Just Composed 2003 in Yokohama
〜現代作曲家シリーズ〜
パフォーマンス --- 身体が創る音空間

Saturday, 29th November, 2003.
横浜みなとみらいホール 小ホール
19:00 -- 21:25


Mauricio Kargel (カーゲル): MM 51 Ein Stück Filmmusik für Klavier (MM 51 〜ピアノのための映画音楽)

Giacinto Scelci (シェルシ): Ko-Lho (コ・ロ)

近藤譲: 横浜 (1989 年度 横浜市委嘱作品)

Dieter Schnebel (シュネーベル): Nostalgie (ノスタルジー 〜一人の指揮者のためのソロ〜)

鶴見幸代 (さちよ): 醸鹿 (かもしか) <振付: 山田うん>
(2003 年度 (財) 横浜市芸術文化振興財団委嘱作品) (世界初演)

Salvatore Sciarino (シャリーノ): Omaggio a Burri (ブーリへのオマージュ)

Luc Ferrari (フェラーリ): Und so Weiter (ウント・ゾー・ヴァイター)


中川賢一, pfte.
木ノ脇道元, fl
菊地秀夫, cl
野口千代光 (ちよこ), vn
甲斐史子, 2nd vn
山田うん, 振付, dance.


私は知らなかったが, Just Composed in Yokohama はこれで 5 回目らしい --- ということは 5 年目なのだろう。 ホールからの DM で知って, e+ で ticket 購入。 この日のコンサートのコンセプトは, title にある通り, 「パフォーマンス」 だそうで, 「音のパフォーマンスのみならず, 演奏家の身振り, 手振りにもご注目ください」 とある。

カーゲルの "MM 51" はみなとみらい 21 (MM 21) となんだか関係がありそうだ (300 年先のことを言っているのかもしれない。 シエルシのコ・ロは何だか分からないが, colo というとコーラス (の複数形) だ。 フェラーリの Und so weiter はドイツ語で 「等々」 を意味する。 屡々 usw と略される。

パフォーマンスがコンセプトだから小ホールなのか, 小ホールだからこそパフォーマンスなのか, その辺は不明だが, なかなか楽しめそうである。

Friday, 26th November, 2003.


横浜に来るといつも自分がとても解放される。 外へ向かった海と都会的な町並みの融合はいつも刺激的です。
歴史を持つ "Just composed in Yokohama" は新しいものを生んで育み, 外への発信をしている横浜ならではの素晴らしい企画でしょう。 今回は身体の "うごき" 音の "うごき" を皆さんに 「きいて」, 「みて」 楽しんで頂けるのではないかと思っています。 カーゲルの演劇的な曲に始まり, シェルシ の音のよじれ, 近藤さんのその静けさの中で音が空間で膨らんだり縮んだりする世界, シュネーベルの演劇的な世界の中で無音の中に聞こえる 「おと」, そして今回委嘱の新進作曲家, 鶴見さんの曲はダンスの音と動きの会話, シャリーノの, 聞こえるか, 聞こえないかという, かそけき音の中にある微細な動きと色彩, あとフェラーリの一人で打楽器, ピアノを電子音と共に演奏する激しい音の渦を皆さんに楽しんで頂けるのではないかと思います。 特にこの曲は銅鑼, 大太鼓, シンバルといったものから, ビリヤードボール, 水晶球, 瓢箪, 爪切りといったものまで使用いたします。 乞うご期待。
今日は音楽とダンス,  演劇との違いって何なんだろう? 何て考えていただいてもいいでしょう。 音のダンスが見えたなんてことがあったとしたら最高ですね... 今書かれた音楽が今の時代の人に演奏され, 又いつかそれが引き継がれて未来へと羽ばたいていくなどというのは本当に演奏する方も興奮します。 自分の知らない遠い国々へ繋がっている海, 何万年も前の人も同じように見ていたかもしれない海, 遠い国々と時代を超えたものを感じる海をこのみなとみらいから見ながら考えました。

