Xenakis Ensemble I (クセナキス・アンサンブル 第一夜)

Friday, 17th October, 2003.
神奈川県民ホール 小ホール
18:30 -- 21:45


第十回神奈川国際芸術フェスティバル参加
神奈川県民ホール開館三十周年記念

Luca Francesconi (ルカ・フランチェスコーニ, 1956, ミラノ):
Da Capo (ダ・カーポ)

Iannis Xenakis (ヤニス・クセナキス, 1922 ルーマニア, 2001/2/4 パリにて没):
Akanthos for soprano and 8 musicians (アカントス〜ソプラノと 8 人の奏者のための)
Soprano: Jannie Pranger (ヤニー・プランガー)

David del Puerto (ダヴィッド・デル・プエルト, 1964 マドリッド):
Oboe concerto (オーボエ協奏曲)
Oboe: Ernest Rombout (アーネスト・ロンバウト)

Lorre Lynn Trytten (ローレ・リン・トリッテン, USA):
Concerto for 2 percussion and ensemble (二つの打楽器とアンサンブルのための協奏曲)
Percussion: Tatiana Koleva (タチアナ・コレヴァ), Johan Faber (ヨハン・ファーブル)
the world premiere (世界初演)

細川俊夫 (ほそかわ としお, 1955 広島):
中間地帯〜ハープと室内アンサンブルのための (Interim for harp and chamber ensemble)

Iannis Xenakis (ヤニス・クセナキス):
Thalleïn for 14 musicians (タレイン〜 14 人の奏者のための)

Xenakis Ensemble (クセナキス・アンサンブル, 1980 オランダ, ミデルブルク)
Diego Masson (ディエゴ・マッソン, 1935 フランス)

members:
Margreet Niks (マルフリイート・ニクス), fl.
Ernest Rombout (アーネスト・ロンバウト), ob.
Marc Dijcks (マルク・ダークス), cl.
Stefanie Liedtke (ステファニー・リットゥク), bassoon.
Joeri de Vente (ユリ・デ・フェンテ), horn.
Reijer Dorresteijn (ライエル・ドレスタイン), trump.
Jan Bastiani (ヤン・バスティアーニ), tromb.
Tjeerd Oosterdorp (ティエルト・オーステルドルプ), tuba.
辻美舟, vn.
Heleen Hulst (ヘレーン・フルスト), vn
Lorre Lynn Trytten (ローラ・リン・トリッテン), va.
Pascal Went (パスカル・ヴェント), vc.
Jaap Branderhorst (ヤープ・ブランドルホスト), CB.
Tatiana Koleva (タチアナ・コレヴァ), percussions.
Johan Faber (ヨハン・ファーブル), percussions.
Gerard Boushuis (ヘラルド・バウハウス), pfte.
Erika Waardenburg (エリカ・ヴァールドンブルク), harp.
Jannie Pranger (ヤニー・プランガー), soprano.


[1] tickets 購入まで

最後に concert に行ってから, もう八ヶ月を数えた。 去っていった人のことを思うにつけ傷んでいた心もやや回復した頃, 家にやって来た direct mail の中に, Xenakis Ensemble のチラシを見つけ, おお, これは私の好きな Xenakis! と思い, 又, ああ, これは Elisabeth Chojnacka! とその名を見つけてしまったし, 所謂現代音楽を他の人と聴きに行くなどという危険も冒す必要が全くなくなったので, はやる心を押さえつつ, やっと (自分の) 夏休みに入った葉月二日, 放っておけば 40 日でも 50 日でも家から一歩も出ないという重い腰をようやっと持ち上げて, 桜木町の神奈川県立音楽堂まで tickets を買い求めに行ったのであった。 何故音楽堂かというと答は簡単, 県民ホールは一日から六日までは休館なので, 行っても無駄であったから。 他の play guide では何故ないのかというと, 二夜の set 券は, 県民ホールと音楽堂のチケットセンターでないと販売していないからなのであった (それに set 券の方が合計で \2000 も安いし)。

家を出たときはまだ晴れるか晴れないかといった, 中途半端な天候であったが, 桜木町に着いたときにはもう太陽は power いっぱい, やっと遅れてやって来た夏の威力を見せつけるかのごとくに中天に掛かっていた。 そう思った人は私だけではないのであろう, 観光の名所ともなっているかの地には, 親子連れや couples がいっぱい。 只, 私が向かう方面とは反対側に行くばかりなのであるが。

