蝶々夫人 Madama Butterfly

Friday, 16th January, 2004.
東京芸術劇場
18:30 -- 21:15

Giacomo Puccini (プッチーニ): Madama Butterfly (蝶々夫人)
原作: ジョン・ルーサー・ロング, ダヴィッド・ベラスコ
台本: ルイジ・イッリカ, ジュゼッペ・ジャコーザ

東京ニューシティ管弦楽団
第 34 回定期演奏会

初演百周年記念〜正しい楽器考証に基づく世界初演〜
コンサートオペラ形式

Cio-Cio-San, Madama Butterfly (蝶々さん): 松本美和子
Pinkerton, Lieutenant in the U.S. Navy (アメリカ海軍大尉ピンカートン): 小林一男
Sharpless, U.S. Consul in Nagasaki (長崎駐在アメリカ領事シャープレス): 勝部太
Suzuki (スズキ): (こおり) 愛子

Goro (ゴロー): 松永国和
Il Principe Yamadori (貴公子ヤマドリ): 宮本哲朗
Lo Zio Bonzo (僧侶ボンゾ): 菅野 (すがの) 宏昭
Il commissario Imperiale (神官): 安藤常光
Kate Pinkerton (ケート・ピンカートン): 渡邊 (あや)
Dolore (蝶々さんの息子): 畠山紫音 (五歳)
Yakusidè (薬師手, ヤクヒデ): 東浩一, bass
L'ufficiale Del Registro (書記, 役人): 大元和憲, bass
La Madre Di Cio-Cio-San (蝶々さんの母親): 鈴木マチ子, alto
La Zia (蝶々さんのおば): 小林裕美 , alto
La Cugina (蝶々さんのいとこ): 青木雪子, soprano

Conductor: 内藤彰
東京ニューシティ管弦楽団
Chorus: 東京合唱協会
Chorus masters (合唱指揮):
演出: 栗山昌良
演出助手: 飯塚レオ
副指揮: 小屋敷真
衣裳: 岸井克己
照明: 室伏生大
舞台監督: 小栗哲家
装置: 鈴木敏郎
製作: 下瀬のり吉


蝶々夫人は三回目。 何れも 2001 年だが, 一回はハイライト, もう一回は全幕であった。 今回は 2003 年の Lulu 鑑賞の際に日生劇場で貰ったチラシの中に, これのが入っていて, 「寺の釣鐘, 僧侶の叩く (きん), 仏壇の (りん), 風鈴... 日本の音がプッチーニの指定通りの楽器 (音程を与えられて) になって初登場! これにより初演から百年続いてきた数々の誤りを正し, プッチーニの夢の音色が今初めて世界に向けて発信される!」 というあおり文句に興味を惹かれたので e+ で ticket を購入してみたのだった。
(「あおり文句」 の所に link してあった page が削除されているようだ。 Internet Archive で見ても画像が保存されていない。 個人的に保存したものはあるのだが, 合計 873KB もあって, ここの space を圧迫するし, 著作権の問題もあるので upload しない。)

チラシの裏 (というか裏表紙?) には 「私はこの企画に賛同します。」 というのがあるからこれを一寸写しておこう。

東京ニューシティー管弦楽団には, (2003 年) 七月に私が主催しました改訂版 「蝶々夫人」 --- 初演以来の誤りを今訂正 --- (指揮: 飯森泰次郎) でお世話になりました。 「蝶々夫人」 の内容には元々非常に多くの誤りがあり, 特に日本人から見ると屈辱的とも言える箇所まで沢山あります。 私は日本人として何とか正しく訂正し, それを世界に発信していかなければならないとの前々からの想いから "改訂版" を企画し, おかげさまで成功裡に追えることが出来ました。 その時楽団の音楽監督内藤彰氏が私と全く同じ思いを持ち, 来年 (= 2004 年) 一月の自らの定期演奏会で, orchestra として主に楽器の誤りを正し, 更に Puccini の希望した日本の様々なかねから出来た楽器までも作ってしまうと聞き, その大胆な企画と彼の緻密な楽譜の読みに驚嘆すると共に, それを私の公演にも全面的に取り入れさせてもらいました。 まだ未完の楽器が多く, 新しい楽器は少ししか使えませんでしたが, 寺の鐘の音等 tape 使用でも十分に新しい取り組みの効果が現れていましたので, 来年一月の公演ですべての楽器が揃ったときのことを想像すると, 非常に胸が高まります。 これを機会に共に世界に向けて正しい 「蝶々夫人」 を広めていくことが出来れば, こんなに嬉しいことはありません。

