Lulu

Saturday, 22nd November.
日生劇場
18:00 -- 21:55


Alban Berg (1885 --1935):
Lulu, Oper in drei Akten
nach den Tragödien "Erdgeist" und "Büchse der Pandora" von Frank Wedekind.
Orchestrierung des dritten Aktes vervollständigt von Friedrich Cerha.

(アルバン・ベルク作曲/台本
フランク・ヴェーデキントの悲劇 「地霊」 及び 「パンドラの箱」 による三幕の歌劇
第三幕のオーケストレーション補筆: フリードリヒ・ツェルハ)

全三幕完成版日本初演 (世界初演 24th February, 1979 パリ・オペラ座)
日生劇場 開場 40 周年記念特別公演

Lulu (ルル): 天羽明惠 (高いソプラノ)
Gräfin Geschwitz (ゲシュヴィッツ伯爵令嬢): 小山由美 (ドラマティック・メゾソプラノ)
Alwa (アルヴァ (シェーン博士の息子, 作曲家)): 福井敬 (若いヘルデン・テノール)
Eine Theater-Garderobiere, eine Gymnasiast, und ein Groom (劇場の衣装係, ギムナジウムの学生, 下僕頭): 林美智子 (アルト)
Der Medizinalrat, Bankier, Professor (医事顧問, 銀行家, 教授): 勝部太 (語り役, 演劇的バリトン, 低いバス・ブッフォ)
Der Maler, Neger (画家, 黒人): 吉田浩之 (リリック・テノール)
Dr. Shön, Jack (シェーン博士 (編集長), 切り裂きジャック): 大島幾雄 (ヘルデン・バリトン)
Schigolch (老人シゴルヒ): 工藤博 (高い性格的バス)
Ein Tierbädiger, Rodrigo (猛獣使い, 力業師ロドリーゴ): 池田直樹 (ややブッフォ的要素のあるヘルデン・バス)
Der Prinz, der Kammerdiener, Marquis (公爵 (アフリカ旅行者), 従僕, 売春婦斡旋業者 (侯爵)): 近藤政伸 (テノール・ブッフォ)
Der Theaterdirektor (劇場支配人): 筒井修平 (低いバス・ブッフォ)
Fünfzehnjährige (15 歳の少女): 柴田恵理子
Mutter (その母): 秋山雪美
Kunstgewerblerin (女流工芸家): 堪山貴子
Journalist (新聞記者): 佐野正一
Diener (召使): 大久保光哉
Ein Polizeikommissar (警部他) 田村義明

東京フィルハーモニー交響楽団
沼尻竜典

演出: 佐藤信
装置・衣裳: レギーナ・エッシェンベルク

声質は, Deutsche Grammophon の CD UCCG-3010/2 に書いてあったものを引用したので, この上演の歌手のものと異なっている可能性がある。

第一幕 約 62 分, 第二幕 約 54 分, 第三幕 約 56分。


二期会からの DM による粗筋:

新聞社を持ち社会の成功者である Shön 博士に拾われ育てられた Lulu は, 「宿命の女」 となる。 即ち彼女の魅力に引き寄せられた男たちは次々と破滅に至るのだ。 Lulu から離れることの出来ない自分の弱さに絶望し銃を持って自死を迫る博士も, 逆にその銃によって命を落とし, Lulu は官憲に捕らえられる。 Geschwitz 伯爵令嬢の Lulu への献身的愛情による働きで脱獄に成功し, 博士の息子 Alwa と Paris, London へと逃げるが, 最早没落の一途。 一度は売春を拒否した Lulu も, 他に生活の術はない。 彼女が街に立った最初の日, 世紀末 London の殺人鬼 <切り裂き Jack> がその客となる。


極めて陰惨な内容の作品なので, 一人で見るのが良いのではないかと思われる。 お化け屋敷や, ホラー映画を見る感覚だったらカップルでもいいかもしれない。 見に行こうかどうしようか迷っていたら, 11/22 のチケットが段々残りわずかになってきたので, 慌てて e+ で購入した。 実は e+ の会員には随分前からなっていたのだが, 利用したのは今回が初めて。 そういうわけで, 登録していたクレジットカードの期限が切れていると言われて, 焦って登録し直して購入。 席は 1C34 で, やや右過ぎるが, まぁ希望の日の席が取れただけましであろう。 23 は天羽さんじゃないし, 24 だと, 翌日に響きそうだしね (マチネだから演奏が心配というのもある)。

