする。 やがて少年の台詞も defuse していって, 言葉のない 「音」 となっていき終わる。

今回, これが一番良かったような気がする。 疲れていたのか, 元々こういう作品が好きなのか。

Talk 昨日 London から着いた。 15 歳で中学卒業後直ぐに, 独逸に行く前にと思ってイギリスに行き, そのまま居着いてしまった。
ロックギターが使われている曲でもロック調の激しい曲は少ない。 ギターが最初アンサンブルに押さえられているが, 最後に解放される (?)。

藤倉 (だい): 乗り捨てられた時間 abandoned Time: e-G. fl, cl, vn. va. vc, CB, perc, pfte. (16:58--17:08)

何故ロックギターなのか, というと答は簡単で, ギターの作品は書いたことがなかったからです。
 僕の尊敬する作曲家は〜特にギターを使った素晴らしい作品を書いた〜武光徹とピエール・ブーレーズで, 普通のアコースティック・ギターとアンサンブルの編成で書くのは一寸怖かったので, ロックギターにしたわけです。 まさかブーレーズさんがロックギターの為の作品を書かないでしょうし。
 ガンズ & ローゼスの二枚アルバムが出て, どこを歩いても皆がそのアルバムカヴァーの T シャツを着ていた頃, 僕は十五歳で, イギリスの高校の寮にいました。 そこではピアノをやってるのは僕だけで, やっぱりギターをやってる奴等が多く (勿論ちゃんと弾けない), 皆宿題など放り出してガンズ, メガデス, メタリカ, 一寸彼女のいる奴等なんかはエリック・クラプトン謎を必死に練習していたのを思い出します。
 僕も良くキーボードを一緒に弾かされたり, 最後には自分のポップバンドも組んで, 勿論作曲アレンジは全部僕がやってそこの地域のコンサートなんかで弾いたこともあります。 その頃はイギリスに渡って直ぐで言葉が全然分からなかったので, そうやって音楽をやっていると即友達になれたのがとても印象深く記憶に残っています。
 今回, ロックギターの作品を書くために色々なギタリスト, ジミ・ヘンドリックスからロバート・フリップ等の録音を色々と聴き, 80 年代にロンドンで活躍していた実験的ロックバンドのギタリストだった友人の家を訪ねてギターの事を聞いたりして, 大変楽しみながら, そして僕の高校生活を思い出しながら作りました。
 これが僕にとって初めての日本からの移植なので, 頂いたときはいつもの委嘱に輪をかけて嬉しかったです。 僕にとって, 日本で僕の音楽が演奏されるということは 「海外進出」 ということですから!

鎌倉大

下手奥に pfte, 手前に紐手から fl, cl, 2 vn, vc. 上手奥やや中央寄りに perc. 上手奥に CB. 通常協奏曲の solo の位置に guitar. 増幅しているが, 殆ど分からない。 前衛音楽と思って聴くとかなり (前衛としては) 古典的。 ギター全然激しくない。 大人しすぎ。 ギターの激しいのというともっとかき鳴らすような image があったがそうではない。 音量の小ささというのもあるかもしれない (アンサンブルの方の増幅が分からないくらいだから)。

そのあと懇親会。 飲み物 (赤, 白ワイン, オレンジジュース, 水) とサンドイッチ, クラッカー, チョコレート, アーモンド, カシューナッツ等が出る。
これも料金のうちと思って出てみるが, 知り合いもいないし, これと言って特にいいと思った作品があるわけでもなし, 一寸した軽食を取ったというだけであった。 次回に期待。


Kanagawa Arts Press vol. 62. January, 2005 の記事から

世界初演を一時間後に控えた stage に作曲家達が登場し, 新作の 「ツボ」 を紹介...。 そんな試みが, 昨年十二月と今年二月の二回に亙り開催される 「21 世紀の音楽地図」 の special talk 「作曲家, 自作を語る」 として行われている。 Concert の企画監修者, guitarist であり Dnsemble NOMAD の音楽監督でもある佐藤紀雄の司会進行, NOMAD の demonstration 付きという贅沢な企画だ。 その第一回目の模様をご報告する。

昨年十二月十一日の第一弾 「世界は交流する」 に登場したのは, 三人の 「国際派」 若手作曲家達。 十五歳で日本を飛び出して London に留学, 今や巨匠ブーレーズの指名で, ルツェルン音楽祭から新曲委嘱を受ける等, Europe 期待の若手として各国で活躍する藤倉大。 韓国に学んだ後日本の東京芸大大学院, Elizabeth 音大大学院等で研鑚を積み, 今やソウル, 広島, 東京を行き来して独自の活動を繰り広げている朴銀荷 (パク・ウンハ)。 ドイツで Ensemble モデルンとの collaboration 等の活躍の場を得ながら日本に移住, 日本の美術や音楽等に深く寄り添いつつ, 新しい image 世界を展示する作品を発表するペーター・ガーン。

藤倉は 「尊敬する武光徹とブーレーズの様に guitar 曲を作曲したが, 二人がしない方法でそれをしたかった」 と語り, heavy metal ばりの rock guitar 協奏曲と言える 「乗り捨てられた時間」 に guitar と ensemble の緊張感を要求する。 一方, 戦争で死に行く子供達の鎮魂歌として 「死者のロープ」 を書いた朴は, flute の名手木ノ脇道元と西沢幸彦に 「あなたが ff と思って吹く音があればそれより更に強い, 楽器の限界を超えた音が私の求める “感情” を表す音」 と求める。 そして俵谷宗達の屏風絵に inspire されたというガーンは自作 “Ink, colours and gold on paper” で, 演奏者を三つの groups に別け, 「それぞれの楽器で違う時間と空間の感覚を持ちながら, 同じ音楽を同時に奏でる」 と言う。

Cage 等先人が成し遂げた 「革命」 後に生まれ, “何でもあり” の自由と溢れるほどの情報に囲まれた若い世代の作曲家達。 国籍の background も音楽の語法も活動の vector も違う三人だが, 共通するのは 「水からの個人的な “文化との出会い” を大切にしながら, 力強い表現を探っていること。 決して近道を選ぼうとせず, “何を表現したいか” を熱く語るその姿勢の中に 「明日の新しい表現」 の可能性がほの見えた。

又, ガーンの 「この曲には更に隠された大きなメロディーがあるのです」 の言葉に, 佐藤が 「そんなこと知らなかったよ」 と応じる。 抑々 melody とは? と, 捉え方の違いも浮き彫りになるなど, 新曲は 「楽譜を書いて出来上がり」 ではなく, 演奏家と作曲家の対話で創り上げられてゆくものであることも実感させてくれた。

国際派三人の 「共通語」 が日本語であることも嬉しい。 あ, そうそうこの special talk, 真の立役者は, 公演前の一時間じっと若手の言葉に耳を傾けた聴衆の皆さん。 こんなことを繰り返しながら, いつか私達は目も醒めるような “時代の音” を手にするのだろう。 終了後 「もっと作家の人生についても聞きたいね」 と語った方も。 二月二十六日の第二弾 「呼び交わす時代」 は更に突っ込んだ展開になりそうだ。

Reach Out
[アウトリーチの視点 12]


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