岡本喬生, opera 歌手

私は Europe を中心に何度も 「蝶々夫人」 を指揮してきましたが, その都度世の中に無い楽器の指定箇所をどう処理すべきか悩んで来ました。 今回, 制作中の楽器を一部実際に使ってみる機会を得, その日本情緒豊かな音色寺の鐘などの新しい扱いに触れたことは, とても新鮮でした。 すべての楽器が完成された暁に, その素晴らしい音色を外国の劇場でも鳴らしてみたいという気持ちで一杯です。 それが刺激になって新しい本来の 「蝶々夫人」 が世界に広まっていくことを心待ちにしています。

飯森泰次郎, 指揮者


当日は晴れ。 夕食を調達するのにいつもの通り道付近にあるコンビニを利用しようとしたら, 潰れていた。 慌てて近くのコンビニを探して入手。 Pretalk に間に合いたいのでかなり焦る。 何故か行きも帰りも山手線がすいていた。 珍しい。
 池袋駅では東京芸術劇場の site で調べた行き方で行ってみる。 JR 南口を出て, 2b 出口。 東京芸術劇場の地下に出る。 メトロポリタンプラザの前当たりでこの道で良いのかと一寸不安になったが, 何と便利。 こんな通路十年前にあったか?

ホールに着いてみてオペラグラスを持ってくるのを忘れたことに気付く。 まぁコンサートオペラ形式だからいいかと思う。

コートとマフラーをクロークに預ける。 そういえば, 預けるために, 椅子のところで脱いでいたら, おばさんがプレトークというのはここでやるのかと聞いてきたが, プレトークというものを聞いたことのない人には 「プレトークがあります」 という案内だけじゃ分からないのであろうなぁ。

中にはいると, 鉦だの鈴だの, 銅鑼 (後述) だの二本の榊だのが見える。 コンサート形式だというのに舞台奥 (例えば第九で言うなら合唱隊が入るところ) に障子とか舞台装置若干があり, 二階席の前の方 (2RB と 2LB の A 列) を使って証明が置いてある。 左右手前に字幕。 記録用にしては妙に立派な video cameras が二台 (TV 放映?)。 私は 1K15 だったが, 1J16 の男になんだか見覚えがあるような記憶がある。 昔の記憶が曖昧なのか, 随分ホールの印象が違う。

私の左側の席 (1) は終演まで空いたまま。 右二つは pretalk の最中に二階席の人が間違えて来たが, 正当な持ち主は第二幕からやって来た。 勿体ない。 開始前には CB, harp, bassoon が練習をしている。 上手側に演者入場のための覆いの板が置いてあるので大分舞台が狭い。


[プレトーク] 18:00 -- 18:26

上記の三つの楽器奏者はまだ席にいる。 下手に vibraphone が入ってくる。 開始時刻になっても客席まばら。 後ろの高くなっているところで指揮者が平日の午後六時だからこんなものだろうというようなことを言うと笑いが起こる。 各種打楽器を手で直接触っているが, 音程狂わないのであろうか?

先ず, 簡単に蝶々夫人の opera について話したあと, 新楽器の紹介。

最初に鈴。 以前は tubler bell を使用。 苦労して探したら, 名古屋の方 (?) だかに既に十二音に調律されたものを販売しているとのことだった。

風鈴 (四つ)。 以前は vibraphone を使用していた。 最近は Glockenspiel が使われることが多いとのこと。 確かに音の感じは Glockenspiel の方が近い。 Vibraphone が用いられていた理由は譜面上に campanelli gaipponesi (日本の小さな鐘) とあり, 注として (lasciar vibrare) (響きを残したままで, の意味) が書かれているからだという。 勿論, 風鈴は適当に作っているので音程も何もない。 そこで近い音のものを買ってきて, 削ったり足したりして外見はそれは無惨なものなので色を塗ってごまかしてあるという。 しかも削った所為で均一でないので, 叩く場所によって甚だしく音程が違ってしまうという。 又, べろ (?) と短冊がつけてはあるが, 演奏上は何の関係もないという。 (ここで pfte 伴奏 Goro の歌付きで実演)

鉦。 第一幕終曲の愛の二重唱に於ける Tam-tam Giaponesi の扱いが一番ひどく, 今までは無視されていた (つまり演奏上 cut されていた)。 pfte とケイト役の渡邊さんによる実演。 ここでの効果は著しい (ないのとあるのでは全然違う)。

釣鐘。 Tam-tam grave は今までは中国の銅鑼が用いられていた。 さすがに梵鐘を使うわけにはいかない (重さがありすぎる) ので釣鐘の音に聞こえるような銅鑼を製作していた。 今一つ梵鐘の音と image が違うのが難点だが, かなりいい線まで迫っていた。 (これも実演)

以上実演は従来のものとの両方演奏された。


台詞上の問題: (program から)

Izagi, Izanami: いざなぎ, いざなみ (のみこと) として改める。

Kami Saru (n) dasiko: 猿田彦の神。 (江戸弁により Sarutahiko が Sarutasiko の様に聞こえたらしい。 (Yakusidè も Yakuhide の誤りとする。 しかしそうだとしても 「ヤクヒデ」 って何?)

