白石美雪の はじめて聴く現代音楽
〜目からうろこの初心者向け現代音楽入門講座〜

〈テーマ〉 観る音楽

Saturday, 15th November, 2003.
横浜美術館レクチャーホール
14:00 -- 16:15.


I. 講義 テーマ 「観る音楽」

II. トーク & 公演 演奏: 溝入敬三

1. トム・ジョンソン: 失敗 --- コントラバスのための非常に難しい曲

2. 湯浅譲二: トリプリシティ

3. 溝入敬三: 小吉 (しょうきち) の夢

4. ジョージ・ガーシュウィン: そんなことはどうでもいいさ/サマータイム

5. ジェイコブ・ドラックマン: ヴァレンタイン


二週間後に行く, Just Composed 2003 in Yokohama の ticket に 「関連レクチャー 『白石美雪の はじめて聴く現代音楽 「観る音楽」』 に本チケットでご入場いただけます。」  と書いてあって, 良く見ると, チラシの裏にも 「無料でご入場いただけます」 とわざわざ書いてあった。 あんまりこういう lectures には行ったことがないので, 一寸迷って数人に訊いてみて, 行くことにしたのだった。 当然のことだが, 幾ら入場料が只と言っても交通費はかかるのであった。

「現代音楽, 聴かず嫌いになっていませんか? 多彩な現代音楽の世界をコントラバスの演奏を交えてわかりやすく紹介します。 講座を聴いて生演奏で確かめれば, さらに楽しめること間違いなし! あなたも, ぜひ参加してみませんか?」 という別の触れ込みのチラシがも手に入った。 ワンドリンク付きで \1000. 講師は (書いてあるが) NHK-FM 「現代の音楽」 で声は良く知っている白石美雪, CB は溝入敬三氏。

曇。 家を出る一寸前, 横浜美術館に着いたとき, 帰りと三回雨に見舞われた。 今週は 11 日から急に寒くなり師走並の気温であるとか。 しかも学校というところは 12 月になるまで暖房を入れてくれないので風邪ぎみになってしまった。 昨日古いバスで引っかかってしまったバスカードを使ってみると, 今日のバスは新しい所為か, 或いは会社が違う所為か引っかからずに無事通過。

13:30 には開場の予定だった。 大体良い時間に美術館に着いたのだが, 「前のが押している」 とのことで 13:40 迄待たされる。 暇なので, 係の人に勧められたように当日アートギャラリーでやっていた 「子供のための展覧会 --- 校長先生はアーティスト --- 後藤楯比古の世界展」 というのを見た。 この人は August 1944 茅ヶ崎生まれで, 現在鎌倉市立御成中学校の校長だそうである。 洗濯挟みで作ったバッタ, 消火器で作ったペンギン, 自転車 (三輪車 ?) の frame で作ったダルメシアン, (自動車などの) マフラーで作った鳥などが展示されていた (16 Nov 迄)。 更に時間が余ったので, ミュージアムショップも見てみた。 マルク・シャガールの絵が良い。 マグリットのネクタイはなかなか合わせる服が難しそうだ。 ネクタイピンは一寸良かったが, 買うほどじゃぁないなぁなどと屁理屈をこねて只見るだけ。

43 分頃になって入場。 プログラムを見ると, チラシには 「演奏を交え」 とあったが, 「交え」 どころではなく, きちんとした演奏があることを知る。 これだったら 「現代曲の contrabass による演奏あり」 と書いた方がずっと宣伝効果があると思われる。 又, この program はオレンジ色の紙に赤で文字が書いてあるのでとっても読みにくい。 明るいところでは読めるのだが, hall の中では照明が十分でないのでもう少し考えた方が良い。 中では舞台裏で Bach の無伴奏チェロ組曲を弾いているのがわずかに聞こえる。

観客は全部で 30 人位か? 全部で 240 席もあるのに約 1/8 程度しか入っていない計算になる。 非常に勿体ない。 採算は合うのであろうか。 がらがらなので隣の席が荷物置き場に出来る。 皆こういう hall の構造を知らないのか, メモを取ったりしているのに, 肘当ての右から書き物用の mini-table を出して使うということをしない (^_^;

I Lecture 14:05 -- 14:53

白石さん登場。 意外に若い。

現代音楽には performance が重視されているものがある。 今回の鶴見幸代 (さちよ): 醸鹿 (かもしか) 委嘱作品もある。 作曲家が曲中で身振り夜動作を指示している曲というのは多い。 鶴見氏はどちらかというとそういう指示が多い作曲家だが, ここでは敢えて音楽のみに徹してもらい, performance の方は山田うん氏に任せているという点で贅沢な作品である。