紅葉坂の下まで来ると, 今まで全く気付かなかったが --- というのはその必要性が全くなかったからであろう --- 紅葉坂を降りてまっすぐ行くと Landmark Tower に行き着くではないか。 良く考えたら, Landmark も駅から随分歩くものなぁと変なところで今更ながらに納得。 坂を上ると, 盛夏の日差しはさすがに厳しい。 汗をかきながら音楽堂のチケットセンターに行くと, まぁこんな暑い最中にここまで ticket 買いに来る人なんぞはそうはいないらしく, 端末が二台あって, 双方に着いていた operators の女性が二人とも退屈そうにしていた。

Tickets 購入の旨を告げると, 予約をしたかときかれる。 そうか電話かなんかで予約だけすることが出来るのか, と思ったが, 良く考えてみると Xenakis なんぞを購入しようという輩はそうはいないだろうし, いたってもう卯月二十五日には売り出してるんだから, 今更焦る必要もない。 どっちにしろ買いに来るんだったら, 予約なんていらないのであった。

というわけで, どこでも同様であろうが, 席を選んで購入。 大分後になって気付いたのだが, 何もアイドルのコンサートじゃないんだから, 最前列の中央なんかにしなくてもいいようなものであった。 暫くコンサートに行ってなかったので, 感覚が狂ってしまったのだった。 もう二, 三列後ろの方が本当は良かったのだろう。 まぁ今更言ってもしょうがない。 購入の際に, 以前にここで tickets を買ったことがあるかと尋ねられた。 どういう意味があるのかと思ったが, 音楽堂のチケットセンターでは購入した覚えはない (県民ホールの方は過去 --- もう二十年以上も昔 --- にあるが)。 只, 音楽堂から direct mail を貰っているのだと言うと, 住所を書かず, 電話番号だけ書けばよいようになった。 購入した ticket を見ると direct mail に書いてある番号と同じものが刻印してあり 「会員番号」 と書いてある。 これは会員番号であったのかと今更のように思う。

ご存じのように音楽堂の隣あたりに図書館があり, これはやっていたが, その隣の青少年センターはどうやら休館のようで, 明かりが消えていた。 坂を降りていくと, 途中の建物の中で, 何だか忘れてしまったが, 夏休みの自由研究を助けるような立て看板を立てていたところがあり, 夏休みというとこういうところがやることは決まっているのだなぁと思う。

紅葉坂を降り切り, ついでだから Landmark の先のみなとみらいホールも見に行く。 が, 特に目を引くようなチラシもなかった。 それはそのはず。 何故かというとここからも direct mail は貰っているのだった。 只, みなとみらいホールからの direct mail は私の名前が間違っているまま, ちっとも訂正されないで送られて来るのだった。 それが一寸許せない。

Landmark Plaza の所には 「フューチャースケープ」 の投票箱があったはずなのだが, 放送日当日だった所為か, 置いてなかった。 珍しく投票してみようかと思ったのに残念。 桜木町の駅前では, 何故か 「横濱カレーミュージアム」 の宣伝をやっていた。

気象庁はこの日の午前中に, 関東・甲信地方が梅雨明けしたと見られると発表した。

Saturday, 2nd August, 2003.


[2] コンサート当日

晴。 年休 (所謂有給) をとって早めに出掛ける。 クラ音でパック氏に勧められていた, 地獄のオルフェ (所謂 天国と地獄) の ticket を購入。 ぴあステーションでいつの間にか各種 credit cards が使えるようになっているので驚く。 横浜ルミネのぴあステーションもリストラなのか随分狭いところに追いやられている。
 あまりにも時間があるので, 健康の為と運賃節約の為に歩いてみる。 16:50 頃, 大岡川沿いの所にベンチがしつらえてある。 そこに高校生らしい couple 発見。 寒いだろうが二人して寄り添っている。 なかなか通なのかもしれない。 折しも すずよし の屋形船が接岸した。