Gli Ottoke: 仏様。 mihotoke と言い換え (音節数の問題から)。


上手に風鈴移動。 鉦は下手。 銅鑼は舞台裏に移動。 間際になると大分観客が増えている。 第一幕 18:31 オケ入場。 第二幕は 19:47 オケ入場。 第二幕の半ばで 2nd vn の後ろの人が舞台裏に駆け込んでいったので, 多分弦が切れたのであろう。 ちゃんと注目していれば, vn の受け渡しのリレーが見られたかもしれなかった。 幕がないので, 幕切れは全て暗転で処理。 「コンサート形式」 という謳い文句に反して, 上述のようににわか造りの狭い舞台が舞台奥にしつらえてあり, ほぼ完璧に普通に上演された。

第一幕 18:31 -- 19:25
《20 分休憩》 (ここで風鈴をしまって, その位置に tubler bell. 日本の榊をしまい, 鉦も不必要なものをしまう)
第二幕 19:47 -- 21:15
カーテンコール -- 21:22.

コンサートオペラ形式ということだったが, オケピがなく, 舞台が更に上にある感じという演奏形式であった。 舞台装置が非常に簡略化されて, オケが生で見えていると思えば良い。 しかもオケピより更に下の部分に観客がいるという感じ。 従ってオケの音が直接聞こえてきてその点が良かった。 唯, その所為で今度は時折肉声が負けてしまう。 それが一寸難点。

第一幕最後の二重唱が実に美しい。 鉦の効果絶大。 釣鐘 (銅鑼) はやはり一寸遠くから聞こえてくる梵鐘としては image が違う感じがする。

今回の演奏は実に良かった --- 新楽器を用いたというのを差し引いても。 この cast のままで世界中回ると良い。 演出だの舞台装置だのではなくて, 本当の音楽そのものの良さが出ていると思われた。

いや, その前に, 日本でも一回だけじゃ勿体ない。 取り敢えず新国立かどこかで再演すべきだ。 \20000 迄なら出すぞ (もっと出してもいいと言いたいところだが, 近年, 年を追う毎に給料が下がっていくという現状を鑑みるとあまり出せないのが悲しいところである)。 本当に。 地方の人にも観てもらいたいものである。


出口のところで協賛会社の Nestlé の President Beautiful Cup 24g 入りを配っていた。 この時女子高生が配布の手伝いをしていたが, どうりで開演の時, 偏見だが妙にそぐわない女子高生が二人いるなぁと思ったらこれのバイトだったのであろう。

帰りは元の道程を帰っていったのだが, 池袋は遠い。 非常に感動したので, この感動を誰かと語り合いたいような, それでいて, 語りたい内容はといえば 「良かった」 とか 「感動した」 とかくらいしか思い浮かばず, 帰りの雑踏に自分の考えを邪魔されるのが惜しいような, そんな思いを抱いていたのだった。

そのまま家に着いてもまだ興奮醒めやらず。 夜の眠りも浅いまま, 翌朝を迎えたのであった。

ところで, この時貰ったチラシの中で新国立劇場中劇場でやる白樫栄子の opera  「みづち」 が一寸気になったので, 翌朝調べてみると, ぴあも e+ も予定枚数終了であった。


Puccini は, 甘美な旋律を歌い上げるだけでなく, 驚くべき精密さで, それぞれの文化の文脈による視線を音楽によって表現している。 Puccini は, 当時, 彼が聴いた音素材を全編に組み込んだ。 これらの "楽器" を Puccini の指定通りに正確に再現し, その音を楽譜通りに再現した内藤彰指揮の concert 形式による 「蝶々夫人」 の公演は, 耳が洗われる思いだった。 これらの "楽器" が Puccini の指定通りに再現されると, まさに文化, 思想, 宗教の葛藤の劇としての側面が鮮明に浮かび上がる。

梅津時比古
コンサートを読む
プッチーニ指定の楽器による 「蝶々夫人」
食い違う視線, それぞれに文化的背景
毎日新聞, evening, Thursday, 5th February, 2004.


こういう page も書いておくもので, 今日の 2:18 付けで, Kate さん (soprano の渡辺史さん) から mail が来た。 一応記録しておく。

Monday, 11th October, 2004.


2004 年のコンサート鑑賞記録の目次
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