中川賢一
選定委員メッセージ より


当日は朝から雨で寒い。 出掛ける頃は当たりはもう真っ暗。 雨は小雨となっていた。 が, 17:50 頃桜木町駅に着くともう雨は上がっている。 がランドマークのてっぺんは雨雲か霧でぼうっと霞んで見える。 いや, 本当のてっぺんは霞んでしまって見えない。

18:00 頃, 前に見た singing tree の演奏をバックに, 来年の五月に行われる Bertini 指揮, 東京都交響楽団 Mahler No. 8 「千人の交響曲」 の ticket を購入。 以前, サントリーでサンサーンスの 「オルガン付き」 を聴いたときは一階席では音が上を通過してあまり良くなかったので, 今回は二階席をとってみる。

18:10 頃に singing tree の演奏が終わると, 大ホールの客がどっと入ってくる。 大ホールは Sergei Nakariakov の trumpet recital だ (こちらは 18:00 開場, 18:30 開演)。 上着を預けようと思ったが, いつも見ていたクロークは大ホールのものであった。 小ホールの方のクロークはあるのかな? そういえば, 小ホールというのは何処も冷遇されているような気がする。

18:30 になって開場。 5F 迄 elevator で昇っていく。 小ホールは二度目だが, 下で開場して, elevator で昇っていくという方式は, どうも慣れない。 上に行ってみると小ホール専用のクロークがあった。 上着のみ預けて, 早速入場。 とはいえ, チケットのもぎりを越えると, 更に今度は escalator で昇っていかなければならない。

そうした難関を乗り越えてやっとホールに入っていくと, 最後尾の席の所に mixer がでんと構えており, video camera 等も設置されていた。

座席について enquete を見ると, Ferrari の Und so Weiter は音量の大きな箇所あり, との注意書きがある。 私の席は四列目でかなり左寄り。 耳は大丈夫であろうか?

Stage を見ると, 中央に pfte. 左側にメトロノーム。 このメトロノームは台に固定されていて, その台は pedal 式で, 普段は斜めになっているが, pedal を踏むと水平になって動き出すという仕組みになっている。 メトロノームとペダルの間はかなり (2 -- 3 m?) 離れていて, ワイヤーか何かで繋がっているらしい。

座ると迫り出て来るこのホールの椅子にはなかなか慣れない。 「観る」 音楽ということで双眼鏡を持ってきたが, 近すぎて必要ないし, それ以前にピントが合わない。

開演時間 19:00 になってざっと見たところ八割程度は入っている感じ (九割かもしれない)。

1. MM51 (piano solo) 19:05 -- 19:15.

アルゼンチンに生まれ, ドイツを拠点に活躍する Mauricio Kagel (マウリシオ・カーゲル, 1931 --) は, 現代音楽の持つ 「胡散臭さ」 を微妙な距離感で利用することによって, 音楽会では珍しく postmodern 的な作品を次々に発表してきた作曲家である。 1976 年に書かれた 《MM51》 は, シェーンベルクの 「映画の一場面への伴奏音楽」 から inspire されたという小品。 ここで俎上にあげられるのは, 安っぽい 「ホラー音楽」 である。 Pianist は piano とメトロノームを同時に操作し, 時には不気味な笑い声を挟みながら, 紋切り型の恐怖を演出してゆく。 やがて緊張の度合いが極限に達した後に pianist は...。

沼野雄司

メトロノームの pedal は左足で操作される。 メトロノームのテンポは多分 largo. メトロノームが時計の秒針のように時を刻み始めて開始される。 途中まで途切れることがない。 途中からは (メトロノームは) 中断し, 最後の方はもう登場しない。 ホラー映画にありがちな, 狂人の哄笑のような笑い声は, マイクによって拡大され, スピーカから出される。 上記の program の解説にもあるように B 級のホラー映画の音楽さながらである (というかそのまま流れていても不思議はない)。 最後は胸をナイフで刺された (自ら刺した?) かのような仕草と声で終わる。