日生劇場は, 高校生の時の芸術鑑賞教室で Mozart の Zauberflöte を見に行ったときが初めてで, その後一度も行ったことがないのだが, どう変わっているだろうか。 そういえば, その時のアンケートで, どんなオペラを見たいですかというのがあって, 「ニーベリンクの指輪」 と書いたくせに, 日生劇場でそれをやったときに, 全然見に行かなかった記憶がある (ごめんなさい)。

Tuesday, 5th August, 2003.


最近になって, 23 の Lulu 役: 飯田実千代さんが知り合いの voice trainer をしていて, そちらを聴きに来るかもしれないということが判明。 だが後の祭り (^_^;

Friday, 22nd August, 2003.


朝日新聞, evening, Thursday, 13th November の記事:

「ルル」 全三幕版を日本初演
複雑な筋立て 十二音技法を駆使

開場四十周年を迎えた日生劇場 (東京・有楽町) が, 特別記念公演として二十二日から, アルバン・ベルクのオペラ 「ルル」 を上演する。 二十世紀前半を代表するオペラだが, F. ツェルハが補筆した第三幕を加えた全三幕の完成版は日本初演となる。

日生劇場は 63 年十月にベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演 「フィディリオ」 で open した。 66 年から日本人スタッフ・キャストによる opera 製作も始め, 80 年代後半からは日本初演作品や海外作品の紹介を積極的に手がけている。

「ルル」 はベルリン・ドイツ・オペラが 70 年, 三度目の来日公演で二幕版の日本初演をしている。

全三幕版は 79 年にブーレーズ指揮, シェロー演出でパリ・オペラ座で世界初演して sensation を巻き起こし, 以後三幕版が定形となった。 だが, 複雑な筋立てと十二音技法を駆使した高度な音楽技術が相まって, 日本での上演はなかなか実現しなかった。

今回は二期会との共同製作。 東京フィルのオペラコンチェルタンテ・シリーズで実績を積んだ若手指揮者・沼尻竜典に白羽の矢を立て, 演出には劇団黒テントの佐藤信を起用した。

沼尻は 「二幕物は音楽的には完璧でも drama としては未完成。 ベルクの sketch を基にした三幕物の意義は大きい。 室内楽的書法で書かれており, 繊細な表現を心がけたい」 という。

作品の高いドラマ性を評価する佐藤は 「時代, 場所を特定しなくても観客に共感してもらえる舞台を目指す。 生き生きした演出をしたい」 と語る。

主な出演はルル役に天羽明惠と飯田実千代, シェーン博士 & 切り裂きジャックに大島幾雄と黒田博。 オーケストラは東京フィル。

当日の広告によれば 11/24 (月, 勤労感謝の日振替休日, 14 時から) は売り切れ。 11/22 と 11/23 (日, 14 時から) は残少で, A, B, C は売り切れと出ていた。


上述の CD の booklet にあるマイケル・オリヴ (佐藤みどり訳) の記事から:

Alban Berg が 1935 年の 12 月に世を去ったとき, Lulu 第三幕は short score (簡略版) の形で完成していた。 又, 1326 小節中最初の 268 小節と, 第一場と第二場の間の間奏と, 最後の largo とは完全に orchestration されていた。 間奏と largo とは, opera 本体に先んじて演奏会用組曲の一部として orchestration されたもので, Lulu を外国出上演するための promotion のつもりで Berg が作ったものだった。 (中略)
 Austria の作曲家・指揮者である Cerha は, 1949 年に演奏会形式で行われたこの作品の Wien 初演を聴いて以来, Berg の opera に関心を持ち続けてきた。 彼は完全な作品こそが 「自己充足的で生きた有機体であり, そこから何かを分離することは, 必ずやひどい傷を伴い, その全体性を危険にさらすことになる」 と確信するに至った。 Lulu が 1962 年に Wien で正式に舞台初演された直後 Berg 作品の出版社である Universal Edition は Cerha に第三幕の short score の copy と完全7に orchestration された最初の 268 小節の聖書を手渡した (ヘレネ・ベルク (ベルク未亡人) の禁止にもかかわらず彼女は 1969 年にそこに自らの意志を記入している)。 続く 12 年間, Cerha は当然ながら, 秘密裡にこれに取り組み, 1976 年の Berg 夫人の死後, 第三幕の補筆完成版を構成した。 これが知られて上演計画が持ち上がったとき, ヘレネが 1968 年に設立した Alban Berg 基金はそれを阻止しようと法的措置を執ったが, 結局は二幕版楽譜を 「入手可能にしておく」 ということで調停を受け入れた。 こうして Lulu の完全版が 1979 年に Paris Opera 座で初演されたが, それは単なる復元上演どころか発見ともいうべきものであった。 1979 年 2 月 24 日はこの opera のしんの初演であり, Lulu の役柄を再定義したばかりか, Berg のこの傑作の完全な姿と恐るべき表現構造を初めて明らかにした。

