昔から尽きない論争の一つに, (他の) 動物に対する人間の優位性の議論がある。欧州ではユダヤ教からの伝統で人間は他のすべての動物を監督する為に存在しているのだと信じられていた。 ユダヤ教以外にも幾つか人間はすべての動物の上に立つように神が創ったのだという神話は幾つも知られている。
アメリカの所謂 Bible belt の人々を除いては (多分) 今でも人間が他の動物の上に立つよう神が創ったなどと信じている人はいないとは思うが (いるのかな ?), 今でも真剣に考えられているのは, 他の動物と人間との違いである。
良く言われているのは, 二足歩行をする, 会話をする, 道具を使う, 火を使う等であるらしいが, 今や犬だって訓練すれば二足歩行をする (笑)。 猿の中にはかなり二足歩行に近付きつつあるものもいる。会話は, 我々と方法が違うだけで, 海豚や鯨などは, かなり高度な情報伝達をしているらしいし, チンパンジーの中には手話を駆使しているものもいるという。 道具に至っては自分で檻の鍵を開けたものもいれば, 木の枝を使って虫などを引き出して食べたりするし, 石を使って木の実を砕いたりするものもいるという。 さすがに火を使う動物は見つかっていないようだが, これだってそのうちどうなるか怪しいものだ。
ところで --- やっと本題だ (笑) --- 音楽というのものは, 果たして人間の他の動物に対する違いになるのであろうか ? 起源については私は良く知らないのだが, 飛行機や船というものが動物や自然物の模倣物であるように, 音楽も亦風のざわめき, 小川のせせらぎ, 波の音, 虫の音, 鳥の声の模倣物であったりすることもある。
20 世紀最大の作曲家の一人であるオリビエ・メシアンの作品に 「鳥のカタログ」 という, 本当に鳥の鳴き声を採譜して作った piano 曲があるが --- しかもまったく暗譜をしない私などからは信じがたいことだが, この殆ど同じパッセージが微妙に違う形で何度も繰り返すこの曲を暗譜している pianist がいる --- これは (作曲 (?) 者の取捨選択が加わっているとはいえ) やはり自然の模倣物といえる作品の一つであろう。 又世の中にはミュージック・コンクレート等といって, 自然の音や, 街の雑踏, TV や radio の音などを録音し, 変調等の加工をして作った音楽もある。 これらが模倣物であることは疑いがないと思うが, それを音楽と呼ぶ以上, それは九官鳥の鳴き真似とどのように違い, どう優れているのであろうか。
一つには, 自然は --- 鳥などを含めて --- 同じテーマの繰り返しかせいぜいそれの variation を奏でるに過ぎない。 新しい主題を導入することなど殆どありえないと言えよう。 (でも最近の音楽は盗作騒ぎが頻繁に起こるくらい, 同じ主題の variation ばかりと言えない事もない (笑)) 人間には無限の可能性がある。現代音楽がどんなに奇妙といわれようと, 新しい主題を提供していることには間違いがない。 (勿論反論もあろう)
もう一つには, 自然は音楽を奏でたとしてもそれを理解しないかもしれないというのがある。 果たして動物は音楽を理解するのだろうか ? (理解するって何 ? っていう尤もな疑問はとりあえず置いておくことにする)
そんなことを考えていた折, 昔の本 (漫画雑誌) を処分しようと思っていたら, 次のような文を見つけた。 「あるレコード会社」 っていうのは Decca のことであろうか ? 一寸面白いので紹介する。
第二次世界大戦後間もない 1950 年代に, イギリスのあるレコード会社が London の動物園で, 音楽に対する動物達の反応を調べたことがあります。(中略)
二挺の vn の他, fl, ob, ハーモニカから成る楽隊が園内を巡回しました。 その結果, これは予想通りといってよいのですが, 猿が最も強い興味を示しました。 といっても, これはどうやら, 音楽性というよりは好奇心の所為だったようです。それに反して犀は徹底的に音楽嫌いなところを見せました。 クラシックにもポップにも激しい怒りをあらわにし, 楽士たちに襲いかからんばかりの様子を示したのです。 アシカやオットセイの類は, 音楽好きではどの動物にも負けません。 アザラシは楽隊の演奏する最初の音を聞くと, すぐに水の中から浮かび上がってきて, うっとりと音楽に聞き入っている様子でした。
猫はまったく関心を示さず, 狼とジャッカルと狐は, 長調の melody は皆, かなり落ち着いて聞いていましたが, 最初の短調の音が響いた瞬間に, 鼻面を天に向けて恐ろしい吼え声をあげました。
最後に楽隊が鰐の池の前で演奏したときには, そこの住人は, まるで命令を受けでもしたように水から出て, 最後の音が消えていくまで頭を上げてじっと耳を傾けていたということです。
関楠生
世にも不思議 ?!
同文書院
これを読んで皆さんがどう感じるか分からないが, 結局, 音楽を動物が理解出来るかどうかという議論は, 結局じゃぁ人間が音楽を理解するってどういうこと ? っていう問題を解決しないと全然議論にならないなぁと私は思う。 だって 「聞き入っている様子でした」 「耳を傾けていた」 って言われても, そう見えただけで, 本当は何か他のことを考えていたりしたんじゃないかとか, 単に警戒してただけじゃないかっていう疑念が払拭できないし, 人間だって, そう見えたり, 自分は理解してるつもりでも, 本当はどうなのかなんてさっぱり分からないじゃない。 皆さんはどう思いますかね ??