メトロノーム退場。

2. Ko-Lho (fl & cl) 19:17 -- 19:27.

80 年代に於ける 「再発見」 以来, イタリアの作曲家 Giacinto Scelci (ジャチント・シェルシ, 1905 -- 1988) には 20 世紀音楽史の中でも極めて重要な位置が与えられることになった。 倍音の揺らぎを作品の基盤に据えた点, そして何よりも 「聴くこと」 から作曲を初めた点において, 彼の試みは 21 世紀の音楽を先取りしていた感がある。 1966 年に作曲された 《コ・ロ》 は, フルートとクラリネットが近接音程を交錯させてゆく典型的なシェルシ作品。 第一曲, 第二曲共に線香花火の玉が落ちる寸前のような震える音響が特徴で, 微妙なグリッサンドが効果的に用いられている。 但し, 面白いことに二つの楽器が一緒にヴィヴラートを掛けることは全くない。

沼野雄司

楽器配置は, 左が fl, 右が cl. 一曲目を聴いたときの第一印象は, 共鳴とか唸りの実験のよう。 静かに流れる音には空間の広がりを感じる。 第二曲も同様だが, メロディーらしきものが登場するのが第一曲よりも早く, すぐに盛り上がる。 Cl の solo 音で終わる。

[pianist による talk]

九列中央あたりに座っていた近藤譲氏を舞台に上げる。 近藤氏は 「Scelci の演奏が良かったなぁ」 と感想を漏らす。 次の 「横浜」 が何故そういう title なのかときかれて, 横浜の委嘱作品だったから, 又 Yokohama が ?o?o?a?a で母音が揃っていてきれいだったからと。 又, 自分が何を書いているのかが正直良く分かっていないので, 聴いて皆さんに判断してもらうしかない, とも言っていた。

3. 横浜 (2 vn, bass fl, pfte) 19:31 -- 19:40

二つの vn, bass fl と pfte という変則的な編成の四重奏のための 《横浜》 では, 二つの vn のそれぞれに, はっきり異なった役割が与えられている。 即ち, 一方は, ほぼ常に非常に高い音域を奏し続けるのに対して, もう一方は, 主として中音域の重音が使われている。 この作品は, 横浜市からの委嘱で, 1990 年 3 月に作曲され, 同 30 日に横浜市教育文化ホールで開かれた私の作品特集演奏会でムジカ・プラクティカ・アンサンブルの演奏で初演された。

近藤譲

配置は pfte の前に左から vn 二つ, bass fl. 二つの vn の内, 1st の方が楽譜の量が多い。 vn の響きが面白い。 所謂前衛音楽で, 幽玄の世界を感じた。

大体得てして委嘱作品で, その都市の名前を冠した作品というのは大して面白くないものが多いような気がするが, この作品はそうは思わなかった (身贔屓?)。

近藤氏と soloists 各々握手。

Pfte 舞台下手に移動。 譜面台も一端片付けられる。 木の箱を 12 個出してきて, 長方形の舞台のようなものを組み上げる。 テープで仮止め。 その台の下手側後ろに式台を乗せる。 その上に CB 用の椅子。 台の前に指揮者用譜面台 (楽譜らしきものを乗せる)。 台の前に三つ演奏者用譜面台。 上手側に一つ演奏者用譜面台。

4. Nostalgie (指揮) 19:47 -- 20:06

これぞ 「身振りによる音楽」 の極めつけである。 指揮者は ensemble に向かって指示を与える image を思い浮かべながら, tempo や表情の異なる音楽の指揮を試みる。 果して, どんな音楽が彼の脳裏には響いているのだろう。 1930 年生まれの D. Schnebel (シュネーベル) は神学や哲学, 音楽学を学んだ作曲家。 特に空間的な動きや演劇的な要素に関心を持ち, 1960 年代にはフルクサスの運動にも参加している。 「一人の指揮者のためのソロ」 という副題を持つ 『ノスタルジー』 もその一つ。 1963 年のフルクサス・フェスティバルで初演された。 「可視的音楽」, つまり眼で見える音楽と題された Schnebel の作品系列に属している。