同 booklet で Friedrich Cerha が第三幕のために残されている資料として挙げているもの (長木誠司訳):

  1. パルティチェル [score の為の下書きとなる piano 譜] の清書。 ここには第一幕からこの幕の最後の小節に至るまでの, 主な音楽上の出来事が書かれており, 何度も手を加えた形跡が見られる。
  2. パルティチェルの sketch.
  3. Berg がこの作品の作曲を開始した当初に作られた, 二枚の大きな音列表。
  4. 第三幕の 268 小節に亙る score の清書。
  5. Lulu 組曲の最後の二つの楽章の score. これは第三幕から取られた部分であった。
  6. Berg に拠る opera 最後の 17 小節の piano vocal score.
  7. エルヴィン・シュタインに拠る, 第三幕全体の piano vocal score.
  8. Berg に拠る台本。

同所にあるパルティチェルに必要な補足の作曲部分 (の主なもの):

  1. 三つのアンサンブルが第一場の骨格を成しているが, その第二番目のもので, Berg は Lulu と Geschwitz の会話を明瞭にするための 22 小節に亙る挿入句を計画しており, そのための厳密な指示を書き込んでいる。
  2. 第三番目の ensemble の一部で, 楽節から導くべき声の parts のいくつかの副次声部が書き込まれていない。
  3. 第二場冒頭の手回し organ に引用として二回登場する, Wedekind 作の 「リュート歌曲」 は, 調性的な和声付けが欠けていた。 Berg によって完成されていたのは Lulu 組曲の変奏曲楽章の終わりに出て来るときの, 最初の四小節だけであった。
  4. 第二場の四重唱 (Lulu の絵の前での, Lulu, Geschwitz, Alwa, Schigolch による) の大部分では, Alwa による主声部が書かれているだけであった。 残りの声部は, 入りの箇所が示されているに過ぎない。

そして, 1326 小節ある第三幕の内, Berg が orchestration していたのは 390 小節に過ぎないが, パルティチェルに書かれている orchestration の為の指示は厳密であること, フレーズ化, articulation, 強弱を補い, tempo や音楽上の正しい書式, 声部の入りの仕方等々の問題を解決せねばならなかったことが報告されている。

尚, CD では Prologue と第一幕の合計が 61:30, 第二幕が 53:47, 第三幕が 55:55 である。


晴れ。 朝日生劇場の Lulu の page を見たところ, 既に三日とも既に完売であった。 全日職場の飲み会で, 朝起きるとき二日酔いが心配だったが, まあまあ大丈夫。 睡眠不足が一寸心配ではある。

昼寝をして目覚めた午後, 曇。 日照減の為か肌寒い。 夕食が心配なのでおにぎりを三個作ってもらう。

朝, 駅弁でも買うか, とめいさんと 話していたが, どうも新橋駅にも有楽町駅にも駅弁は売っていなさそうだった。 駅弁が欲しければ東京駅で探した方が良さそう。 だが, 駅近くには結構食べ物屋やコンビニもあったのでそんなに心配することはなさそうではあった。

17:20 頃日生劇場に着く。 何故か人々が外で待っているが, 扉も開いているし, 終演時間 9:55 というのを確認して中へ。 入り口の所の照明が明るいので, そこで貰ったチラシをざっと見て先ずコートをクロークで預ける。 106 番。 入場前に program を購入。 \1000. ロビーで座って半分程読む。 二階に登っていって 17:30 開場。 先ずおむすび二個を急いで食べて入場時にもらい損ねた enquete を貰う。