音のみの提示。 何か叩く音。 Music concrete? (一分弱) 続いて video. グランドピアノの内外を叩いている音であることが分かる。 叩き手は 2 人。 譜面持ちが各々一人ずつ。 ばちを渡す人二人の総勢六人がピアノを囲んでいるのでかなり混み合っている。 全体で 11 分程の曲だそうで, ベン・ジョンストン (?) の Knocking Piece. January, 2002, 東京オペラシティ小ホールでのアンサンブル・ノマドの演奏だそうである。

唯音だけを聞くのと見るのとでは違う。 Piano の存在, 周りの空間も表現の材料となる。

オスカー・フィッシンガーがジョン・ケージに語った言葉で 「この世界にある物には全て精霊が宿っていて (精霊に語りかけるには ?) 軽く叩いて音を出せば良い」 というのがあるとか。

Knocking Piece はこの 「場を確かめる, 探る」 ということが実現されているように思われる。

音楽は果たして聴く (だけの) ものであろうか? Opera ではなくても例えば piano の演奏。 音の付け足しというのではなく, 見る要素というのも本質的ではないか。 グールドの (背を丸めて弾くという) 演奏, 最近の見目麗しい演奏家。

通常音を直接出さない 「指揮者」 というもの。 近代曲の指揮 (上から下に振り下ろして曲が始まる) とグレゴリオ聖歌の指揮。 グレゴリオ聖歌ではモクロー神父に始まるという下から静かに手を挙げていく曲の始まり。 休みの状態から音 (energy) が立ち上がるという考え。

グレゴリオ聖歌からキリエを聴く。

身振りが音楽の本質の一つ。 「音楽 = 音の流れ」?

音楽 「作品」 という概念, 音の構築物というのは実は 20c に入ってから (音そのものが記録され, 再生されるようになってから) の概念 (ここで staff が誤って拍手の音を再生してしまう。 白石氏びっくり)。 日常 (音を発するという動作) への回帰, 引き戻し。

前衛音楽。 1960 年代。 USA. フルクサスの運動。 Game や視覚のための詩など。 Performance 重視。

ラモンティアンク作 composition No. 10 「まっすぐ線を引いてそれを辿れ」 とだけ書いてある作品。 → Minimal music の創始者の一人。

ジョージ・ブレクト: Drip Music. 「水が器に落ちるように, 水の器と空の器とを配置せよ」。

身振りと動作が先行している音楽作品。 フルクサスのいう happening, performance. 日常の動作の 「的を外す」 「舞台に上げる」。

高橋アキによる Drip Music の video (全 8 分の内の 3 分位 ?) [実は空調や video の音も音楽であろう]

聴く と 見る とをわけない。 未分化のまま提示, 共有。

伝統に抵抗し, それを打ち破る運動だった。 が, 伝統的音楽についてもなにがしかを教えている。 何故なら 「音だけが独立した作品」 というのは歴史的, 地理的に見ても非常に狭い範囲のものでしかない。

シュネーベルのノスタルジー (1962, フルクサス・フェスティバルで初演) は副題が 「一人の指揮者のための独奏」 とあり, 指揮者の動作による可視的作品。 彼は神学や哲学を学んだ。 この作品は現場に行かないと面白さが伝わらない。 「ずれ」 と 「ほのめかし」。 即ち, 演奏者のいない指揮者という常識との 「ずれ」, 逆にいうとそこに (いないけれども) 演奏者がいるという 「ほのめかし」。 こういうものはユーモラスであったり, 或いはシニカルであったりする。

ストーリー性がある。 物語を読み取る→演劇的。

身体性: 後半で演奏される Valentine や Just Composed 2003 in Yokohama で演奏される醸鹿 (かもしか) など

私は, 「タケシの誰でもピカソ」 などに見られるような performance (達成という意味ではない) = art という考えには一寸賛成できないのだが, では演奏そのものは performance じゃないのかとか色々難しい問題があるのでその点には触れないことにする。

《15 分休憩》

Just Composed 2003 in Yokohama の ticket は本日割引らしい。 見てみると \1000 ずつ引いてあった。 このことから考えると, 要するに lecture \1000 + concert \2000 という構成と見ると納得できる。 だからこそ聴衆がこんなに少なくてもペイ出来るとも考えられる (lecture に来ない人も料金を払っている)。 しかし実際はあんまり tickets は売れていないのではないか。 某所ではプレゼントになっていたし。
 ワンドリンク付きというのはこの時紙パック入りの十六茶か, 銘柄は忘れたが (赤い) 缶コーヒーであった。 お茶とコーヒーが悪いとは言わないが, 紙でもいいからコップに入れた方が良くはないか? でもそうするとコストがかかるのか。 後で考えたら, せっかくパック入りだったのだから飲まずに持ち帰ればよかった。
 舞台両端にスピーカー, 上手に OHP, シンバル, マラカス, マイク。