白石美雪

関連 lecture で指揮者の solo だという話を聞いてから, John Cage の有名な 「4 分 33 秒」 (1952) のように, 指揮者が舞台に出てきて, 誰もいない舞台に向かってひたすら指揮をする, というのを想像していたが, そうではなかった。

観客側を向いて, 指揮の parody を行うといったらいいだろうか。 N 響アワー等で指揮者を見ているから分かるようなものの, そうでなかったらとても成立しない。 始まってすぐ, 右手のカフスが飛ぶ (最初何が飛んだのか分からなかった)。 最初は指揮棒なしで, そのうち指揮棒を持ったりする。 声を出したり, 身体や床を叩いたり, (Guld の様に) 歌ったり。 途中で様々な曲の断片が流れる (何の曲だか不明)。 最後に指揮者転倒, 照明が落ちて終了。

この作品の楽譜 (?) はどうなっているのであろう。 又置いてあった楽譜の意味は? (飾り?) 最初想像していたものよりは遙かに音楽的だった。

《15 分休憩》

左に斜めに piano を置く。 _| ̄ という感じに先ほどの台がその横に配置され, _ の前 (上手側) に譜面台二つ。

5. 醸鹿 (fl, vn, pfte) 20:23 -- 20:42 [関連 interview (この page は存在しなくなっちゃったのでこちらで。)]

山田うんさんと, 野口さん, 木ノ脇さんの四人にどんな舞台にして欲しいかと, 自分の関心事と摺り合わせて考えたとき, 神聖で官能的な宴会の図が浮かびました。 カモシカは時に, 「美」 「駆け抜ける衝動」 と考えられ, 「醸す」 という言葉には, 神聖なものという意味が込められています。 作品は, 表面的な印象だけでなく, 見えないもの-舞台の行間を表す為に, 作曲と振付を何段階もの過程を経て, 仕上がっていきました。 この <醸鹿> が誕生する機会を与えてくださった皆様, 横浜市芸術文化振興財団の皆様に感謝を申し上げます。

鶴見幸代

(soprano?) fl が左, vn が右。 Pfte の気だるい感じの solo で始まる (そして pfte の solo で終わる) サクラサクラの引用などがある。 山田うん氏は, 黒い着物で, 若草色 (?) の帯, 着物は上をはだけて, 黒のキャミソール (?) という格好。 melodic なところで激しい踊りだったり, 逆だったり。 Comical だったり, 酔ったような感じだったり。 「カモシカ」 だけに指を角のように頭に持って行ったり。

20:32 頃 vn と fl が  ̄ の位置に移動。 和服をちゃんと着直す。 ここからやや折り目正しい感じに。 曲調が邦楽っぽくなったり, vn が篳篥 (ひちりき) 風の音を出したり。 最後は pfte solo になり, 照明が fade out する。

私は dance はあんまり見慣れていないので, あまり良く分からないが, 酔っ払ってふらふらというような踊りであっても, ちゃんと細部まで control されていて, 舞踏家はすごいなと思った。 曲の方は所謂 「現代音楽」 風ではなく, 気楽に聴ける。

鶴見幸代氏登場。 鶴見氏, 山田氏, 中川氏の talk.

「醸鹿」 の意味。 動物のカモシカと, 「醸し出す」 の意。なまめかしいとか。 大体曲先行で振付という感じではあるが, 鶴見氏が pfte を弾いて曲の感じを提示して相談しながらという感じ。 山田氏は, 色気とか色彩のある dance を心がけた。 低血圧なのに朝の 9:00 から (今日) rehearsal があったのだけど, 生の楽器だと朝でもいいなぁと。 「明日からうちに弾きに来て欲しい」。