中では幕は既に上がっており (というか最後まで結局幕というものは使用されない) screen に白黒の幾何学模様が投影されている。 これは舞台装置とも関係している図形であり, 一つだけ赤い矩形が出て来る---血の象徴か。 下手に椅子。 上手には二つのスロープと, その上に椅子, 更に椅子には白い上端部が ? のように曲がった杖が置いてある。 スロープの手前にオットマンのような椅子 (?)。 手前及び右側に, 画家 (筆を持っている), 歌手 (? 楽譜を持っている), 猿 (?), シルクハットとステッキを持った虎, その奥にアコーディオンを持った熊 (?)。 これらの人形は車輪が着いていて自在に動く。 人形は最初 (第一幕第一場まで) しか出て来ないが, スロープや椅子などは形を変えて第三幕第一場まで用いられる (最後まで登場するのは椅子だけ)。 下手オケピの一寸上に pfte, 上手にマリンバ (とトライアングル) がはみ出ている。

吉井 だけど, 結局, 「トリスタンとイゾルデ」 が入らなかった。 それでルーバーをはずしてそこにハープを入れたんです。 ティンパニーが上手でしたっけ?
鈴木 そうでした。 DOB (= ベルリン・ドイツ・オペラ) 第三回公演の 「ルル」 の時もオケが入らなかった。 今回も 「ルル」 をやるって聞いた時, 「えっ, オケボックスは大丈夫なのか」 と聞いたんですけどね。 (今回の 「ルル」 もルーバーをはずして下手にピアノ, 上手にパーカッションを入れます。)

吉井澄雄 (舞台照明家) × 鈴木敬介 (演出家)
日生劇場 オペラ 40 年の歩み

諸井誠の アルバン・ベルクのオペラ 「ルル」 音楽メモ によると

第一幕の第三場は Wedekind の戯曲 「地霊」 の第一場から第三場。 Opera の第二幕第一場は 「地霊」 の第四場であり, 二つのルル劇を接着させる音楽として, 幕間音楽 Filmmmusik が無声映画の上映と平行して演奏される。 このあと 「パンドラの箱」 が prologue を cut して第一幕から始まるが, この第一幕が opera 「ルル」 の 第二幕第二場, opera の第三幕第一場が 「パンドラの箱」 の第二幕。 第二場が戯曲の終幕となる。

のだそうである。

Prologue と 第一幕 18:06 tuning -- 19:12

最初にスクリーンにドイツ語と日本語で短い文が TV のテロップのように流れる。 「地霊」 の冒頭部分? 猛獣使いの顔が (古い film の様に雨が降っていて) スクリーンに映し出されている)。 Clown が下手で大太鼓とシンバルを持って登場している。 ルルは舞台の奥が開いてかなり小さい檻から登場。 真っ白な衣裳。顔も白塗り。 実は純真なのだという演出? (或いは逆にそういう見せかけなのだという演出?) ピエロのように黒いふさふさのボタン (?) が三つついているだけ (良く見たら台本に Pierrotkostüm (der nächsten Szene) と書いてあった)。 投影用スクリーンが上がり, 舞台を隠していた黒い壁が上手に slide して第一幕第一場へ。

画家が舞台下手で Lulu の絵を描いている。 この絵は多分写真を画像処理したものでセピア色。 Prologue で着ていた衣裳そのままで, 前述の杖 (einen hohen Schäferstab 長い羊飼いの杖) を持っている。 この杖は身長よりも高い。 気が付くと歌 (と言うか, Lulu では殆ど recitativo に聞こえるのだが) しか聴いていない気がする。 CD で聴くともっと前衛的なオケが主張しているのだが。 生で聴くと違うのか, そういう演奏なのか (オケピが狭いので人数不足でオケが弱いらしい)。 BGM とか効果音といった感じ。 段梯子 (Tritteiter) がないので 「Ich sehe über alle Städte der Erde weg! (ここからなら地上のすべての都市を越えた彼方まで見えるわ!)」 という台詞の意味があまり通じない。 又画家の Geh, zieh dich an! (行って服を着ろ!) は正しい訳になっているが, もう少しほのめかさないと分かりにくい。 天羽明惠は古事記の時とは打って変わってダイナミックな歌い方。 席が前過ぎる (三列目) のか字幕が見づらい。 間の間奏曲中に遅れてきた客が入ってくる。 ここで使われていたデカンタはうちにあるのと同じもののようである。