ホール正面に着くと長蛇の列である。 あとで分かったが大ホールの方で SOJIRO LIVE 2003 オカリナ エチュード コレクション リクエスト なるものが開催されていた。 宗次郎って誰よ? ともかく正面は大変そうなので裏のギャラリーの入り口からこっそり入る (笑)。
 大ホールの方は 17:35 頃開場。 18:00 にはギャラリーの方は閉場らしい。 トイレに行ってみると, ロビーのトイレの便器の数が減っていてびっくり。 ここもリストラされている。 健康増進法の為に, 正面玄関入って左手すぐのところに喫煙所と煙を吸収する (?) 機械が置いてあるが, 風の所為か結構煙が流れてくる (駄目じゃん)。
 ロビーで商工の私の組の卒業生に会う。 みきさーとゆうちゃん (と在校時代に呼ばれていた。 本名も書けるが書くとまずいかもしれないので書かないでおく)。クセナキスの方ではなくて宗次郎の方に来ていた (当然か)。 三回目なのだという。 連れの人 (あとで見かけた感じでは僕の知らない人) がなかなか来ないので入場出来ずににいた。 演出の都合上途中で入場しても席につけない恐れがある旨 announce していた (こちらの開演は 18:30) ので, 他人事ながら心配していたが, どうやらぎりぎりで間に合った模様。 一寸安心。

18:30 になってこちらは開場。 Program を販売しているかと思いきや, 販売していないのだった。 現代音楽だとそんなものなのかもしれない。 珍しいことに, 曲順と演奏時間の大体の目安が書かれている。 良く見るとチラシの曲順と四曲目と五曲目が入れ替わっていることに気付いた。 入ってみると小ホールの正面にある pipe org. は板で隠されている。 19:00 ほぼ時刻通りに開演。

1. Da Capo (約 12 分)

楽器配置
グロッケン マリンバ
fl & ピッコロ cl bassoon 打楽器
pfte vn va vc
ハープ 指揮者  

Program note に拠ると:

この作品は一つの unique な 「弓形」 の中にある変形の mechanism という, 高度に明確な process によって演奏される。 そしてそれは絵の具を塗っていく仕草のように明確で分かり易いものでなければならない。 これは実際に変形するというよりも, いわば生理学的な変形である。 一つの中心と, それを反映する二つの枝を持つ。
 『ダ・カーポ』 は殆ど生理的ともいえる純な状態にある energy “鼓動と rhythm” から始まる。 この energy が徐々に漠然としたものから明確なものへと展開し, やがて空間と時間の大きな 「rallentando (次第に緩やかに)」 の内に, 疲弊し, 更に先へ先へと進んでいく。

Title Da Capo は文字通りに取るべきでなく, 繰り返し繰り返し同じ theme が表れる, という意味であると思われる (が, 違うかもしれない)。

曲はいきなり tutti の不協和音一発で始まり, 直ちに cl と fl に引き継がれる。 やや古典的な部分が中間部で表れたかと思うと直ちに現代的な部分が表れて緊張が走る。 つんざくような vn のハーモニクスとピッコロの音が鳴り響き, 最後は vn で静かに終わる。

2. Akanthos (約 10 分)

楽器配置
fl & ピッコロ cl & bass cl (?)
pfte vn (1st & 2nd) va vc Contra Bass
Soprano 指揮者  

Jannie Pranger はどこかで見た名前だと思ったら, Saturday, 21st March, 1998 神奈川県立音楽堂で行われた 権代 (ごんだい) 敦彦シリーズ 「21 世紀への音楽 II」 薔薇の馨る二枚の音の静物画 目で見る音/耳で聴く画 というのに当時メゾソプラノで参加していたのだった。 (そういえばこちらの方も NHK-FM の現代の音楽で放送されていた)

Program note に拠ると:

歌は piano 以外の楽器と見事に融合している。 Piano は micro-interval (半音の間) の音が出せず, glissando (滑るような急速な演奏) が出来ない為, outsider の様な役目を果たす。 Piano が速い奏法でこの handicap を隠そうとしても無駄である。 終わり近くの piano solo では, piano と infra chromatic な (半音の下の) 世界との違いが顕著になっている。 通常の対立が A の音で演奏され, 弦が荒々しく加わった後, piano によってその音が明確に示され, それを soprano が拾う。 Soprano は弦の micro-interval に影響を受けて, glissando の誘惑に負ける。 Contra bass が fl の G の音に逆らう。
 『アカントス』 は不機嫌さと若干の優しさを混ぜ合わせた, 親密な性格を持った作品である。