今後のことをきかれて最初山田氏が 「明日から考える」 と言ったので, 鶴見氏も同様の答。

6. Omaggio a Burri (fl, bass cl, vn) 20:50 -- 21:02

本の十年ほど前には大手楽器店でも 「スッキャリーノ」 等という片仮名表記がなされていた Salvatore Sciarino )サルバトーレ・シャリーノ, 1947 --) だが, 今や現役イタリア人作曲家としては最も良く知られる存在になった。 音楽全体に漂う魔術的な雰囲気, かすれた音響へのこだわり, 独創的な引用手法などの点で, 現在の音楽界においても際立った個性を持つ作曲家である。 《ブーリへのオマージュ》 は title 通り, 1995 年にこの世を去った画家アルベルト・ブーリに捧げられた作品。 例によって通常の奏法は殆ど用いられず, 管楽器の key の開閉音, 風音, 重音, そして弦の harmonics 等による noise が, Burri のざらついた material の酔うに浮かんでは消えてゆく。

沼野雄司

配置は vn, bass cl, alto fl.繊細で微妙な音の音楽。 開閉音がまるで秒針が時を刻んでいくよう。 vn は駒の上を弾いて楽音を出さないようにしたり, 2 octave 上の音を出したり, bass cl は reed で叩くような音を出したり, fl が倍音を重ねて出したり。

次の曲の準備に時間がかかるので, fl, cl, vn と pfte の奏者が舞台上で先ほどの曲の演奏技法について説明と talk.

Pfte のすぐ横下手側舞台奥に銅鑼, そのすぐ前に大太鼓, マイクが何本か pfte に突っ込まれている。

7. Und so Weiter (Pfte, 打楽器, 録音)

一人で演奏するにもかかわらず, pfte の椅子の周りにはタムタムやボンゴなど, 楽器が賑やかに取り囲んでいる。 Pianist は予め録音された音と共演。 所謂 live electronic music の傑作だ。 L. Ferrari (フェラーリ) は 1929 年生まれのフランスの作曲家。 現実音を録音して加工していく具体音楽の分野で頭角を現し, 後に自ら 「逸話的音楽」 と呼ぶ独創的な tape 音楽をずっと作ってきた。 『ウント・ゾー・ヴァイター』 は 1965 年から 6 年に書けて完成。 4 分 40 秒の第一曲では piano と録音された音との激しい応酬が繰り返され, 10 分 41 秒の第二曲は繊細な響きが特徴。 時折鋭い音響が耳をつく。

白石美雪

破壊的な大音響。 グリッサンドやら肘までで打鍵するとか。 以前アイドルのコンサートなどにも行っていたので, この距離でどの位の時間この音圧にさらされると耳が駄目になるかが分かっていたので, 左耳だけ耳で押さえて音量を調節して聴いていた。 しかしこれほどの音量になるのだったら, speaker はもっと奥に配置するとか, すぐ前は客席からはずすとかすべきだったんじゃないだろうか。

後半部は瓢箪や水晶玉, ビリヤードの玉などが piano の弦の上で揺れているのが, piano の蓋から見える。 最初小鳥の囀りなどの静かな雰囲気で始まり, 弦を手でひっかいたり叩いたり, ビリヤードの玉を転がしたりという微妙な音も (アンプで拡大されてはいるが) 静かに聞こえてはいたが, 途中から又激しい音になったりする。

前の曲との gap が激しすぎた。 「うるさいけど耳を押さえたら失礼かなと思った」 という客の声あり。

Luc Ferrari は Presque Rien (殆どなにもなし) のような静かな musique concrète ばかりかと思っていたが, そうでもなかったのだなぁ。

最後に, 客席から演奏者, 作曲家が勢揃いして舞台の上でご挨拶。

Queens square を出ると雨が降っていた。

桜木町駅への動く歩道での表示 Watch Your Step! は "steps" と複数形じゃないといけないんじゃないだろうか


山田うん宣伝:

SePT独舞 vol. 11. 「テンテコマイ」 2004.1.29. thu. -- 2.1. sun.
29, 30 20:00 開演, 31 18:00 開演, 1 14:00 開演。
開場は開演 30 分前。
31 posttalk with 甲野善紀, 武術家

全席自由 (一般) 前売り \2500, 当日 \3000.

シアタートラム (三軒茶屋)

コンテンポラリー・アート・ネットワーク


2003 年のコンサート鑑賞記録の目次
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