第二場は舞台の背景 (?) に前述の Lulu の絵が何枚もある (八枚?)。 各々別の色になっている。 画家が 「Mit ihr sprechen (彼女と話すのだ)」 と言ってこの真ん中を開けて入っていったときに初めてそれが扉だったのだと分かる。 席の位置の所為か, 画家が倒れているところはあまりよく見えない。

第三場では Lulu が赤い衣裳と赤いカツラをかぶっているのでまるで別人のようである。 Alwa の台詞中 Szene (場) というのを 幕 (Akt) と訳しているのが一寸気になる。

2 分ほどカーテンコール。

《25 分休憩》 19:14 --
残りのおにぎりと 6P チーズを食べ, C.C. lemon を一寸飲む。

第二幕 19:37 tuning -- 20:34

CD を聴いているときは気付かなかったが, Gräfin Geschwitz (ゲシュヴィッツ伯爵令嬢) というのは同性愛的傾向のある人という役なのかもしれない。 いや, この役の小山由美は実に良い。

第一場と第二場の間の Verawandlung (Filmmusik) (舞台転換 (映画音楽)) の部分だが, ここでは忠実に silent 映画が流される。 "entsprachend dem symmetrischen Verlauf der Musik auch quasi symmetrisch (音楽がシンメトリーに構成されているのに対応して殆どシンメトリー的になっている) という言葉通りだが, 台本にあるものよりもかなり抽象化されている:

初めに件の Lulu の絵。 それが絵の具のようなもので塗りつぶされていく。 Tunnel (? 車の後ろから撮影したように風景が後退していく). 服をつけていない腕に鎖が螺旋状に巻き付けられていく (数回繰り返し)。 指紋。 血流 (?)。 血に染まった掌。 木漏れ日。掌から血が薄れていく。 服をつけていない腹。 鎖につながれた素足から鎖が解かれていく (数回繰り返し)。 Tunnel. 塗りつぶされた絵から再び Lulu の顔が現れる。

字幕では 「ルルは有罪になり一年間の禁固に処せられる」 のようなことが出る。

第二場 Lulu の顔の色が大分普通になっている感じ。 段々白塗りが取れていく (というか化粧が薄くなる) 感じである。 時間経過に対応?

1 分ほどカーテンコール。

《20 分休憩》 20:35 --

第三幕 20:55 tuning -- 21:03 (5 分ほどカーテンコール)

予めそう分かっているからか, 曲調が代わっているのか, やや第二幕とは違った印象を受ける。 「やはり第三幕に至ってから音楽の力が急速に減退することは, 誰の目にも (耳にも) 明らかであろう。」 (長木誠司, アルバン・ベルク 「ルル」 近年の世界での上演について)

第一場はバブル景気とその崩壊を思わせる流れだ。 Lulu も歳を取って魅力が減衰した (という設定 Sie ist nicht mehr von heute) なのか, 男を翻弄するというよりももう, 男に金ばかりせびられて苦しんでいる。