II. Talk & recital. 15:09 -- 16:13

溝入氏も若く見える --- というところで気付いたが私は大分年齢感覚が狂っていて, 上の方にずれているらしい。 私の見た目による年齢評価は信じない方が良い。 彼は良く 「演劇系」 と言われるそうである。 オケに 10 ヶ月ほど所属していたこともあるが, じっとしているのに堪えられないそうである。
 二番目のトリプリシティでは本当は銅鑼が二枚必要だが予算の関係でシンバル一枚で代用。 トリプリシティは三位一体という意味 (?) だそうだが宗教的意味はない。 演奏されるのは一番の CB で, 左が二番, 右が三番である。 三台でも演奏可能だが, 元々 tape 再生を前提として作られている。
 最後のヴァレンタインの解説では, 楽譜の最初の page が OHP で投影される。 五線の下に二本の線が引いてある。 これは CB の駒とか tail piece, 表面, 側面などを 「叩く」 という指示に用いられる。 譜面読みだけで半年かかるそうである。 (演奏開始から) 20 秒 とか 30 秒 とかいう指示がある。 「読め」 と書いてある注釈とか。 譜面中 △: hammering, □: ティンパニのばちで叩くという意味。 単語 valentine には 「大切なもの」 という意味があるとか。 OALDCE によると sweet heart と出ている。 Contrabass 奏者が良く弾く曲である。 色々な performance が要求され, 「受ける」 要素を要求される曲。 楽譜の冒頭に 「20 秒」 と書いてあって, これはそのあとに来る部分を音を出さないでやるという指示があるそうである。 しかもその部分はいくつかの部分に分かれていて, 必ずしも譜面の順にやる必要はないのだそうだ。

OHP 退場。 Contrabass は四弦だった。

1. トム・ジョンソン: 失敗 --- コントラバスのための非常に難しい曲

トム・ジョンソン (1939 --) はコロラド生まれで 83 年からパリ在住。 オペラから器楽曲まで多彩な作曲家だ。 ミニマル音楽風に音はシンプルだが, 構造は論理的。 75 年の 《失敗》 は奏者が読む深遠な (?) テキストが笑いを誘う。

楽譜を置きながら 「これはパフォーマンスじゃないです」 という。 朗読と音楽。 朗読は 「この曲は難しい。 今はまだ簡単だが段々難しくなる」 とか 「どうせ観客は楽譜を見てないのだから難しい passage を飛ばしてしまったってどうせ分かりゃしない」 とか 「しかしそうしたらまさしく作曲家の意図通り 《失敗》 することになってしまう。 でも間違うことなしに演奏に成功したらこの作品は 《失敗》 ではなくなってしまう。」 などと 《失敗》 の成功, 失敗は成功などという言葉遊びが或いは所謂 liar (嘘つきの paradox) が展開される。
 マグリットの 「これはパイプではない」 というパイプの絵のような感じ。 「演奏の失敗」 「朗読の失敗」 「作曲者の意図の失敗」 「作品 title」 を同一語 「失敗」 と呼ぶことによって生じる混乱。 Title には意味がなく例えば construction というようなもの (title) と同じと思えばよい。 が, 「失敗」 と名付けた作者の意図はどうなるのかという問題が残る。 深く考えなければ, title が 《失敗》 なのだから, どう失敗してもそれで成功なのだと言って開き直ってしまえるとも言える。
 実際は朗読に失敗したか?
 「おしまい」 といって終わり (だが, ここも作品の一部なのか?)
 「伊東家の食卓」 で最近流行りの 「ストループ現象」 の応用の一つだということに, あとで気付いた。

「さて, 結局失敗したんでしょうか?」

で, 私が思うに, 朗読を聴いていると曲が聴けず, 曲を聴いていると文章の意味が取れないという意味で失敗かもしれない。 が, これは音楽なのだから, 文章の意味を取ろうとすることそれ自体が誤りともいえる。 気楽に聞けば面白い作品だが, 意味を考えるとかなり深淵である。

2. 湯浅譲二: トリプリシティ

湯浅譲二 (1929 --) は戦後の日本を代表する作曲家の一人。 70 年代の 《トリプリシティ》 は 「三位一体」 という意味。三パートが集まって初めて音楽的な形をなす。 今回は録音 2 パートと生演奏が共演。 一部に即興も含まれている。

とあるが, 三位一体は The Trinity の筈。 Triplicity とは 「三つ組み」 「三倍であること」 「三重であること」 というような意味である。 日本人が誤って 「三位一体」 という用語を使うことがあるが, そういう意味で使っているのであろうか。