ここに書かれているように, glissando が多用されている。 急速に下がっていく弦の glissando が面白い。 Soprano は vocalise (一部子音も混じる。 "ata" というような)。 Vc, CB は駒近くを押し付ける様に弾くことが多い。 楽しい曲であった。

Akanthos はギリシャ語で ’Άκανθος と綴るらしい。 意味が良く分からないので, そのまま載せると Lat. acantbus, bear's breech, a plant, used in Corinthian capitals.

3. Oboe concerto (約 20 分)

楽器配置
pfte cl bassoon horn 打楽器
harp 1st & 2nd vn va vc CB
ob   指揮者

この曲は, 今回演奏された Ernest Rombout と Xenakis Ensemble の為に書かれ, 彼等に献呈されたものであるそうだ。 作品は三つの部分に分かれているそうだが, 間を置かずに演奏されるので余り分からない。 曲調の変化は分かったようである。

Program note に拠ると:

最初の部分は他の二つより長く, soloist の melodic な展開を基盤とするゆっくりとした楽章で, 快活な中間部を持つ。 二番目の部分では, piano, harp, マリンバが trio を組んで rhythmical な鼓動を提示し, それを取り巻く形で他の楽器がそれぞれの演奏を組み立てる。
 Ob は concertante の様に他の楽器に対峙するが, いくつかの passages では, 他の楽器と共に ensemble を生み出している。 最後の部分は cadenza を挟む二つの部分に分かれる。 この二つの部分はそれぞれが実質的な第一部, 第二部を構成し, soloist はそれまでの演奏の要素を全て含む rallentando の数小節で作品を終える。
 1992 年 6 月 27 日, ミテルブルクで初演された。

私は三曲目で少々頭が疲れてきた。 最初の方は 「普通の現代音楽」 という感じ。 半ばになって打楽器と管楽器が効果的に使われ出してから (つまり第二部になってから) 面白くなった。 上の方に書いたように, 今回は一番前の席をとったのが幸いして, soloist の演奏の微妙な nuance が良く分かった。

《20 分休憩》 19:57--20:17
神奈川県未ホールの小ホールの方は一端外に出ないと飲食できない。 そこで外に出て pack 入りの juice を飲む (節約)。 周りを見てみると結構 couple が多い。 現代音楽の concert で date なんてあんまり考えられないと思っていたが, そうでもないことが判明。 それから超偏見だが, 一人で来たらしい女子高生を発見してびっくり。
 2ch のクセナキス スレでこの concert に来ると書いていた人がいたが, どの人なんだろうなぁと一寸思う。

休憩時間には聴覚神経が研ぎ澄まされて, 椅子のずれる音, fastener の開く音, そういった日常生活の全ての音が音楽に聞こえる懐かしい感じを思い出した。

4. Concerto for 2 percussion and ensemble (約 20 分)

楽器配置:
vn va vc CB 木管(4) 金管(4)
グロッケンなど, マリンバなど。

作曲者は, Xenakis Ensemble の violist (va 奏者) である。 実際にこの曲を演奏していた。

Program note に書いてある, 作曲者自身の言葉:

私にとって初めての打楽器の為の協奏曲であるこの作品に取りかかる前, 私は世界中の録音を幅広く聴いた。 特に西アフリカの音楽家とオランダ人ドラム奏者ハン・ベニンクからは強い影響を受けた。 色々な楽器を演奏してみせてくれ, CD を貸してもらい, advice をくれたタチアナ・コレヴァとヨハン・ファーブルに, 感謝申し上げたい。 この作品には soloists が二人, 色々な打楽器 (金属製, 木製, 高音・低音の皮革製) が二つずつ, orchestra の各 section (木管, 金管, 弦) に二人の二倍, つまり四人の演奏家, 2 parts の編成, 二つの対称的な pitch の展開 (orchestra は徐々に低い pitch から高い pitch へ, soloists は高い pitch から低い pitch へ) がある。 故にこの作品の title は 「2」 である。