第二場。 雨を示唆するものは特にない。 舞台上手に水道の蛇口 (本当に水が出る)。 Alwa が Lulu の絵を見ながら言う台詞 「そいつは我々に石を投げつけるが良い! der werfe den ersten Stein auf uns.」 はヨハネ伝 8:7 「汝等の中, 罪なきもの先ず石を (なげう) て」 だろうか? 絵を壁の釘にかける, とあるが, 不思議なことに今回の演出では床に釘で打ちつけてしまう (演出意図不明)。 Lulu の台詞 "Ich war ihm nichits als Weib und wieder Weib. Er liebte mich, aber er kannte mich nichit." (私は彼にとって単なる女に過ぎなかった, 女以外の何ものでもなかった。 彼は私を愛したけど, 私が何であるかを知らなかった) が良い。 Schigolch の台詞 "Gräfliche Gnaden legen es darauf an, mit unserm Speck zu fischen" (伯爵令嬢様までが, 我々の素晴らしい餌で, 魚釣りをなさろうというのか) というのに, 新約聖書の 「我と共に来れ, 人を漁るものとなさん」 を思い出す。 第一場で Lulu が Marquis (侯爵) に "Seither sehe ich es jedem bei stockfinstrer Nacht auf hundert Schritt Entfernung an, ob wir füreinander bestimmt sind." (それ以来, 真っ暗な夜に百歩離れていても, その男が私達お互いにとって定められた人であるかどうか判るのよ。) と言っている台詞が, 第二場で Jack に向かって "Wollen Sie denn nicht die ganze Nacht hierbleiben?" (今晩泊まっていきなさいよ) というのの伏線になっているようだ。 Gräfin Geschwitz の決意 "Ich kehre nach Deutschland zurück, Ich lasse mich immatrikulieren. Ich muß für Frauenrachte kämpfen, Jurisprudenz studieren." (私はドイツに帰って, 大学に入る。 女性の権利のために闘い, 法律を勉強しなくては) という台詞も Jack の刃によって水泡に帰する。 Lulu の悲劇は, 女性が弱い立場に立たされているからという隠された theme? Jack は左腕に血のついた頭 (?) を抱えながら右手で血のついた knife を水道で洗う。

ところで banda ってどこで使われているのだろう? 第三幕第一場? (どうやら MIC 氏情報によると三幕二場らしい)


朝日新聞, evening, Thursday, 27th November の記事:

南極の更なる可能性示す

「宿命の女 femme fatale」 Lulu と人生を破綻させていく者達。 Berg の "Lulu" は今や二十世紀の古典として, 欧米では毎年新演出が登場する人気の opera だが, 高度な演出を強いる十二音音楽に加えて, 浮気や殺人, 売春などの俗悪な事件や性表現が日本での舞台化を困難にしてきた。 開場四十周年の日生劇場がすべて日本人 cast による画期的な上演に挑んだ。 (一文略)
 孤児の Lulu が三度の結婚によって社会的にも経済的にも登り詰めるのだが, 心から愛する最後の夫 Shön 博士を誤って殺したことから運命が逆転し, 逃亡の末, ついに売春の客だった切り裂き Jack に殺される物語。 男たちを狂わせ, 破滅に追い込む蠱惑 (こわく) 的な Lulu の描き方が焦点だ。
 蛇のように危険で背徳的な Lulu は, 同時に円らな瞳を持つ無邪気な女。 貞節や贖罪 (しょくざい) など, 小市民的な観念を知らない。 天羽明惠演じる Lulu は, 何処までも coquettish で汚れない。 街角で拾った客に値切られても 「好きだから」 と bed に誘う scene では, はしゃいでいるような愛らしさすら見せた。
  沼尻竜典率いる東京フィルハーモニー交響楽団も, 六種類の歌唱法をこなした歌手陣も 「よくぞここまで」 と感心した。 時にバラける ensemble や不安定な歌の音程は, 僅かな傷と言うべきだろう。 終幕へ向けて音域が両極に広がる難しい part を精緻に歌い上げた天羽に加え, 男性社会を象徴する Shön 博士と切り裂き Jack の二役を演じた大島幾雄も, 人間臭い浮浪老人 Schigolch を歌った工藤博も迫力満点。
 演出の佐藤信は事件の生々しさをそぎ落とし, 乾いた軽さで纏める。 白く柔らかいピエロの服を着た天羽の肖像は, 彼女を愛する者が見たいと欲する幻影。 第一幕第二場ではウォーホルの 「マリリン・モンロー」 風に背景を psychedelic な色に塗った複製が幾つも飾られ, 一瞬, 消費社会の idle の様相を呈する。 再び重厚な肖像画となるが, 終幕では敢えて観客に見せない。 娼婦となった Lulu はペラペラの coat を羽織り, かつての美貌は見る影もない。 しかし, そこにいるのは肖像に描かれた無垢のままの Lulu, 今も愛のみに生きている Lulu なのだ。
 これからも読みの可能性をふんだんに残している作品と実感。 日本における "Lulu" 元年に喝采を送りたい。

白石美雪

香沢真矢氏のこの page に, Wedekind に関する一寸面白い episode がある。


2003 年のコンサート鑑賞記録の目次
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