マラカスで弦を叩くなどあり。 一部含まれている即興 (の一つ?) で 「現代音楽はお好きですか?」 という問いかけがなされる (譜面にはその場の気分で思いついた質問を発すると書いてあるらしい)。 その後日英独仏伊露で楽観的に肯定される --- 即ち 「はい」, yes, Ja, oui, si, da (да) と発声する。

3. 溝入敬三: 小吉 (しょうきち) の夢 (-- 15:54)

溝入敬三 (1955 --) はコントラバス奏者であると同時に作曲家でもある。 知り尽くした楽器から imagination 豊かな世界を作り出す。 《小吉の夢》 は今年 (2003 年) 二月に初演された。 朗読される自作の短編に優しい響きの音楽が絡む。

ここで朗読されるのは 「小吉」 という名前のコントラバスがコントラバスとバラライカ (?) の間に生まれて... というような童話なのか暗喩の物語なのか良く分からないがそういうお話が語られ, 失敗 の様に同時に音楽が演奏される。 物語は面白いのだが, やはり, 音楽と同時に聴くのは難しい。 部分的に歌が歌われる (鼻歌的)。 こちらでも 「おしまい」 と言って終わった。

4. ジョージ・ガーシュウィン: そんなことはどうでもいいさ/サマータイム

ヒット・ソング作家から転身した George Gershwin (1898 -- 1937) は Jazz とクラシックを融合した音楽で一世を風靡した。 この曲は黒人を主役にした歌劇 Porgy and Bess (三幕, ヘイワード台本, 1935 年 NY 初演) からのナンバーを溝入が二重奏用に編曲。

汗をぬぐってここで tuning. 伴奏 part は録音。 なんだかこれまでに比べて普通すぎる感じがする。

5. ジェイコブ・ドラックマン: ヴァレンタイン Valentine for Solo Contrabass. (16:01 -- 16:13)

ジェイコブ・ドラックマン (1928 -- 97) はアメリカのアップタウンを代表する作曲家。 ユーモラスで個性的な作風を持つ。 69 年の 《ヴァレンタイン》 は楽器を攻撃するサディスティックな動きが特徴。 一種の華麗な音楽劇だ。

「歳を取ってきて演奏用の縮小コピーの楽譜は良く見えない」 と言いながら 「牛乳瓶の底のような」 眼鏡をかける performance. 最初は上述のようにジェスチャーの部分だがこの部分はまるで image training の様に見える。 音を出して演奏する段になると眼鏡を外す。 かなり忙しそうな曲。 注意書きを読む部分は 「観客に意味が聞こえない程度に小声で読め」 みたいなことを言っていたような気がする。 「うっ」 とか 「あっ」 とかいった発声。 ホーミーに似た発声など。

Lecture hall なので音響的にはもう少しだった。 白石さんから, 二週間後の Just Composed 2003 in Yokohama では 「友達を一人二人三人, 出来たら沢山誘っておいでください」 との発言あり。

因みに今日演奏した溝入敬三氏は CD 「コントラバス劇場 Contrabass Playhouse」 ZIP-0009/ZIPANGU PRODUCTS (ラッツパックレコード取り扱い) 2003.10.01 \2800 (税込み) を出していて, ここで演奏されたトム・ジョンソン: 失敗, ジョージ・ガーシュウィン: そんなことはどうでもいいさ/サマータイム, ジェイコブ・ドラックマン: ヴァレンタイン, 溝入敬三: 小吉 (しょうきち) の夢 の他, ヴィラ=ロボス: ブラジル風バッハ第五番より 「アリア」, アストル・ピアソラ 「1930 年代のカフェ」/「1960 年代のカフェ」, ジョエル・レアンドルの 「タクシー」, J.S. Bach のサラバンドを聴くことが出来る。 又, この CD の発売記念ライヴを 19, 26 Oct に行ったが, これの追加公演を pfte 服部真理子, ob 溝入由美子 (奥さん?) と
代官山クラシックス (東京都渋谷区代官山町 14-3 フラミンゴ・カフェ B1F), 15: 30 --, Sunday, 15th February, 2004,
エアジン・ジャズクラブ (横浜市中区住吉 5-60), 19:45, Friday, 20th February, 2004
に行うそうである。 興味のある人は行かれると宜しい。


演奏が終わって, アンケートに答えたのだが, どうも箱等を置いてない (人数が少ない所為もあったのか) ので, 渡しそびれて帰ってきてしまった。

JR 桜木町駅前の崎陽軒の売店でキノコ焼売 (しゅうまい) (六個入り \500) と海老焼売 (十個入り \1100) を 買う。 それを自分の袋に入れる際に手袋を落としてしまい, 一度来た道を戻ったりした。

家で食べてみるとやはり値段の差は歴然としていて, 海老焼売は美味い。

夜には雨が時々激しく降ってきた。 明日の opera は大丈夫であろうか。


2003 年のコンサート鑑賞記録の目次
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