極めて古典的な melody のある音楽を演奏する ensemble と極めて現代的な打楽器とのせめぎ合いが大変楽しい。 時折 ensemble は percussions に引きづられて現代的になり, 又 percussions は ensemble に引きづられて古典的になったりする。 作曲者自身の言葉にある通り, 打楽器も二個で 1 set になっている楽器が多用されている。 (Plato がどこかで, 偶数性について何か書いていたような気がして引用しようと思ったが忘れた) これは再演されても不思議はない。  「所謂現代音楽」 の宣伝として用いても多くの人に愛されそうである。

入場時に掲示してあったものによるとここで約 10 分の休憩だが特に announce は入らず, そのまま席の配置換え。 図らずも譜面台の調節のプロの技というのを見せてもらった。 5 分位で配置換えは終了したであろうか。 まぁここの配置換えが大変なので最初の予定から曲順を変更したと思われる。 何故か休憩ではなかったはずなのに, 休憩時間終了の melody が流れる。 そういえば 3 と 4 の間の休憩終了の時には何もなかったような気がする。

5. 中間地帯 (約 15 分)

楽器配置
percussions
fl (alto & tenor?) cl
harp vn va vc DB.

Program note に拠ると:

1994 年に書かれた 『中間地帯』 は, 92 年に書かれた弦楽四重奏と harp の為の Landscape II を, 室内 ensemble と harp の為の作品に改作したもの。 Title は人と宇宙の間, 前景と背景の間, そして音と音の間に拡がる, 曖昧だが多義性に満ちた area を表しており, 実際, 曲は静謐な時間感覚を基調にしながらも, 時折炸裂する騒音的な響きが, 音楽に思わぬ波紋を投げかけていく過程といえる。 そして,この波紋が沈黙の中に溶け込んでいく一瞬の間に, 聴き手は mysterious な 「中間地帯」 を体験することになるのである。

と書いているのは沼野雄司だが, 僕には後半の意味はあんまり良く分からない。 聴いた感じでは 「夜明け」 という image. 夜と朝のせめぎ合い, 静けさから喧噪への葛藤に満ちた移行, 日本的な詫び錆び, 純邦楽的な味わいといったところ。 作曲家自身が来ており, 演奏後, 客席から stage に上がって演奏者と共に挨拶をしていた。

6. Thalleïn (約 18 分)

『タレイン』 とはギリシャ語で 「新芽」 という意味だそうである。 家にある Greek-English Lexicon を見ると θαλλός という語が出ており a young shoot, twig と出ている。 多分これの変化形なのであろう。 θαλλεϊν と綴るのであろうか。 今日の演奏の最後に相応しい強い energy を感じる力一杯の演奏で非常に楽しめた。 あんまり力が入りすぎたのか, 指揮棒が飛んで来て一寸びっくり。 一応 program note を引用しておく。

『タレイン』 には十四人の演奏家が必要である。 その中では, 打楽器奏者が中心的な役割を担う。 この作品は Xenakis の style のあらゆる性格を備えているが, Phlegra (プレグラ, 1975) よりも多弁である (Phlegra とは Φλέγρα で あり, ターレスの説に出てくるもののようである)。 又明らかな polyphony の手法による幾重にも融合されたこの作品は, 演奏者に卓越した演奏能力が要求される。
 この作品からは, Xenakis の作曲に於ける進化が数多くうかがえる。 作品冒頭でゴング (銅鑼) が使用されるところなど, この作曲家の特定の響きに対する特別な好みを, 聴き手は感じ取るであろう。
 『タレイン』 は非常に私的な作品であり, Xenakis の他の全ての作品同様, 彼の style を強く示している。 しかし, これら様々な影響のお陰で, この作品は Xenakis の近年の作品で最も複雑且つ神秘的なものとなっている。 この作品は London symphonietta によって委嘱され, 1984 年 2 月 14 日, エルガー・ホワースの指揮で初演された。

21:20 終演予定が 21:45 頃に終わった。

最後に演奏者に signatures をねだっていた男の人, ball point pen を貸したのは私だよ! (笑)

外に出ても割りに暖かかった。 家に帰るとフジ子・イングリット・ヘミングがラ・カンパネラを弾いていた。 妙に柔らかくて優しげな演奏であった。


第二夜
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